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カシャッと聞こえて、目が覚めた。 目を開けると、カメラが僕を覗いていた。 クソがと思いながら背中を向けると、もう一度シャッターが下りた。 「…朝からなんだよ」 「ただのスナップです」 「…」 「…そろそろ起きたほうがいいんじゃないでしょうか」 時計を見ると正午を過ぎていて、完全に寝坊していた。 ベッドの窓側はカーテンが下りていて薄暗く、すっかり気持ちよく寝ていたらしい。 「…嘘だろ」 起き上がると、体中がミシミシいった。 頼んでないのに僕にガウンを羽織らせたテイラーは、「朝飯食べますか?」とカメラを向けた。 「なんで暗くしてんだよ、起きれなかったーーー」 「寝顔もとても素敵だったので、寝ててもらいました」 シャッターを切ったテイラーは、「トーストは何枚ですか?」とキッチンに向かった。 ダイニング代わりのアイランドカウンターで、テイラーと肩を並べた。 彼が用意した簡単なブレックファーストと昨夜の残り物とフルーツのブランチは、十分すぎた。 昨日から、変態プレイとファックを除けば概ね王様扱いで、正直を言えば、気分は悪くなかった。 「…お前、執事とかそういうの向いてるんじゃないの?」 「まさかとても無理です、自分のことで手一杯ですし…」 「…」 「靴を買ってきました、下着も、あっち(リビング)に置いてあります」 「…朝っぱらから?」 「ええ、すぐに帰ると思いましたし」 今日は、午後イチでとあるコマーシャルの打ち合わせと夕方からネット媒体の取材が1件予定されている。 クレアに『ぎっくり腰がやばいから病院行く、打ち合わせの代打お願い、取材はリスケして』とメッセを送った。 「今日は休む」 「そんな簡単に休めるんですか?」 「仮病」 「どこか具合が悪いですか?」 「痔が爆発した」 「本当ですか?それは大変です」と真顔でケサディーヤをかじった彼には、冗談が通じないらしい。 「…嫌味だけど?」 「そうですか」 ドリップのコーヒーを受け取ってマグに口をつけると、テイラーがカメラのシャッターを切った。 「…何?」 「スナップです」 「さっき聞いた、なんで撮る?」 「好きなので」と当たり前に言い放った彼は、「そういえば」と僕の手を覗いた。 「手首は大丈夫ですか?」 「今心配することか?」 「すいません」 「無理、僕を傷モノにした」 「見せてください」 手首には、赤く擦れた痕が残っている。 「…どうしたら許してくれますか?」 「僕は僕自身が商品、高級品なわけ」 「じゃあ保険かけてますよね?」 「お前ってムカつくな」 僕の手を取った彼は、大事そうに(そう見える)手首に唇を押し付けた。 「…犬みたい」 「きもいですか?」 「…別に」 飯を終えて、ラテを淹れてくれたテイラーは、ノートPCを持ってきて何やら作業を始めた。 「…お前、忙しいの?」 「休んでる暇はないですね」 「…嫌味?」 「貴方のためなら時間を作りますけど…」 「…それ、何してんの?」 「痔の病院を調べてます」 「…ばっかじゃないの」 思わず吹き出してしまうと、おもむろにカメラを構えた彼がシャッターを切った。 「しつこいな」 「笑ってくれたので」 「くらだないことで」 「それでも」 「こんなの笑顔じゃない」 「作り笑いは嫌いですよね?」 「フツーの写真はフツーに笑う」 「だから笑ってくれるのを待ってます」 「…笑ってなんかやんない」 「……ブルームズベリーの王立統合病院に肛門科の名医がいるそうですよ」 「だから冗談だって!」 「そうですか」とシャッターを切ったテイラーは、「仕事があるので」とテーブルの上を片付けた。 * * テイラーが下の階(スタジオ)に行った後、僕は完全な休日を満喫した。 まずは、バスタブに湯を張ってゆっくり風呂に入った。 このフロアの浴室の場所も内装も基本的に下と同じで、足を踏み入れた時はアレコレを思い出してこっ恥ずかしくなった。 あれからまだ24時間も経っていないのに、こうしてるのはどういうことか。イカれてると思っても、やっぱり、なんとも言い難い居心地のよさを感じてしまっているのが現実だった。 休日だから、服には着替えずまたガウンを着た。昨日の服は勝手に洗濯機を借りて洗った。 リビングでTVを見ながら少しうたた寝をした後で、端から順に本やCDやレコードが並ぶシェルフを確認した。 テイラーの蔵書は、古典と定番の名著とノンフィクションが圧倒的に多い。ミステリーもたまにあった。 音楽の趣味は、80’sから流行りのものまで幅広い。紙媒体もそうだが、彼の写真がジャケットに使われたCDやレコードが特に分けられずに他の物に紛れているのが少し不思議で、過去にこだわらないタイプなのかと思う。まぁ自分の場合を考えたら、あえて自分の出演作のディスクやポスターなんかを飾ったりしない、彼もそんなもんだろう。 寝室の方に行くと、僕のものばっかり詰め込んだ一角を発見してさすがに引いた。映像のディスクに雑誌やパンフレットなどなど。いくつか並んだファイルを開けば、新聞や雑誌の小さな記事のスクラップと、芝居のチラシやチケットなどがきちんと収納されていた。 ファンというのは本当に本当らしいが、正直なところ、どう受け止めたらいいのかわからない。 「まんまと、はめられた」 口に出してみると、まぁそうだよと受け入れている自分がいて、ごちゃごちゃ考えるだけ無駄だと酒が並ぶカウンターを物色した。酒は不都合を忘れさせてくれる。 テイラーの住処を探索し尽くした後、下(スタジオ)に下りた。 途端にナイトクラブみたいに暗くなるフロアは慣れれば平気だが、こんな所にずっと籠もってたら目が悪くなりそうだ。 片隅の資料庫みたいな一角に連なるシェルフには、ファイルと箱がぎっしり並んでいる。おそらくは作品の数々だろう。一番手前の上から2段目の右端にやけにさっぱりしたスペースがあり、箱と1冊のファイルが分けて置いてある。僕じゃなかったら誰のだよとドキドキしながらファイルを開いてみると、やっぱり被写体は僕だった。FAMEの撮影で“盗み撮りされた僕”の、まだ知らない作品(もの)まで一通り目を通してみる。猥褻(わいせつ)な表情(かお)の僕は、今となっては「確かに芸術的で美しい」と客観的に見ることができるようになっているのは、本当に醜態を晒した昨日を経たからかもしれない。 そして、昨日の写真の“僕”は一体どんな出来か…。 「なー」と声をかけてみても、テイラーの返事がない。 ここかと暗室のドアを開けてみると、すぐ目の前にまたドアがある二重扉の構造になっている。 「いんの?」 ドアノブに手をかけると、中から「外のドア閉めましたか?」と険しい声がした。 「閉める」 続けて、「光る物持ってこないでください、スマホもスマートウォッチもだめです」と聞こえたが、身につけてなかったからドアを開けた。 「わあすご」 赤いライトだけが灯る暗い部屋で、テイラーが何やらしていた。 薄っすらと見える機械や流しのような設備は映画やドラマなんかで見たことがあるが、何やら薬っぽい匂いがして、本物はこうなのかとちょっと感心してしまう。もしかしたら、ヤバいやつがするような、壁一面に僕の写真を貼り付けてたりやしないかと疑ってたが、そんなことはなかった。 「何しに来たんですか?」 そっけなく言った彼は、僕に目もくれずに写真を何かの液体に浸している。 「…思ってたより全然暗い」 「興味がありますか?」 「ずっといたら目が悪くなりそう」 「何か用事ですか?」 「…昨日の写真が気になっただけ」 「後で見せてあげます」 「今じゃなくて?」 「ええ」 手元を覗くと、トングのような物で液体に浸している写真には、薄っすら僕の横顔が写っている。 「…何してる?」 「印画紙に焼いた画を実際に見えるようにしてます…これ、現像液に浸す時間で画の明度が変わるので、目を離してはいられません」 「ドラマとかで見たことある、不慣れなやつにこれをやらせて、慣れてるやつが後ろから手を添えたりして性的な雰囲気になるのーーー」 「やらせませんよ」 写真を液体から取り出したテイラーは、それを別のトレイの液体に浸した。 「…それは?」 「画を定着させてます」 「へー」 「やらせませんよ」とわざわざ念を押した彼は、写真をまた別のトレイに移した。 「これはただの水です、最後に薬液を洗い落とします…」 淡々と説明したテイラーは、水から上げた写真を壁に渡したワイヤーにピンチで挟んで吊るした。 洗濯物みたいな写真の光景もドラマなんかで見知っているから、少しテンションが上がった。 「…もしかして、ここでいちゃつくのを期待してました?」 「は?なわけない…壁中僕の写真だらけみたいなサイコ野郎じゃないかって確かめただけーーー」 「もしそうだったらどうするんですか?」 「…逃げる」 「ここは暗くて写真がよく見えませんから、ナンセンスなことはしません」 「わかったよーーー」 「暗いだけじゃなく薬液が臭いますしうっかり転んで怪我してもらっても困りますから、どうぞ出てってください」 冷めた目で見下ろす彼は、僕に顔を寄せて「後で遊んであげます」と言った。 「うッざーーー」 「シャワー浴びたんですか?」 「風呂」 「同じシャンプーの匂いがします」と言われて、昨夜首に噛みついてやった時に知った匂いを思い出した。 「当たり前だろ」 背中を向けたのに、男がニヤついてるのがわかった。 「シャンプーや石鹸を揃えておきます、好きなメーカーやブランドはありますか?」を無視して、上階に戻った。 スマホにはクレアから「具合はどうだ」としつこく連絡が来ていて、「よくなった」とだけ返して通知を切った。 ノイズを絶ってしまえば、ホテルでバカンスを過ごしてるような、世間から切り離された感覚が妙に落ち着いた。 夜まで、リビングで適当に見繕った本を読みながらウトウトしつつ、気ままに過ごした。いつか観るリストのドラマや映画を観ようと思えばできたが、その気にならなかった。 19時頃、2階(ここ)に戻ったテイラーは、両手にめいっぱい袋を抱えていた。 「大型犬の世話をしなければいけませんから」と荷物をあれこれ片付けた彼は、「どうぞ」とCaffee NEROのカップをくれた。 「これ、なんで知ってんの?」 「FAMEの撮影の日、よく飲んでたので…」 「どーも………大型犬って僕か?」 「飯は何が食べたいですか?」 「お前、飯作れんの?」 「いえ、ちょっと買ってきた物はありますがーーー」 「肉食べたい」 「じゃあ、外に行きましょう」 「お前と…?」 「嫌ですか?」 「……仕方ないーーー」 「近くにいいステーキ屋があります」 「へぇ」 着替えようと服を取ると、テイラーがカメラのシャッターを切った。 「しつこいな」 「意識してくれてないほうがいいんです」 「…撮るの、スマホでよくない?」 「僕を誰だと思ってるんですか?」 「…よく知らない、“光と陰のキャプチャー”、だっけ?」 「キャプターです」 「大して変わんないだろ」 またシャッターを切ったテイラーは、「違います」と怖い顔をした。 「忙しいヤツだな」 「デートに行きましょう」 「ただの飯」 テイラーが朝のうちに買ってきたのは、マーチンのチェルシーブーツだった。 「コンバースとかでいいのに」と言うと、「たまたま近くにショップがあるんで」とニコニコしてる彼は、「やっぱりレッドのでよかった、似合いますね」と僕そっちのけで満足そうだった。

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