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撮影をする写場は、よくあるような写真スタジオのセッティングがされていた。 カメラ側には照明が4つ、名前を知らない傘みたいな機材が2つ。レフ板がいくつか壁に立てかけてあるが、アシスタントがいないから使わないか、スタンドを立てて使うかもしれない。(FAMEの撮影の日は、アシスタントが1人ついていた。) 被写体側には、グレイの背景紙と、その前に一人掛けの赤茶革のソファと背の低いサイドテーブルが置かれている。これらのアンティークも、テイラーが今日のために用意した物らしい。 「どうぞ座って、リラックスしてください」と言われた通り、浅く掛けたソファにもたれて、"素敵じゃない僕"を装うことに集中する。 照明の具合を確かめたテイラーは、フィルムカメラを首にかけて僕の前に立った。そして、「撮影は会話なんです」とカメラを構えた。 「会話?」と返すと、彼はシャッターを切り、フィルムを巻き上げた。 「ええ…僕もシャッターも気にしないで…」 「…会話なのにお前を気にしないってーーー」 「好きな時に好きな格好で、好きなことをしていてください」 「…酒しかないのにどうすれば?」 ふらふらと場所を変え、姿勢を変えてはファインダーを覗く男が煩わしく、顔を背けて酒を舐めた。 「…タバコを吸ってもいいですし、後で雑誌を持ってきます」 「…今日はデジカメは使わない?」 「あれは必要な仕事の時だけです」 「……こんなにいちいち指図されない撮影は初めて」 シャッターが下りる。 「俺は写真撮影が大嫌いだ」 「…貴方の撮影嫌いはよく知っています」 「…知ってる?よく?」 「ええ…写真は正直です、僕が撮ったものでなくても…」 「………」 シャッターが下りる。 「…去年のZIP誌、特に不愉快だったみたいですね」 その撮影は、とにかくフォトグラファーのノリがアッパーすぎてキツかったのをよく覚えている。ただ、写真の僕はそう悪くなかったはずだ。 「…確かに、あの撮影は史上最悪だったーーー」 「フォトグラファーは、サム・スコット…」 カメラの向こうで「ふ」と笑って、テイラーが続ける。 「…対象的なのは3年前のエンパイア誌の貴方、あの写真はとても好きです」 「…あぁ、あれ」 そのフォトグラファーは、サバサバしてて勝気だが細やかな気が使えるレディだった。 思い返せば、あれがこれまで一番ストレスのない撮影で、実際写真もかなりよかった。 「フォトグラファーに嫉妬を覚えたくらいです…レイチェル・スワン」 「……さっきからよく覚えてんな」 「同業者の仕事はチェックします」 「…世の中に溢れ過ぎてる」 シャッターが下りる。 「…そうですね、スマホのお陰で誰もがフォトグラファーになれる」 「……」 スマホを取り出すと、何件(いくつ)かメッセが届いていた。 『友達とスパで遊んでる』と言うガールフレンドのセルフィにハートのスタンプを返した後、カメラを立ち上げてみた。テイラーにスマホを向けると、彼はシャッターを切った。 「…撮るのは好きですか?」 せっかくのオフなのに、僕のカメラの先にはこの不埒な男がいる。 「……さぁ、たぶん人並み」 スマホをしまうと、テイラーもカメラを下ろした。そして、「待っててください」とどっかに行った彼は、すぐに雑誌と灰皿を持って戻った。 脇のテーブルに置かれたのはフットボールとSFマガジンと旅行情報誌とメンズのファッション誌で、ファッション誌はともかく前者の3つにはぎょっとした。普段、読むならまず選ぶラインナップがその通りだからだ。 「どーも」とフットボール誌を取って適当に開くと、既にカメラを構えていた彼がシャッターを切った。 しばらく雑誌を斜め読みしながら酒を舐めていたが、動揺は隠せたと思う。 そのままタバコを1本、ゆっくり時間をかけて吸い、「本ある?」と聞くと、テイラーは「えぇ」と5冊ほど抱えて戻った。 案の定、それらは僕の好きな作家か読みたいと思っていたものばかりで、よくリサーチしてんなと呆れを通り越して気味が悪い。きっと、音楽をかけてもCDやレコードを持ってきても、僕の好みばかりだろう。 「…俺のこと、いろいろと知ってるみたいだ」 視線をやれば、シャッターが下りた。 「……お前って、俺のファンなの?」 クレアから聞いていたし確かめるまでもない気がしたが、本人の口から聞いてみたかった。 「…ファン?」 カメラを下ろしたテイラーは、苦笑していた。 「そうかもしれません」と僕のグラスに酒を注(つ)いだ彼は、再びカメラを覗いて静かに口を開いた。 「…一つ、知りたいことがあります」 「…?」 「どうして、撮影が嫌いなんですか?」 「その前に」 「…?」 「ファン“かもしれない”って、何…?」 「…僕はただ、貴方が好きなだけです」 シャッターが下りた。 声は小さく単調、口元は小さく笑っているだけで、その表情(かお)はよくわからない。 雑誌を放り、カメラを睨んで酒を舐めた。そんなに飲んでいないはずが、気がつくと酔いが回り始めていた僕は、気が大きくなっていた。 「…こういう写真撮影は、演技とは違う」 「…」 「求められるのは生身の僕なのに、楽しくもないのに笑ったりバカみたいにおどけたり、理想的なキメ顔を作ったりキザなフリをしたり、普段しないようなポーズを取ったりしなきゃいけない…ピエロだ」 「…」 「僕の演技(しごと)を、薄っぺらい表面的なコトに貶(おとし)めてしまう」 「…」 「僕は役者で、マネキンでも猿回しの猿でもない」 「…」 「全部が不本意で馬鹿らしい、マジで耐え難いんだよ…!」 「…」 シャッターの音で、我に返った。 カメラを睨んで吐き出してる間、音も何もかもシャットアウトして、真っ黒いレンズしか見えてなかった。 「…っ」 思わず、僕自身を剥き出してしまったことに胸の内で舌打ちをしていた。これがこの悪趣味な男の狙いだったのかと思うと悔しい。 「…そうですか」 カメラを下ろしたテイラーは、水のボトルをくれた。 「……まだ撮る?」 「はい」と頷いた彼は、蹴り上げることができそうな所でカメラを構えた。 「僕は、ずっと貴方を撮りたかったんです」 「…」 シャッターが下りる。 「貴方はどの写真を見ても…諦めか、心底嫌そうな顔をしていますーーー」 「そんなことないだろ」 「…そうですね、一見とても素敵です、本当に」 「……」 「でも、どれだけ装っても取り繕っても、“本当”は見えてしまいます」 シャッター。 「僕は、貴方にはもっと素敵な顔があることを知っているし、まだ知らない“ありのまま”も知りたかった…」 冷えた水を飲んだ時、腕を振れば殴れそうなそこにレンズがあった。 「…だから、ずっと言ってる意味がわかんない」 シャッター。 「写真は正直です、被写体を丸裸にしますーーー」 「じゃあ今日の僕は、きっと中指を立ててばっかだろうなーーー」 「そして写真は、撮影する僕そのものでもあります」 「…は??」 シャッター。 「僕は、撮りたいものを撮りたいように撮れるんです」 「…つまり?」 「…大好きな貴方を、最も美しい形で描いてあげることができる」 「………」 シャッターが、下りた。 荒唐無稽で馬鹿げてる。そう思っても、脳裏には送りつけられた写真がよぎった。 人の表情(かお)ばっか盗み撮(み)てるこいつは、一体どんなツラをしてるのか。 気がつけば目と鼻の先にいるレンズが不快で、力いっぱいカメラを払いのけた。 「……っ」 テイラーは、ただ、微笑(わら)っていた。 「…どうですか?あれこれ注文のない撮影はーーー」 「あってもなくても、クソだーーー」 「貴方は、とっても美しい…」 うっとりと呟く男のため息は、震えていた。 真っすぐな目は曇りなく、輝く瞳は冷たいマグマみたいだった。 「……っ」 なぜか、こいつは嘘もデタラメも言ってないとわかった時、どうしてここでこうしているのかわからなくなった。 「…もう、帰るーーー」 「まだです」 目の前でカシャッとシャッターが下りて、僕は、レンズの向こうの重力に吸い込まれた。

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