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第五章 恋の鼓動と開く心40
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いつものように学校に登校し、教室に顔を出した。
「西野おはよ」
「陽太おはよう!」
「おはよ、休み明けってダルいよな」
クラスメイトと挨拶をかわして、自分の席に行こうとしたのに、誰かにワイシャツを引っ張られて足を止められる。
「ん? どうした?」
最初に挨拶をかわしたクラスメイトが、声をひそめながら口を開く。
「さっきまで、一條が教室に来てたんだよ」
「そうだったんだ」
「修学旅行中に、西野と月岡がいい感じになってたじゃん。だから諦めるように言ったんだ」
(誰かに言われても一條の性格上、黙って引き下がる気がしないな――)
「で、俺を呼び止めたってことは、なにかあった?」
「正解。登校した月岡に、一條が絡んでさ。暗い顔したふたりが並んで、教室を出て行った。でもすぐに月岡は戻ってきたけど、明らかに顔色がすぐれなかったんだよ」
「なるほど……なにがあったのか、悠真に聞いてみる」
「月岡に言伝を頼んであるからさ。それをきっかけに、話をしてみたらいいと思って」
気の利いたクラスメイトに礼を言い、急ぎ足で窓辺にある自分の席に向かう。朝から空は晴れ渡り、いい感じに気温が上がっていて、暑くなるのを空気で感じた。
「悠真おはよ!」
スクールバックを机に置きながら、目の前で本を読む悠真に声をかけると、一瞬だけ肩をビクつかせてから振り返る。
「悠真悪い。驚かせたか?」
「あ、いや大丈夫。陽太おはよ」
見るからに無理した笑顔を浮かべて挨拶する悠真の様子に、胸の中がざわめく。いったい一條となにがあったんだろうかと、すげぇ心配になった。
「集中して、本を読んでいたみたいだな。ちょうどおもしろい場面だったのか」
「まぁうん、そんな感じ」
「そっか。話は変わるけど休み明けってさ、決まってテストがあることが多いよな。今回はどの教科のテストがあるかなって」
「そういえば英単語の抜き打ちテストがあるって、さっき教えてもらってた!」
「マジか。英語は明日の五時限目にあるから、それまでになんとかしなきゃな」
スクールバッグから教科書を出して机の中に突っ込んでいると、悠真は沈んだ顔のまま俺に話しかける。
「あのね、陽太」
「うん、どうした?」
俺はつとめて明るく接した。話しやすいようにしてやらなきゃ、悠真は全部飲み込んで我慢してしまうだろう。
「智くんとのことで、陽太と付き合ってるでしょ」
「一応それに、恋の指南もプラスしてるけどな」
手早く教科書類を片し、悠真の傍らに寄り添ってやる。すると手にした文庫本を机に置くと、俯いて顔を見えないようにされた。
「俺、このままじゃダメな気がするんだ。陽太を都合のいい相手にしているでしょ」
「それを言ったら、俺だって同じだろ。その理由をうまく使って、悠真を独占してることになるだろう?」
「でも……」
なにかを言いかけて、口を噤んでしまった悠真。
「朝っぱらから、一條になにか言われた?」
悠真が吐露しやすいように、俺から口火を切った。
「一條くんは陽太に本気なんだよ。俺はそうじゃない」
「俺に本気じゃない悠真を、俺に縛りつけてる。ひとえに俺だけを見てほしくて」
現状を告げながら、クセのある悠真の髪に触れた。俺の髪よりも茶色で柔らかいそれに指先で触れると、カールした毛先が俺を逃さないように絡まる。
「陽太は嫌にならないの? いつまで経っても、俺が恋する気持ちがわからないこと」
悠真は、俺が髪を弄ってもされるがままでいてくれた。そんなちょっとしたことだけど、すげぇ嬉しかった。
「嫌だったら、こんなことしないって。むしろちょっとずつだけど、悠真は変わっているじゃないか」
「でも、ほんのちょっとしか変化がないのに」
「俺はそれでも構わない。悠真のことが好きだから」
指先に絡んだカールした毛先を解いて、手を離そうとしたら、悠真がいきなり手首を掴んだ。
「陽太はアルファなのにベタの俺に執着しているのが、どうしてももったいないって思ってしまう」
掴まれた手首から伝わってくる悠真の手のひらの熱が、すげぇ心地よく感じた。このままどこかに連れ出されたら、抵抗することなく俺は悠真について行くだろう。
「俺さ、バース性はオマケみたいなものだって考えてるんだ」
「オマケ?」
俺の告げたことが意外だったのか、悠真は顔を上げて大きな瞳を何度も瞬かせながら小首を傾げる。
「もしバース性なんてものがなかったらさ、みんなベタってことになるだろ?」
「うん、確かにそうかも。オメガは抑制剤を飲まなくて済むし、アルファだってフェロモンの調整に苦労することがない。陽太も、大変な思いをしなくて済むことになるね」
俺は手首を掴む悠真の手を外し、両手で優しく包み込む。
「アルファで生まれた俺やオメガで生まれた一條、それはたまたま、そういう生まれになったってだけ。悠真は気にしなくていいんだって」
「……それだけじゃない」
大きな瞳がちょっとだけ細まり、悠真の切なげな表情を彩る。
「陽太は俺にはもったいない人なんだ。陽太の隣にいていいのは、俺よりも明るくて陽太のことを支えることのできる、しっかりした人じゃないと」
「悠真が俺のことを意識してないのは、わかってるけどさ。そうやって何度も俺を遠ざけようとしてるのを聞くたびに『やっぱりダメなのか』って思って、どうしようもなくなる」
そう告げた瞬間、悠真の面持ちは唖然としたものになった。
「陽太、俺は――」
「まだ時間がありそうだから、さっさと英単語の抜き打ちテストの情報、ほかのクラスから仕入れてくるわ」
包み込んでいた悠真の手を放して、さっさと背中を向ける。きっと俺の表情は、暗いものになっているだろう。
「悠真、俺はなにを言われても諦めないから!」
それだけを告げて、逃げるように教室を出た。誰かを好きになることのつらさをまざまざと体感して、涙が出そうになったが歯を食いしばって耐える。
(どうしたら、悠真を意識させることができるんだろう……)
そればかりを考えてしまって、英単語の抜き打ちテストのヤマ張りがなかなかうまくいかなかったのだった。
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