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第一章 はじめての恋と効かないフェロモン3

***  フェロモンがダダ漏れしないように気持ちを落ち着けて、図書室の扉を静かに開け放った。目の前にある本を読むためのスペースには誰もおらず、室内は閑散としていて寒々しく見える。 「バスケに関する専門書って、どの本棚に置いてあるんだろ?」  放課後は、図書室の本が借りられる時間帯になっている。その関係でカウンターに図書委員がいるはずなのだがそこも無人で、本の|在《あ》りかを訊ねることができない。 「まいったな。自力でこの中から探し出すとなると、骨が折れそうだ……」  腰に両手を当てながら、大きなため息をついた。  とりあえずまずは、スポーツ関連の本がありそうな本棚を見つける。手前の本棚から隣の本棚に移動しようとした矢先に、たくさんの本を持った生徒とぶつかってしまった。ぶつかった衝撃で落としかけた本を、うまい具合にキャッチする。 「ごめんなさい! 前が見えなくて」  聞き覚えのある声に反応して「月岡?」って訊ねると、 「もしかして西野くん?」  持っている大量の本の横から、月岡がひょっこり顔を|覗《のぞ》かせた。 「――あれ、前髪?」  授業中は隠れていた大きな瞳が、しっかり見えていることで切ったのがわかった。 「図書委員でこっちに来たときに、作業の邪魔になるなと思って切っちゃった」 「切ったのはいいけど、それだけたくさんの本を持っていたら、目の前が見えないだろ」 「当番の1年生がお休みしていて、代わりを引き受けたんだ。休み明けで返却が多い上に、ひとりで書架に戻さなきゃいけなくてね。何度もカウンターに行くのが面倒くさくて、この有様なんだよ」  見るからに大変そうなのに、喜びを表すような感じで、瞳を細めて笑う月岡。その笑顔に、なぜだか俺の目が釘づけになった。  正面からまっすぐ見つめられるだけで、胸が締めつけられるように痛む。大量の本の横から、首を傾げて笑ったときに揺れる前髪に、本を抱える細い指先とか、普段気づかない月岡の全部が目に入ってきて、頭がぐちゃぐちゃになった。 (やべぇ。こんな笑顔を見せられたら、俺、アルファらしく冷静でいられなくなる!)  月岡を意識するだけでドキドキする胸がすげぇ苦しくて、息が詰まった。持っていた本を上半身に押しつけて、心臓が飛び出しそうなのを抑えるけど、手が震えてくるのがバレそうで焦る。  しかも月岡の笑顔が瞼の裏に焼きついて、どうしても頭から離れない。 「西野くん、本を拾ってくれてありがとう」 「あ、うん……」 「汗びっしょりだけど、図書室暑いかな?」  指摘されたセリフで今の状況に興奮した俺が、アルファのフェロモンを無意識に流してることに気づいたが、月岡は穏やかな面持ちでほほ笑む。その無自覚な優しさが俺の胸を、さらにぎゅっと締めつけた。 (汗びっしょりって、俺のフェロモンがダダ漏れしてるのに、なんでこいつは平然としているんだよ!?) 「……月岡はベタなのか?」  オメガなら間違いなく、俺のフェロモンに反応する。ベタでもアルファのもつ強いフェロモンに、少しは反応するはず。さっきの長谷川先生のように。 「そうだよ。うちの家系は、ベタしか生まれてないからね」  月岡のセリフを聞いて、なぜか長谷川先生が告げた言葉が頭の中に流れた。 『ま、俺のメンタルはすごいから、アルファのフェロモンなんかにやられないしな。ベタはベタ同士で仲良くするから、おまえはどうかいいオメガを見つけて、仲良くやってくれ』 「ベタはベタ同士か……」 「西野くん?」  俺は無言で、月岡が持ってる本を半分奪ってやった。 「ひとりでやるのは大変だろ。手伝ってやるよ」 「ありがとう、すごく助かる!」  月岡が笑ってお礼を言った瞬間、俺の近くでその笑顔が弾けるのがなんか眩しく見えて、胸が変な感じでしなった。 そのせいで、鼓動が勝手に加速していく。 「あ、あのさその代わり、図書委員の月岡の仕事として、俺が探してる本を見つけてほしい」  バース性の話を逸らし、うまいことなきものにした。じゃないと隠しているドキドキで、フェロモンがまた漏れちまいそうだった。 「ふふっ。図書委員の仕事が、アルファの君とできてなによりだな」  先に歩き出した月岡の背中に、思いきって話しかける。 「月岡、俺おまえと友達になりたいんだけど」 「友達? それって図書委員の俺と仲良くなれば、探したい本を見つけるのに便利だから?」  持っていた本を手際よく本棚に戻している月岡に訊ねられて、すごく困ってしまった。 「やっ……本は関係なく。おまえとその――これをきっかけに、仲良くなりたいなって」  思いきって告げた瞬間に、ふたたび汗が額に|滲《にじ》み出る。傍にいる月岡に直でフェロモンが当たっているハズなのに、相変わらず無反応を貫かれた。 「西野くんとはクラスの席が近くだし、仲良くするのは全然かまわないよ」  月岡は唇をほころばせて振り返り、俺が持っている本を奪って隣の本棚に移動する。 (さっきから俺のフェロモンを浴びても変化なしって、いったいどうなっているのやら――) 「月岡は下の名前、なんていうの?」 「悠真だよ。西野くんは陽太だったね」 「悠真は部活に入ってないのか?」  悠真に名前を知ってもらえていた事実が嬉しくて、心臓が跳ねて顔がニヤけそうになる。しかも柔らかい声で告げられた『陽太』という自分の名前が耳に刺さって、頭の中でエンドレスリピートした。 「陽太と違って体を動かすのが得意じゃないし、文化部でやりたいこともなかったから帰宅部なんだよ」 「そうなんだ。ふーん……」 「陽太って人気者なんだね。さすがは我がクラスの委員長!」  プライベートを訊ねた、俺に対しての返答にしてはおかしいと思った矢先に、悠真は本を持っていない片手で、俺の背後を指差した。つられて後ろを見たら――。 「西野、なんか無性におまえに逢いたくなって来ちゃった」 「陽太先輩、こんなところでなにをしてるんですか?」  クラスメイトやバスケ部の後輩のオメガなど、数人が束になって集まっている状態に、頭を抱えたくなる。 「おまえらを呼んだ覚えはないのに、どうなってるんだよ……」  気になる存在の悠真にはまったく俺のフェロモンが効かず、遠くにいるはずのオメガを呼び寄せてしまった自分の失態に、なす|術《すべ》がなかったのだった。

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