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第六章 恋のはじまりと揺れる未来8
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夕暮れの街を並んで歩き、駅前に辿り着く。人通りは多いのに、不思議と世界には俺と悠真だけしかいないように感じられる。
「……今日、短い時間だったけど楽しかったな」
「うん。お昼にパンを食べただけなのに、すごく特別だった」
悠真が笑う。その柔らかい笑顔に、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。
改札の前で、自然と足が止まった。別れの時間が来てしまったのだとわかっていても、どうしても一歩が踏み出せない。
「じゃあ……」と口にしようとした俺より先に、悠真が視線を伏せて小さく言う。
「俺、まだ帰りたくない」
その囁きがあまりに素直で、俺は思わず笑ってしまった。
「奇遇だな。俺も同じことを思ってた」
けれど時間は容赦なく進む。どうしても今日は、ここで別れなきゃならない。だから俺は、名残惜しさをごまかすように言った。
「じゃあさ、夏休みの宿題。苦手な英語の長文、実は全然やってねぇんだ。明日、俺の家で一緒にやらね?」
「えっ……」
「俺、悠真とならサボらずにできるから」
本当は勉強なんて、二の次だったりする。けど、ふたりが会う理由にはちょうどいい。
悠真は目を瞬かせたあと、ふわっと笑った。
「だったら俺も、数学がまだ途中なんだ。明日、交換で教えてくれると助かるな」
「おっけー。決まりだな」
そう言ってつないだ手に力を込める。名残惜しくて、今すぐにでも引き寄せたくてたまらない。それでも勇気は出せず、ただ手を離す間際、指先をほんの少し絡ませる。
「悠真、じゃあまた明日」
「……うん。また明日」
改札をくぐろうとする悠真が、振り返って小さく手を振った。俺も思わず同じように返す。
二度目、三度目と振り返る悠真の姿に寂しさが募り、逢いたい気持ちが加速した。
手を離した寂しさはまだ胸の奥でじんじんしてるのに、「明日が待ち遠しい」という気持ちが上書きしてくれる。
――また明日。そう思えるだけで、こんなに嬉しい。
翌朝。まだ悠真が来る時間には早すぎるって頭ではわかってるのに、俺は落ち着かなくて自分の部屋を行ったり来たりした。悠真が俺の家を訪ねるのは、はじめてじゃないのに、いつも以上に落ち着かないのは、昨日公園でキスしたせいかもしれない。
机の上には英語の長文プリントを広げて、シャーペンまで用意してある。……けど、集中するどころじゃない。
(――マジでやべぇ。全然頭に入んねぇぞ)
昨日の帰り際、何度も振り返ってくれた悠真の姿が、まぶたの裏に焼きついて離れなかった。「また明日」って笑った顔を思い出すたびに、胸の奥がむず痒くなって息が詰まりそうになる。
時計をちらりと見たのだが、約束の時間まで30分以上ある。それなのに玄関のほうで物音がした気がして、思わず耳を澄ませる。……もちろん俺の気のせいだ。
「はぁ、俺マジで浮かれすぎてるだろ……」
そう自分に言い聞かせながらも、気づけば机の上を片付け直したり、ベッドのシーツを軽く叩いて整えたりしている。
別に悠真が気にするようなことじゃないのに、妙に部屋を綺麗にしておきたくなる。
――ピンポーン。
呼び鈴が鳴った瞬間、心臓が跳ねた。約束の時間より少し早いのに。でも、そんなことはどうでもいい。
「……来た!」
息を整える間もなく玄関へ駆け出す俺の足は、どこかふわふわしていた。ドアを開けると、少し息を弾ませた悠真が立っているではないか。
「おはよう、陽太!」
ほんのり赤い頬と、少しはにかんだ笑み。たったそれだけで、俺の胸がまた一気に騒ぎだすが、フェロモンが出ないように深呼吸を忘れない。
「お、おはよう。早いな」
「なんだか待ちきれなくて……早く出てきちゃった」
小さく呟いた声に、思わず固まる。待ちきれなかったのは俺だけじゃなかったんだ。
気づけば口元が緩んでいた。
「悠真ってば、そういうとこズルいぞ」
「えっ」
「いや、いい意味でだけどな」
照れ隠しに頭を掻きながら、俺は玄関の中へ招き入れる。
「あがれよ。とりあえず机の上、バッチリ準備してあるから」
「ふふ、楽しみにしてた」
悠真がスリッパをつっかけて、俺の部屋に入ってくる。
「あれ? 前回来たときよりも、綺麗にしてる気がする」
きょろきょろと視線を動かすその仕草に、俺は胸の奥がむず痒くなった。
「べ、別に普通だろ。たまたま、ちょっと片付けただけで」
言いながら、無意識に机の角を指で弾く。そんな俺を見て、悠真が肩を揺らして笑った。
「ふぅん。だけど前は机の上に、たくさんプリントが積んであったよね? 崩れてしまいそうな量だったっけ」
「見てんなよ、そういうとこ……テストのヤマ張りの関係で、そうなっていただけなんだって」
むくれたように言うと悠真は肩を揺らして笑いながら、上目遣いで俺を見つめた。
「ここに座ってもいい?」
「お、おう」
了承した瞬間、悠真はベッドの端に腰を下ろす。悠真の体重で沈む布団の感触に、俺の心臓まで一緒に沈んでいくみたいで、思わず喉が鳴った。しかも目の前で嬉しそうにほほ笑む悠真の笑顔に、ドキドキが止まらない。
「ふふっ……なんか、昨日の夢の続きみたい」
「夢?」
「陽太の部屋で、こうやってふたりきりで――」
言いかけて、悠真の声がしぼんでいく。その照れくさそうな横顔に、俺まで胸がじんわり熱くなった。
気づけば自然に、隣へ腰を下ろしていた。それは肩が触れそうな距離。
「俺も夢みたいに思ってた。今日ほんとに来てくれるのかって、ずっとそわそわしてたし」
「俺もだよ」
少し伏せられた声が、熱を含んで俺の鼓膜を撫でた。その「俺も」に頭の芯まで痺れる。
(――宿題。そう、宿題をやらなきゃ……)
なのに、どうしても気持ちを切り替えられない。
「悠真……とりあえず、宿題をやるか」
無理やり立ち上がって机に向かう。
「英語プリント……ほら、昨日言ってたヤツ。見事に真っ白だろ」
「うん」
悠真もベッドから立ち上がり、俺の隣に椅子を引き寄せて腰かける。距離が近すぎて、文字を追う集中力なんて吹き飛びそうだったけど、それでもこうやって肩を並べているのが嬉しくてたまらなかった。
机に並んで座り、俺はプリントに目を落として小さく唸った。
「えっと……この長文、主語がどこにあるのか全然わかんねぇ」
「陽太、んーとほら、このカンマの前が主語だよ」
俺が指で示すと、悠真も身を乗り出して覗き込んでくる。肩と肩が触れ合って、心臓がどきんと跳ねた。意識すればするほど、集中力が英語の文章から離れていく。
「悠真って、こういうとこ得意だよな」
「べ、別に普通だよ」
「これが普通とか、やっぱ頭がいいって羨ましい……」
ぼやいた俺を見てくすっと笑う悠真が、机の下で俺の膝にそっと触れてきた。
「っ……おい、なにしてんだよ」
「え? 別に。ちょっと……こうしてるとポカポカして落ち着くから」
目を逸らしながら言うその仕草が、妙にかわいくてたまらない。
「落ち着くって言いながら、俺の心臓ばくばくしてんだけど」
その内、フェロモンが爆散してしまうかもしれない。
「……俺もずっと、ドキドキがとまらないよ」
囁きのような声に、思わずシャーペンを握る手に力が入った。
そのあとも何度か指先が触れたり、プリントを取り合う拍子に手の甲が重なったり――勉強のはずが、気づけば意識の半分以上は悠真に持っていかれた。
「ねぇ、陽太」
「なんだ?」
「宿題が終わったら……もうちょっとだけ、話をしよう?」
悠真の瞳がまっすぐ俺を捉える。
「おう。約束な」
そう答えながら、机の下でそっと指先を絡めた。
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