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第六章 恋のはじまりと揺れる未来9
「……よし、ここまでで今日のプリントは大体終わりだな」
俺がシャーペンを置くと、悠真は小さく伸びをして、ほっとした笑顔を浮かべた。
「ありがとう、陽太。やっぱりわかりやすい」
「べ、別に……実際、悠真のほうが頭がいいわけで、俺のほうがたくさん教えてもらってるだろ」
言いかけた俺の手を、悠真がぱちんと重ねてきた。
「陽太ががんばったご褒美、ちょっとだけ……いいかな?」
上目遣いでそう囁かれたら、断れるわけがない。
絡んだ指先をぎゅっと握り返すと、悠真の頬がほんのり赤くなって、視線がまた俺を縫いとめた。
(……ほんとに宿題どころじゃねぇ)
指を握り合ったまま、しばらく見つめ合う。
「……な、なんだよ」
「ん……べつに。ただ、こうしてるとね……昨日のこと、思い出しちゃって」
昨日――公園での、はじめてのキス。
悠真の視線が、俺の唇にすっと落ちるのがわかった。喉が鳴りそうになるのを必死にこらえて、俺は冗談めかすように言った。
「もしかして……また欲しくなった?」
「うっ!」
悠真はみるみる顔を赤くして、言葉を濁す。
「そりゃあ、ねぇ……少し、だけだよ。ほんの少し」
その小さな声が心臓の奥まで甘く響いたせいで、俺は耐えきれずに身を寄せ、そっと悠真の唇に触れる。軽く、けれど名残惜しむように。
「ご褒美……な」
「うん、ありがと」
握り合った手は、どちらからも離れなかった。
どれくらいそうしていただろう。握り合った手を離さず、キスの余韻を引きずったまま、ふたりでぽつりぽつりと他愛ない話をしていた。けれど時計の針は無情に進んでいく。
「……あ。もう、こんな時間だ」
窓の外はすっかりオレンジ色に染まっていた。
「そろそろ帰らないと、姉ちゃんに怒られるかも」
悠真が名残惜しそうに言う。
「もうちょっと、いてもいいのに」
口に出してから、我ながら子どもみたいだと思う。けれど、本当の気持ちだった。
玄関まで並んで歩く。靴を履く悠真の横顔を見ていると、胸がきゅっと締めつけられた。
「……じゃあ、また」
そう言ってドアノブに手をかける悠真。
「ま、待て……明日も、俺んチでやるか?」
思わず口をついて出た言葉に、悠真の目がぱちっと見開かれる。
「いいの?」
「英語、まだ残ってるしさ。……それに」
顔が熱くなる。
「勉強以外にも話したいこと、まだまだたくさんあるんだ」
悠真はゆっくりと笑って、こくりと頷いた。
「うん。じゃあ、明日も」
その笑顔が嬉しくて、俺はつい玄関の外まで見送りに出てしまう。夕焼けに照らされながら振り返る悠真が手を振った。
「またね、陽太」
「ああ。また」
遠ざかっていく背中を、見えなくなるまで追いかけてしまった。胸の奥に灯った火は、きっと明日まで消えない――そんな確信があった。
***
家に戻ると、さっきまで悠真が座っていたベッドの端がやけに鮮明に見えて、俺は思わずそこに腰を下ろした。
ほんのり残っている体温を感じる気がして、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……やっべ、マジでしあわせすぎんだろ俺」
思わず天井を仰いで、にやけそうになる顔を手で覆った。
勉強のはずが、ほとんど悠真の笑顔と声ばっかり頭に残ってる。プリントの内容なんて、正直ほとんど覚えてない。でも、そんなことはどうでもいい。
帰り際の「また明日」の言葉が、何度もリフレインして胸を跳ねさせる。
(……悠真が、明日も来てくれる。俺の部屋に俺に会いに――)
それだけで、もう充分すぎるくらい浮かれちまう。
机に置きっぱなしのプリントを見つめながら、思わず笑いが漏れた。
「宿題って、悪くねぇな……」
胸がドキドキきしっぱなしで、今夜まともに眠れる気がしなかった。
***
翌日。朝からソワソワして落ち着かないのは、もう自覚してる。昨日の浮かれ気分を引きずってるのは間違いない。
(……だって、今日も悠真が来るんだぞ)
そう思っただけで、自然と笑みがこぼれる。時計を見れば、約束の時間まではまだあるのに、もう机の上にノートとプリントを並べて準備は万端。昨日の教訓で、勉強に集中できないのはわかりきってるのに。
チャイムが鳴った瞬間、心臓が跳ねた。玄関を開けると、そこに立っていた悠真は昨日と同じ笑顔で、けれど少しだけ遠慮がちに手を振ってきた。
「おはよう、陽太」
「お、おう……入れよ」
俺の部屋に入ると、悠真は一度きょろきょろと部屋を見回したあと、机の上のプリントに視線を移して笑った。
「ちゃんと準備してあるんだ」
「ま、まあな……昨日の続きだし」
悠真はニコッと笑って椅子に座り、自然に隣をぽんぽんと叩く。誘われるままに腰を下ろすと、肩がまた触れ合って心臓が落ち着かなくなる。
「昨日の分、ちゃんと復習した?」
「……やるわけねぇだろ、悠真が隣にいないとできない」
「ふふ、俺も同じだよ」
肩と肩が触れたまま笑い合って結局、今日も勉強がどこまで進むのかは怪しい気がした。でも、それでいい――そんなふうに思えてしまうのは、悠真と一緒だからだ。
机に並んで座ると、悠真はさっそく英語の問題を指差した。
「ここ……この関係代名詞、陽太はどっちが正しいと思う?」
「ああ、それは――」
どこか先生みたいな口調で訊ねた悠真に、俺が説明しようとすると、ぐっと顔を近づけてきた。プリントを覗き込む距離感を完全に間違えてる。頬が触れそうで、息が混ざり合うくらい。
「ちょ、悠真近すぎ……」
「え、そう? 俺はこれくらいが見やすいんだけど」
「いや、文字は見えても俺の心臓も見えちまうだろ……」
冗談めかして言ったのに悠真はふっと笑って、俺の胸に耳を寄せるように体を傾けた。
「ほんとだ、ドキドキしてる」
「――ちょっ、やめろって!」
慌てて肩を押そうとしたのに、悠真は逆に俺の手を握った。指先を絡めるみたいに。
「ごめん……でも、ちょっと嬉しかった」
「な、なにがだよ」
「俺のせいで、こんなにドキドキしてるのかなって」
見上げてきた瞳が真っ直ぐすぎて、息が詰まる。
(やば……昨日より絶対甘くなってる――)
勉強の合間に肩が触れたり手が重なったりするのは、昨日もあった。けど今日はそれ以上に、悠真のほうから触れてくる。指を繋ぎながらプリントを眺めるなんて、宿題に集中できるはずがない。
でも、その指先のぬくもりをほどく気にはどうしてもなれなかった。しかも問題を一問解くごとに、悠真は「ありがとう」とか「すごい」とか、いちいち俺を褒めてくる。
そのたびに、手をぎゅっと握られて――正直、頭に入ってくるのは英文よりも悠真の体温ばっかだった。
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