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第五章 恋の鼓動と開く心16
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風邪の症状が微熱と鼻詰まりだけだからと、ひとりで歩けることを豪語した陽太。彼から手を放し、並んで通学路を歩いた。
俺が陽太を名字呼びするようになってから、クラスメイトも付き合えばみたいな変なことを言わなくなり、落ち着いた感じになったと思う。
(陽太と友達になって、一気に距離が近づいたせいもあって、クラスで妙に目立ったんだろうな)
そんなことを考えていると。
「あのさ悠真、その……保健室でキスして悪かった」
「もういいよ。終わったことじゃないか」
「だけど――」
陽太を殴るなんて、俺のしたことのほうが問題だからこそ、率先して謝らなきゃダメなのに、陽太に気を遣わせているな。
「俺も謝りたい。一條くんが教室に来てるときに、陽太を殴ったこと」
「あんなん、たいしたことないって」
「……痛いって言ったのに?」
ジトっとした目を陽太に向けると、慌てふためく感じで両手を動かす。
「あ、あれはだな、反射的に口から出てしまったみたいな」
「痛かったよね。本当にごめん」
「痛くなかったんだよ、悠真に心配してほしくて」
本音を告げた陽太の顔に、しまったって書いてある。
「へぇ。あのとき、咄嗟に嘘をついたんだ?」
陽太を責めるように顔を寄せて口調を強めると、両手を合わせながら頭を下げる。
「キスの件といい、あれこれごめんなさいっ!」
微熱で掠れた声と弱々しい雰囲気を漂わせる陽太の姿が、俺の心を刺す。悪いことは悪いって、素直に謝ることができる陽太は、本当に偉いと思う。
(ま、最初は誤魔化そうとしていたけど――ひとえに俺に、嫌われないようにするために)
「西野くん、この件は終わったことにしよう。やってしまった過去は、やり直せないんだし」
「じゃあさ、これから俺たち、どうするんだ?」
俺に訊ねたクセに、陽太は歩幅を広くして歩き出した。まるで俺の答えを、聞きたくないみたいに見える。
俺は陽太の後頭部を見つつ、歩きながら考えた。どうすれば正解なのか。本当は、前のように友達になりたい。でもそれじゃあ、陽太の恋する気持ちをスルーすることになる。
だったら今のように、適度な距離感を保ったまま、ただのクラスメイトとして接していくのがいいのかな。来週からはじまる修学旅行、陽太と同じ班員として、うまくやっていけるのだろうか。
「悠真、あまり難しく考えるなって」
目の前で立ち止まり、やるせなさそうな瞳で俺を見つめる。
「考えるに決まってる。俺は君を傷つけたくない……」
告白されるまで、陽太はすごーくいい友達だった。俺が読んでる本の話をしたり、フェロモンの微調整でがんばる姿も尊敬できる。
しかも陽太に触れるとポカポカできることは、心が無条件に穏やかになれた。彼に好きだと言われて、パニくらないほうがおかしい。
「悠真はワガママだな」
「中途半端なことをしたくない。それだって、俺のワガママなのがわかってる。わかってるのに、結論を出したくないんだ」
陽太に、悲しそうな顔をしてほしくない。ベタの俺を好きになったって、子どもを残せないし、なによりアルファの陽太を貶めることに繋がってしまう気がする。
「悠真とは、もう友達にも戻れない感じなのか?」
「君の気持ちを知りながら、前のように接することなんてできない」
「俺がキスなんてして、悠真を怖がらせたから?」
怖々と告げた陽太に、俺は首を横に振った。
「陽太にされたことについては、怖さはなかった。大丈夫だよ」
ありのままに感じたことを口にしたら、陽太のキラキラした瞳が柔らかく光る。
「無理してるんじゃないのか?」
俺の古傷を慮ったセリフに、陽太の思いやりを感じる。こんなことを言われたら、ますます距離なんて取りにくいじゃないか。
「無理してないよ。あのときは驚きと恥ずかしさが、混在した感情だったし」
「そうなのか。それなら良かったんだけど、良くないな!」
歯を見せてニコッと笑う陽太につられて、俺も笑ってしまった。底抜けに明るい陽太の性格に、自然と救われてしまう。
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