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知らない部屋で目が覚めた。裸だった。 知らないベッドはシンプルな天蓋付きで、四隅の支柱に黒いカーテンが括られている。 知らないオレンジの間接照明が乗ったサイドテーブルには、僕のスマホが置いてある。時間を見ると21時を過ぎているが、今日が何日(いつ)で、昨日は何をして明日は何があるのか、すぐに思い出せない。 つい最近知ったような匂いの枕から顔を上げると、足の先の向こうにはリビングとその左にダイニングが見えた。その手前にバスルームとトイレ、そして物置かクローゼットルーム以外は壁が取っ払われているここは、あの男の2階(住まい)らしいとわかった。 白とグレイの内装は階下のスタジオに比べれば明るいが、絵画や観葉植物なんかはなく、どこか殺風景だ。限られた壁際にはシェルフか本棚が並んでいて、詰め込まれた本やCDや小物にようやく生活感が垣間見える。シックでモダンな家具はちゃんと金がかかっていて、下の応接スペース同様に洒落ている。天蓋付きのベッドだけやけに仰々しいのは、趣味というよりカーテンの遮光が目的で、比較的大人しいデザインを選んだ結果がこれなんだろう。顔を右に向けると、大きな窓からタワーブリッジとその向こうにロンドン塔が見えた。見事な夜景だ。 それはともかく。体は怠く、頭はぼーっとしていて、ここにいる経緯を思い出すのに苦労する。 最後に覚えているのはバスルームで、どうやら失神した僕はテイラーにここまで運ばれたらしい。馬鹿げた“戯れ”をしたわりに体がさっぱりしているのは、彼が体を洗ったからか。あれだけのことをしておきながら、洗われた時の、まともに体に触られた記憶がまるでないことが何か気恥ずかしい。とにかく、顔を見たらまずは殴ってやらないと気が済まない。 そんなことを考えていると、対面のフロアのすっぽりと床のない一角(元々エントランスとリビングの一部だったはず)の階段からテイラーが姿を現した。 僕に気付いた彼は「お腹、空いてませんか」とキッチンへ行った。 「…喉、渇いた」 カウンターキッチンの向こうで何やら用意した彼は、「こっちに来てください」と言ったが、僕は裸なうえにくたびれていて動いてやる気はなかった。 黙ってそのままでいると、テイラーがタオルのような物とトレイを抱えてやってきた。 僕を覗く表情(かお)は落ち着き払っていて、誰かを好きに弄(もてあそ)んだ者が見せるような傲慢さやいやらしさは微塵もない。ほんの数時間前の“戯れ”なんかまるでなかったかのようだ。 体を起こして水のボトルをもらうと、ベッドの端に黒のナイトガウンを置いた彼は、サイドテーブルで酒を作り始めた。ボトルを見るとヤマザキで、飲むなんて言ってないのに差し出されたグラスを受け取った。 「腹減った」と言うと、「食べたいものはありますか?」と聞かれたから、「タバコ」と返して舐めた酒は美味かった。 テイラーがくれたタバコは、好みのフレーバーではなかった。 僕のタバコは上着に入っている。 「…僕の服は?」 「まとめてあります、あっちに」 リビングの方を首で示した彼は、ベッドの向かいのソファに掛けるとタバコを咥えてスマホを覗いた。 僕もスマホを見ると、クレアからの仕事の連絡とメッセがいくつか来ていた。 ガールフレンドからの『何してるの?』に「急な仕事、まだ打合せ」と適当な嘘を返して、スマホを放った。 「…ブーツも?」 「…ええ、あれは汚れたので洗おうかと…」 恐らく、バスルームでのことだろう。 「いらない、捨てて」 「…裸足で帰るんですか?」 「テキトーにスニーカーかブーツ買ってきて、サイズは9」 「もう店はやってませんーーー」 「明日」 「はい」 スマホをいじり終えたテイラーは、ベッドの側にスリッパを置くと、キッチンに戻って何やらし始めた。 ドラマや映画でしか知らないが、まるで貴族に仕える執事か従者みたいだと思う。 すっかり殴ってやるタイミングを逃している僕は、しばらくの間、ぼんやりしながら酒と水を交互に飲んでいた。 「…さっき、何してた?」 声をかけると、テイラーは「さっきって?」と首を伸ばしてこっちを覗いた。 キリンみたいだ。 「…僕が、寝てる間」 「あぁ、下の片付けなんかを…」 「………」 「…僕、って言うんですね」 「…何?」 「俺、って言ってたと思いますけど…」 「……お前、嘘つきだな」 「…?」 「好きな写真を額装して飾るとか言ってたけど、絵の一枚だって飾ってない」 「貴方の写真を飾りたいーーー」 「それも嘘だ、絵を掛けられるまともなスペースがない」 「小さくていいんですけど…」 「…」 「貴方が考えてるほど大きくする発想がなかった…」 「…」 「いいですね、寝室になら飾れそうです」 「すんなよ…その部屋は何?」 窓が並ぶ壁の反対側、バスルームの隣の白い扉をタバコで指した。 「あぁ、ウォークインクローゼットです、収納部屋」 「へぇ」 「…そんなに僕に興味がありますか?」 「ない」 「こちらに来ませんか?スナックがあります」 「だるいし」 その時、来客を告げるブザーが鳴って、下に行ったテイラーは両脇にどっさりビニール袋やショッパーを抱えて戻った。 どうやら、ウーバーを頼んでたらしい。 リビングから「飯を食べませんか」と呼ばれて、ベッドを下りてナイトガウンを羽織った。シルクのガウンは新品ではないらしく、彼が普段着ている物だろうかと思うと居心地が悪い。 ウォークインクローゼットを開けてみると、中は確かにクローゼットと収納だった。 リビングのテーブルにはこの時間にウーバーできる限りの飯と酒がこれでもかと並んでいて、パーティーでもする気かよと呆れた。が、僕が特にリクエストしてないからこうしたのかと思えば、つい、健気なヤツだと思えてしまう。 「どうぞ、好きなだけ食べてください」と勧められてソファに掛けると、キッチンからもう少し酒やジュースを持ってきたテイラーはカウチの足を乗せる台に掛けた。 図々しく横に座ったりしたら殴ってやれたのにと思いながら、遠慮なくピザに手をつけた。 「…何か探してるんですか?」 「何かって?」 「クローゼットを見てたので」 「お前のキモいところ」 「…?」 「壁いっぱいに僕の写真が貼ってあるとか、そういうのーーー」 「あぁ…したほうがいいですか?」 「………」 「貴方の出てる紙媒体は一通り持っています、映像作品も」 「……俺のプライベートの盗み撮りとかしてるのかと思ってた」 「残念ながらそんな暇がなくて」 平然とそう言った彼は、中華のヌードルをパクついた。 「お前さ…」 「なんでしょう?」 「いつから、僕を追っかけてんの?」 「追っかけてません、だから、そんな暇はなくてーーー」 「わかったから、で、いつから?」 「…12年前の『dignity』というドラマを観てから」 「ああ…」 僕のブレイク直前の頃。歴史スペクタルもののドラマで、僕はクレジットの6番目くらいに数えられる役だったが、次に繋げてやろうとギラギラの野心を燃やして挑んでいたのをよく覚えている。 「端役に過ぎなかった」 「それでも、一番輝いていましたーーー」 「お目が高い」 「貴方の佇まいと目がとても美しくて目を奪われた…一目惚れでした」 「どーも」 「ちょうど駆け出しの頃で、なかなか芝居を観に行く機会がなくて…そのうち貴方は映画やドラマが多くなって、芝居を観に行くチャンスがありませんでした」 「…5年前にやったけどーーー」 「貴方が主演のオールド・ヴィックですね、あれは行けました、」 「…出待ちとか、した?」 「ええ、楽屋口でファンサする貴方を遠目に見てただけ…」 「好きならサインくらい貰いにいくだろ」 「貴方にはファンが群がってましたし…」 「まあそう」 「遠目に見てるだけで、幸せでしたーーー」 「謙虚だったくせに、随分大胆に僕をはめたわけだ」 「はめてません、今日の貴方は僕の作品に協力してくれただけ…違いますか?」 「………」 そう大真面目に言われると、殴ってやる気がすっかり萎えた。 ピザを2つとタコスを1つ食べて満足した僕は、タバコを1本もらった。ビール缶の残りを飲みながら盗み見ていると、テイラーはのんびりとよく食べている。僕は当然ぐったりだが、彼は彼でなかなかの体力仕事だったんだろう。 「…俺の体、洗ったりした?」 「ええ、汚れたので」 「…」 「まずかったですか?」 「……そういえば、俺に変なドラッグとか仕込んだ?」 「ドラッグ??」 「…撮る前とかーーー」 「いいえ」 「お前がもう一人いた」 「?…してません、それに使いたかったらちゃんと言います」 「………」 「そういうのが好きですか?」 「そうじゃない」 「そうですか……なんか観ますか?映画とかーーー」 「疲れた、もう寝る」 腰を上げると、テイラーは慌ただしく飯を切り上げた。 特に断りも入れずベッドに寝転がろうとした時、「シールズさん」と呼ばれて振り返った。 「どうぞ」と白い封筒を差し出したテイラーは、真剣に僕を見つめている。 「何」 「ネガです、先日の…」 本来の今日の目的をすっかり忘れてかけていた僕は、「あぁ」と間抜けに答えて受け取った。 ほんの数時間で、こんなネガよりヤバい物が作られた上に、よっぽど重要なことが見えていた。 「…えらい素直なんだな」 「約束ですから」と苦笑した彼は、また静かに顔を固めて僕を覗いた。 「今日は、本当にありがとうございました」 「…今日のも闇に葬りたい」 「写真集は作ります」と即答した彼は、小さく口角を上げた。 この男に得体の知れない余裕を仄めかされるたびに、僕は、どうしようもない苛立ちを覚えた。 「だめだ」 「出せる写真(もの)でーーー」 「それでもだめだ」 「どうしてですか?」 「…お前だよ!」 封筒を投げつけた手で胸倉を掴んでやっても、僕を見下ろす男は微動だにしない。 「お前はクソだ!人の表情(かお)を図々しく盗み撮りするくせに、お前はお前をほんの少しだって曝け出しやしない!」 「僕はーーー」 「こっちはケツの穴まで晒してんのに、全然フェアじゃない、そういうところが気に入らない、ムカつくんだよ!」 「シールズさんーーー」 「ずっとお前を殴ってやりたかったのに、まだ殴れてない…」 「…」 うんざりするほど穏やかに笑った男は、はいどうぞと言わんばかりに左の頬を僕に向けた。 それなのに、拳を振り上げることができない。 「…でも、しない」 「…?」 「クソみたいな記憶は少ないほうがいいーーー」 「シールズさん…」 胸倉を掴む手を掴まれて、恐ろしくなって手を離したが振りほどけない。 「…僕はフォトグラファーで、傍観者で観察者です、自分(ぼく)を出す必要がない」 「……」 「シールズさん、貴方こそ…嘘つきです」 「何言っーーー」 「貴方はほとんど、言葉と行動が裏腹なので…少し困ります」 「…そんな、こと…」 図星を突かれて酷く動揺している僕は、たぶん、この男を侮っていたんだと思う。 「フェアを、お望みなんですよね…?」 ニコリと細めた目の奥で、どす黒い何かが煌めいた。 「…っ」 口元にテイラーの吐息を感じた時、心の底で、それが見たかったんだと歓喜する僕がいた。 絡みつく腕の強さに慄(おのの)きながら、僕は、歪んだ笑みを浮かべた唇を噛み返した。

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