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色は匂へど
ただ、幸せな夢を見ていた。
はっきりと内容を覚えていないし、突然鳴り響いたスマホの着信音に叩き起こされる形になったけれど。なんだかふわふわとした心地よい目覚めに、まだはっきりと覚醒していない僕はぼんやりと重たい眼を開いた。
「はい……、はい、分かってますから」
「……、……!」
ぱちぱちと瞬きをしてクリアになった視界に飛び込んできたのは、上半身裸の翠。ベッドボードに寄りかかりながら気だるそうに電話しているのを見て、一気に目が覚めた。僕を見下ろしながら淡々と会話していた翠は、僕が起きたことに気づくとふと表情を緩ませた。
昨日、本当に翠とシちゃったんだ。常より高い体温がそれを物語っているかのよう。腰が痛けりゃ、喉も痛い。だけどそれすら嬉しくて、ちょっぴり恥ずかしい。じくじく痛む項が夢じゃなかったって言っている。
顔を隠すようにシーツの中に潜り込む。目だけを出して様子を窺えば、無理やり翠は電話を切り上げたようだった。
「おはよう」
「……おはようございます」
「ふふ、なに緊張してるの」
「だって……」
どんな風に接すればいいのか分からない。もごもごと言い訳を並べ終わる前に、シーツを奪い取った翠から甘い口付けが降ってくる。
「身体は平気?」
「うん」
「今日は一日ここでゆっくりしていけばいいよ」
「それは、」
そんな贅沢、許されるはずがないだろう。そう思って断ろうとしたところで、続きは言わせないと言わんばかりに再びキスの雨が降り注ぐ。
絶対わざとだ。悪戯っぽく微笑んでいる彼が僕にノーと言わせないようにしていると分かって、早々に白旗をあげる。
「……ずるい」
「ふふ、今日も家で陽が待ってると思ったら、巻きで帰ってこれそうだなぁ」
「……昨日は地方でコンサートがあるって聞いてたのに」
「陽がいるかもと思って、予定を変更してすぐに帰ってきたんだよ。当たりだったね」
野生の勘が働いたのだと、得意げな翠はちょっとかわいい。突然新幹線を用意したり、ホテルのキャンセル対応をしないといけなくなったスタッフさんたちを思うと、翠の行動は褒められたものではなかっただろうけれど。
特に彼のマネージャーなんて、翠とほとんど同じスケジュールで動いているのだから、一番振り回されているはず。やっとホテルで休めると思ったところに、今日はやっぱり帰ると言われたら、僕なら反対してしまうかも。
「まぁ、おかげで今朝もマネージャーは不機嫌みたいだけどね」
「…………」
そりゃそうでしょうね、とは言えなかった。スマホを示しながら悪びれる様子のない翠には、良くも悪くもアルファの血が流れている。この人、多分自分の思い通りにならなかったことなんてないんだろうな。朝早くから電話してきたマネージャーの気苦労を察すると同時に、心の中で詫びた。
「はぁ、もうこんな時間か。陽といると一瞬で時間が過ぎていくよ」
「……もう、行っちゃうの?」
「寂しい? 陽も一緒に来る?」
「…………行かない」
時計を確認した翠がため息を吐き出しながらぼやく。口に出すか迷いながらも素直に尋ねてみれば、顔をほころばせた翠が身を乗り出して聞いてくる。
本当は寂しいし、翠とずっと一緒にいたい。だけど、それ以上に翠の仕事の邪魔をしたくないという気持ちが大きい。驕ったら駄目だ。ちゃんと弁えておかないと。僕が首を振るのを分かっていたのか、翠は眉を下げながら笑って頭を撫でた。
「顔見せてよ、まだ恥ずかしい?」
「だって……、翠はああいうことに慣れてるかもしれないけど、僕は初めてだったんだもん」
もごもごと口にするのも恥ずかしい言い訳を並べれば、翠は「何だ、そんなこと」と気の抜けた笑顔をこぼした。
「俺も初めてだったんだけど」
「……は?」
「セックス。昨日、初めてした」
「うそだ……」
「ほんとだよ。俺は陽に嘘つかない」
疑いの目を向けても、返ってくるのは真剣な眼差し。嘘をついているようには見えなくて、俄に信じ難い気持ちの中にじんわりと喜びが湧き上がってくる。
僕なんかが初めてでよかったのかな。そんな不安も混じるけれど、自分でうまくコントロールできない表情筋は勝手に緩んでしまう。
「嬉しそうだね」
「……バネを感じてるだけ」
「バネ?」
「これまでの人生がどん底だったから、それをバネにして、今受け止められないぐらいの幸せを感じてるんだよ」
「…………」
この幸せが終わったら、またどん底に戻るのだろうけど、それでもこの思い出を抱いていれば何があったって頑張れる。
だから、この瞬間を記憶から少しでも消さないようにする。翠との時間を僕という器から一ミリも消したくない。突然引き摺り込まれた非日常が終わりを告げても、ちゃんと自分の足で立っていられるように。
「……今日がピークみたいな言い方しないで」
「……?」
「俺が陽のことをもっともっと幸せにするから」
眉を下げた翠にぎゅうと力強く抱き締められる。一般人が言うとちょっぴり歯の浮くような台詞も、相手が翠だからまっすぐ心に響く。
まるでプロポーズみたい。そんなわけがないのに。
自嘲した笑みを浮かべて翠の頭を撫でれば、回された腕に更に力が入った。
「今日も俺は一日仕事だけど、すぐに帰ってくるからいい子で待っててね」
「……ワガママ、言ってもいい?」
「うん、何でも言ってごらん」
「…………翠の服、ちょうだい」
「ッ、うん! もちろん、好きなだけ使っていいよ」
がばりと顔を上げた翠は、先程までとは打って変わって喜色満面。どれがいいかな、と悩んでいるけれど、僕が欲しいのはもう既に決まっていた。
「あのシャツ、借りてもいい?」
「そんなかわいいワガママならいくらでも聞くよ」
昨日、リビングで奪われたシャツの存在がどうしても忘れられなくて、恐る恐る聞けばすぐに頷いた翠は立ち上がって寝室を出て行った。
わざわざ、腰が痛む僕のために取りに行ってくれたんだ。胸の中がぽわんとあたたかくなる。大人しく体を起こしてベッドの上で翠を待っていれば、静かな部屋にピンポーンとインターホンの音が鳴り響いた。
家主でもない僕が出るわけにはいかなくて、翠を待つことしかできない。どうしようとあわあわする僕の元にシャツを届けた翠は、再び鳴らされたインターホンに顔を顰めている。
「はい、これ」
「ありがとう……、あの、早く出なくて大丈夫?」
「うん、どうせマネージャーだから。時間はまだ余裕あるし」
そう言って、シャツをぎゅと握り締める僕に何度も口付けを落とす翠は、昨日よりも少しだけ荒っぽかった。イライラしているのが伝わってくる。
「それでも、マネージャーさんなら余計出た方がいいんじゃ……」
「陽」
小言を言う僕を咎めるように名前を呼ばれて、項に噛みつかれる。アルファのフェロモンがそこから僕の中に流れ込んでくるみたいで、熱い息を吐いた。昨夜の情事を思い出して、身体が熱を持ち始める。
「駄目だな、陽のことになると途端に余裕がなくなる」
「ん、翠っ……」
「自分のシャツにさえ、こんなに嫉妬してるなんてね」
首筋から始まって、身体の至る所に咲く赤い花の数はこうしている間にもどんどん増えていく。翠に愛された証だと思えば、たとえそれが偽りだったとしても、その一つひとつがどれも愛おしくて堪らなかった。
――ピンポーン。
昨日の甘い熱がまたぶり返しそうになった時だった。三度鳴らされたそれに翠が遂に舌打ちをする。足音を立ててオートロックを解除しに行った翠は、顔に思いっきり「不機嫌です」と書いていた。
「最悪、もっと陽と一緒にいられるはずだったのに」
「……僕はここで待ってるから、頑張って、ね?」
「はぁ~~、離れたくない」
大袈裟なほどにため息を吐き出した翠にぎゅうと抱き締められる。離れがたいと思っているのは翠だけじゃない。恐る恐る翠の背中に手を回そうとしたときだった、玄関のドアが開く音がして知らない声が聞こえてきた。
「sui! お前、起きてるって言っただろ!」
「あいつ、スペア使いやがったな……」
いつもと違ってお口の悪い翠がぱっと体を離して、玄関に向かおうとするのを、あ……、とつい服の裾を掴んで引き止めてしまう。すぐにその手を離したけれど、翠がそれに気づく方が早かった。
「っ、もう、そんなかわいいことしないで」
「ご、ごめんなさい……」
「違う違う、怒ってるわけじゃないから」
しゅんとして謝罪の言葉を口にする僕の頭を撫でた翠は、これ以上ここにいたら決意が揺らぐと、重たい足取りで寝室を出て行く。
行かない方がいいって、頭ではそう分かっているのに、体が勝手に動いて、その後を追う。訪問者にバレないようにおずおずと寝室のドアから首だけ出せば、翠越しにばちんと知らない顔と目が合った。失敗したと、瞬時に察して息を飲む。
「ッ、」
「sui、またお前はその辺の適当なオメガを連れ込んでたのか」
「ちょっと、適当な嘘つくのやめてくれない? 陽、それ嘘だから」
冷淡な声が耳にこびりついて離れない。
翠が違うと言っているのだから、それを信じればいいのに。幸せで浮かれていた僕の頭に、がつんと襲ってきた現実。その衝撃は大きすぎて、うまく飲み込めない。
そうだ、翠はアルファだ。たとえ翠が覚えていなくても、発情したオメガに誘惑されて一晩だけの関係を持ったことがあるかもしれない……。その後処理を翠にも言わずにこのマネージャーがやっていたのだとしたら、翠にその自覚がなくて当然だ。
「陽、」
「sui、時間だ。早く荷物を取ってこい」
「茨木……」
「余裕を持ってきたのに、お前のせいでもう時間がない。今日は前々から決まっていた大事な仕事だって分かってるだろ」
血の気をなくして顔を青くした僕を見た翠がこちらに足を進めようとするけれど、冷たい声がそれを止めた。
翠もそろそろここを出ないといけない時間だと分かっているのだろう。逆らえない立場の翠は僕の頭を撫でてから、リビングへ向かった。その顔はやりきれない表情を浮かべていて、僕の心臓がぎゅと痛んだ。
「全く、困ったもんだ。君もあまり自惚れない方がいい」
「…………」
「あいつが運命の番を探すために芸能界に入ったことは知っているのか?」
「え、」
「はは、知らなかったのか。suiの番でもないくせに、恋人面しているなんて笑わせるね。君はただの暇潰しだよ」
もうやめて、と。
耳を塞いで、そう叫んでしまいたかった。
絶え間なく突き刺さる言葉の刃がぶすぶすと心臓を突き刺していく。あまりの衝撃と痛みに一瞬呼吸の仕方を忘れてしまう。足元が崩れ落ちて、奈落の底に落ちていくかのような感覚に、ふらりと体が揺れた。
分かっていたはずだった。明確な社会的地位の差、性の差。翠と僕の間にある境界線はどれだけ足掻いても越えられないって、最初から理解していたつもりだった。
だけど、改めて他人に釘を刺されるとその考えすら甘かったと自覚する。痛みの消えない傷がどんどん増えていって、自分が自分じゃなくなってしまいそう。心が壊れそうだった。
「最近、あいつの様子がいつもと違うからな。もう直、番が見つかるって本能が予感してるんだろう」
「…………」
「君はそれまでの前座に過ぎない」
靴を脱いで上がってきた男は、僕の前に立ちはだかる。びりびりとしたアルファ特有の圧を感じて、萎縮する。黙り込んだまま俯く僕を見て、不愉快そうに眉を寄せた男がすんと匂いを確かめた。
「オメガかと思ったが、何の匂いもしないな。なんだ、君は番にもなれない、ただのベータか」
「ッ、」
「はぁ……、哀れだね。suiは俺たちアルファの中でも特別な存在だから、お前のようなベータが選ばれることはない。精々、早く離れる準備をしておくことだな」
――ただのベータ。
何度も自分に言い聞かせてきたその言葉が重く伸し掛る。歪に積み上げられた幸せが崩れていく音がした。
何も言葉は出てこなかった。肯定も否定もできなくて、ただ浴びせられる言葉の意味を飲み込もうとするけれど、うまく咀嚼できなかった。
理解してしまったら最後、翠には黙って離れるしかないと思った。
だけど今はまだ、……翠の番がまだ見つかっていない今だけは、隣にいることを許してほしかった。まだ幸せを手放す勇気も、翠に番ができることを祝福する気持ちも持ち合わせていないから。
じんわりと目の奥からこみ上げてくるものを必死に押し留める。ここで泣いたら、相手を悪者にしてしまう。翠とマネージャーが不仲になるのは、翠の仕事の妨げになるのは、嫌だった。
「陽?」
「来たか。ほら、行くぞ」
鞄を持って戻ってきた翠は僕の顔を見ると、表情を一変させた。鋭い眼光を向けられたマネージャーは、先を急ごうとする。
「お前、陽に何言ったんだよ」
「sui、ここで押し問答してる暇はない。一分刻みのスケジュールだって、分かってるだろ」
そう言ったマネージャーは、逃げるようにして玄関を出て行く。ずっと張り詰めていた糸が弛んで、僕はほっと息を吐いた。
「陽、ごめん」
「ううん、僕なら平気。お仕事、頑張ってね」
「うん……、それは頑張るけど」
問題になるようなことは、何も無かった。そう思ってもらえるように作り笑いで誤魔化そうとするけれど、翠は訝しんだまま何か言いたげだ。
悩んだのは一瞬だった。翠の着ているシャツを掴んで、背伸びをする。なんとか届いて、触れ合う唇。すぐに離したそこから、ちゅとかわいらしいリップ音が鳴って恥ずかしくなる。目を見開いた翠がぼっと一気に赤くなるのを新鮮に思いながら、柔らかな笑みを浮かべる。
「行ってらっしゃい」
この期に及んでまだ手を出すのか、とまた責められそうだけど、翠の気を引くのはこれしかないと思った。僕の目論見通り、ふうと大きく息を吐き出した翠は「夜、覚悟しててね」と囁くとそのまま家を出て行った。
よかった、バレなかった。ガチャンとドアが閉まるのと同時に、力が抜けてずるずるとその場に座り込む。
――覚悟、しておかないと。
いつ捨てられてもいいように、翠から離れてひとりで生きていく覚悟を。
ぎゅっと抱え込んだシャツから翠の香りがして、涙がぽろりと零れ落ちた。
◇◇
一頻り涙を流した後、ふらふらと立ち上がって、ウォークインクローゼットまで歩く。無意識にそこを開けた僕は、たくさんの宝物を前に悩み始める。
(これがいい……)
(駄目、あそこに置くのは別のがいい)
何のために選んでいるのか、自分でもよく分かっていない。選んだ基準も理由もうまく説明できないまま、僕はいくつかの服を拝借して腕に抱え込んだ。
向かったのは、昨夜翠と交わったベッド。残り香がまだ漂っているそこはぴったりだ。この香りに包まれているだけで、自然と落ち着く。
こだわって選んだ服を理想通りに並べていく。数ミリのズレも許されないから、丁寧に。やがて、長い時間をかけて出来上がった服の山に潜り込めば、世界で一番安心できる場所にほっと息を吐いた。
翠に散らかしたって、怒られたらどうしよう。僕はただの家政夫だから、掃除をしたり片付けたりするのが仕事なのに。そんな不安が襲ってくるけれど、元に戻そうとは思わなかった。この中なら、あの人の意地悪だって遮断できる気がした。
熱に浮かされたみたいにぼーっとしてしまう。思考が鈍い。殻の中に籠っているのに、どこか落ち着かない。翠に満足してもらうには、もっといい配置があるかもしれない。でも、今更一から作り直すなんて、無理だ。外は暗くなり始めているし、途中で翠が帰ってきて中途半端なものを見せるなんて以ての外。
僕に残された時間は、あとどれぐらいだろうか。一秒でも長く、翠と一緒にいたい。幸せな思い出で埋め尽くしたい。だから、何よりも翠に喜んでほしい。
早く帰ってこないかな。むずむずと疼くのは、何が原因なのだろう。翠と触れ合いたい。そして、ひとつに溶けてしまえたらいいのに。そうしたら、これから先もずっと離ればなれになることはないから。
どれだけの時間、そうしていただろう。カーテンを締め切った部屋は、外の様子が一切伺えなくて、天気も時間も分からない。身体を落ち着かせようと、ぎゅっと縮こまったときだった。
――帰ってきた!
外から物音が聞こえたわけじゃないけど、そう直感して心が震える。出迎えたいけれど、ここで抜け出したらせっかく完成したものを崩してしまう。どうしようと悩んでいる間に、ガチャッとドアの開く音がした。
急いでいる足音がその後すぐに聞こえてきて、寝室をバタンと開けられた。翠の服で周りを固めた僕を見て、目を見張る翠。何を言われるだろう、と気になっているのに、翠は口元を手で覆ったまま、声を発しなかった。
「……すい?」
「あ、あぁ、ごめんね。あまりにもかわいくて放心しちゃったよ」
「怒ってない?」
「怒るわけがないでしょ。最高の巣だね、陽」
最高だって、褒められた。
それが嬉しくって、幸せだなぁって、くふくふ笑っていれば、すっと体を持ち上げられる。
「翠?」
「んー」
「何で?」
「一緒にお風呂入ろっかなって」
「お風呂……」
「嫌?」
「……いやじゃない」
身に纏っているのは、翠のシャツだけ。一直線にバスルームへと向かった翠は、着替えに慣れているからか、自分のも僕のものも適当にぽいぽいと脱ぎ捨てて、あっという間に熱いシャワーを浴びせられる。帰りの車の中でスマホから予約したのだろう、浴槽にはたっぷりのお湯が溜まっていた。
立ったまま、後ろから翠に抱え込まれるような体勢にドキドキと心臓が逸る。鏡越しに見える翠は、少し疲れて見えた。その表情が憂いを帯びていて、いつもとのギャップにときめきが止まらない。
早く触れてもらえないかなって、期待してる自分を隠せない。後ろを振り返って潤む瞳で見上げれば、欲望を灯した瞳と目が合った。その瞬間、唇が重なる。柔らかい感触が気持ちよくて、もっともっとと欲張りに求めてしまう。力なく開いた口に舌が侵入してきて、僕の中を遠慮なく我が物顔で犯していく。
「んっ、……ふ、ッ、」
耐えきれずに声を漏らせば、翠の指がすりと項を撫でた。それに反応して勝手にびくんと身体が跳ねて、唇が離れてしまう。名残惜しい。もっと、したいのに。
「ん、翠、もっと」
振り返って、ぎゅうと翠の首に手を回してお強請りする。いつか離れる運命なら、思ったことをそのまま言った方が後悔しないと思った。
自分じゃない誰かが僕を乗っ取っているみたい。僕の頼みを真正面から受け止めた翠は、再び唇を近づける。しかし、触れる……と思った既のところで、動きを止めた。何で、どうして。そればかりが頭を占める。やっぱり下手くそな出来が気に入らなかった?
「そんなに泣きそうな顔しないで」
「だって……」
「今したら、絶対抑えがきかなくなるから、これ以上は後でね。そのために先に風呂入ってるんだから」
むと唇を尖らせてみたって、翠の意思は固くて無視される。シャンプーを手に取って泡立て始めた翠が僕の髪を洗い始めた。仕方ない、おあずけだ。諦めた僕もシャンプーを手に取り、ぎこちなく翠の髪を泡立てた。
「ふふ、洗ってくれるの」
「……今日だけね」
「えー、ケチだなぁ」
だって、次が訪れるときには、翠の運命がその役目を担っているのだから。お役御免だって分かっているからこそ、表情には出さない。そんなことを知らず、くすくすと楽しそうに笑っている翠に胸が苦しくなった。
高級なトリートメントをして、全身泡だらけになって、そして全てを流し終えた。浴槽に浸かると、すぐに翠に後ろから抱きかかえられる。
「はぁ、明後日にはまた地方か……」
「次はどこ?」
「北の方かな」
「美味しいものいっぱいだね」
「……陽も行く?」
「行かない」
即座に答えた僕を責めるように、翠が項を齧る。屈してしまいそうになるけれど、意見を変えようとは思わなかった。僕が行っても、邪魔になるだけ。あのマネージャーが不機嫌になる未来が見えている。
「不安だなぁ……」
「ん?」
「ちゃんと繋ぎ止めておかないと、ふらっといなくなりそうだから」
「……そんなわけ、」
「ほんとに? 俺の目を見て言える?」
「……うん、」
翠の手を握り締めて振り向けば、不安で揺らぐ瞳と目が合う。安心させるように微笑んでみせれば、翠は深く息を吐いて、首元に顔を埋めた。
「お仕事をちゃんと頑張れる翠でいてほしいな」
「……陽にそう言われたらやるしかないじゃん」
「偉そうなこと言うなって怒らないんだね」
「知ってるでしょ、俺が陽に甘いの」
「……たまに意地悪だもん」
「それは陽がかわいいのが悪い」
顔が火照るのは逆上せたせいか、翠のせいか。赤くなった頬を見た翠が僕の腕を引っ張りながら立ち上がる。そのままお風呂場から出ると、翠が僕の全身を拭いていく。何から何まで翠の世話だ。
バスタオルを肩からかけられて、やっとベッドに戻れると思ったらそのまま洗面台の空いたスペースに座らされる。
「んっ、」
状況を飲み込めないまま、次から次へとキスが降ってくる。唇から始まり、耳、首、肩、胸……。口付けられていないところなんてないほど。絶え間ないリップ音が静かな部屋に反響している。
ただ、僕はされるがまま。時折喘ぎにも似た声が漏れるだけ。ぽたぽたと翠の髪から垂れる雫が僕の腹を伝っていく。それがひどく扇情的で、腹の奥が熱くなった。
そして、僕の雄芯を掴んだ翠はそのまま口の中に含んだ。熱い。舌で先端を苛められると、気持ちよすぎて泣きそうになる。せっかくシャワーを浴びたのに、汗ばむ身体は快感に震えていた。
あの国民的トップアイドルにフェラさせている。その背徳感がスパイスとなって、すぐに限界を感じる。太ももを掴んでいる翠の右手を取って、指を絡める。ぎゅうと握り締めてくれるのが嬉しくて心まで満たされるのと同時に、僕は呆気なくイッてしまった。肩で息する僕を見た翠が言い放つ。
「ごめん、せっかく巣を作ってくれたのにベッドまで我慢できなかった」
「……連れてって」
こんな窮屈なところで繋がって、怪我でもさせたら大変だ。両手を広げて強請れば、何も言わずに翠に抱えられる。ベッドに雪崩込めば、待っているのは昨日と同じ熱い夜。待ちきれないと言わんばかりに性急に繋がって、与えられる快楽に頭の中が溶けていく。
何度イカされたのか、数え切れないほど。気づけば意識をなくしていて、どれだけ激しかったのかはどろりとぬかるんだ窄まりが物語っていた。
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