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撮影は、翌週のオフ日、水曜の夕方からに決まった。
テイラー曰く、写真集のコンセプトは「僕」で、あるようでない。あくまでも私的なものだからディレクターやプランナーはおらず、ヘアメイクもスタイリストも、アシスタントの一人もいない。彼のプライヴェート・スタジオで行うから特別なロケーションに行くわけではなく、とはいえセット・スタイリングを頼んでセットを組んだりはしないと言う。
「普段着で来てくれればいい」なんて言うあの男はよっぽど自信があるらしいが、僕はハナから“うまく撮れてやらない”つもりでいる。彼の目論見が外れるなら望むところで、お蔵入りにでもなればいい。
それくらいの気持ちで望んだ僕は、さっさと済ませてあのネガをこの世から消し去ることしか頭になかった。
撮影当日。テイラーが指定したバトラーズ・ワーフのスタジオに向かった。
かつての港湾地区の倉庫街を再開発したバトラーズ・ワーフ一帯は、高級ペントハウスやショッピングモール、ギャラリーなどが立ち並ぶ。黄色いレンガ造りの倉庫(たてもの)に洒落た店が軒を連ねるストリートの真ん中ほど、フランス料理店の脇のエントランスを入ってリフト(エレベーター)で4階に上がると、妙に短い通路の先にドアが1つあった。表札はなく、脇のインターホンを鳴らすと少ししてドアが開いた。
テイラーに「お待ちしていました」とニコニコと出迎えられたそこは、スタジオというより工場のようだった。足を踏み入れてすぐ、エントランスホールは2フロア分の吹き抜け構造で、上階への階段がある。ここは陽が射していて明るいが、右奥へ進むと、このフロア(1階)が全体的に薄暗いのは窓を塞いでいるせいだとわかった。さらに、壁は一面グレイのコンクリなうえ、剥き出しの鉄骨もグレイに塗られていて色彩がなく無機質だ。やたらとだだっ広いのは部屋を区切る壁の多くを取っ払っているからで、奥の左半分、仕切りの向こうだけは昼間のように明るいから写場だろう。その右には窓のない小部屋があり、手前に並ぶすりガラスの小部屋はトイレとバスルームらしい。
「こちらです」と招く背中についていくと、応接スペースらしき所に通された。黒いソファとテーブルセットを囲むように、太陽系を模しているらしい丸いフロアランプといくつかの床起きの照明が明かりを灯している。洒落者というよりロマンティストなのかもしれないと思ったが、いずれの印象もテイラーに対してこれまで持ち得ていなかった。
腰を掛けたソファは上質なもので、ちゃんと“売れてる”ことがわかる。見ようによってはクールで前衛的なスタジオは、トップフォトグラファーのこだわりの仕事場(アトリエ)といったところだろうか。
「どうぞ」と水差しから水のグラスをくれたテイラーは、「酒のほうがいいですか?」と微笑んだ。続けて「どうぞ召し上がってください」とスナックの袋を並べて、「もしかしてお茶がいいですか?ビスケットもあります」と簡易カウンターをゴソゴソし始めた。
「お茶をしに来たわけじゃない」
「そうですか、ピザとかもありますし、お腹が空いたら言ってください」
そう言って向かいに掛けた彼は、早速スナックを開封した。
パーティーの準備は万端、みたいなノリに呆れる。
「…いつも酒を飲んで仕事を?」
「まさか、今日は特別ですから…それに仕事っていうほど仕事じゃないですし」
「まぁそーだけど…酒があるなら撮影で飲む」
「いいですね、スコッチ?バーボン?モルトもあります」
「最近ジャパニーズに凝ってる」と言ってみると、「ヤマザキがあります、グラスも用意しておいてよかった」なんて返すから、このためにどこまで準備したんだと驚いた。
「…ずいぶん変わったスタジオだ」
「気に入りました?」
「お前が白い理由が分かった」
「実際の仕事は外ばかりです、まぁここに籠(こも)ってると落ち着きますけど」
「コンクリが寒そう」
「コンクリじゃなくてモルタルです、遮熱材を入れてあるからこれでも暖かいんですよ」
「…ここはペントハウス?」
「えぇ、ここと上の2フロアを借りてます…あの仕切りの向こうが写真を撮る所、側の部屋は暗室です、手前のそれがトイレなので自由に使ってください」
「暗室?」
「フィルムの現像や紙焼き(プリント)をする部屋です…映画やドラマで見たことがありますか?」
「あぁ……2階(うえ)は物置?」
「上に住んでます」
「…ここに住んでる??」
「えぇ、上は僕の部屋です、床を開けたところは元々リビングの一角で、キッチンもトイレも風呂もあるし、もちろん窓を塞いでないからちゃんと明るいですよ…ここで遅くまで作業することが多いので、すぐに上に行って寝られるのがいい」
「床ぶち抜いたりして派手なリノベだ…フォトグラファーってみんなスタジオ持ってんの?」
「いいえ、僕のメインはフィルムで、撮影からプリントまで一貫してできる環境がほしかったので…撮影ができるのでスタジオって言ってますが、ここではもっぱら暗室で現像か写真を焼いています」
「その現像で、僕の写真をポルノにする…?」
「現像はフィルムに写ったものを画にする作業です」
苦笑したテイラーは、「そろそろ始めましょうか」と腰を上げて酒瓶の並ぶ棚を探った。
「…ヤマザキじゃなくてスコッチでいい」
「あぁ、マッカランがあります」
「…テイラー、お前は人の表に出さない顔を晒し出すのが趣味?」
「そういうつもりじゃーーー」
「俺はあの写真に全然納得してない、悪趣味だ」
振り向いた彼は、曖昧に笑っていた。
「…被写体が見せてくれるものしか撮れません」
パブでも今も、“あの写真が撮れたのは僕のせい”みたいな言い方が何よりも気に食わなかった。
「今日はあんなの撮るな」
「…そう、努力します」
肩をすくめた男から酒のグラスをもぎ取って、僕らは明るい仕切りの向こうに場所を移した。
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