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雲の向こうはいつも青空

 ――陽。  深い眠りの中で、誰かに名前を呼ばれた気がした。ずっと求めていた声。ずっとずっと、呼ばれたかったひと。  ――陽。  何度も呼ばれるけれど、まだ起きちゃ駄目だ。だって、僕が起きたら貴方はもう名前を呼んでくれないだろう? 都合のいい夢ならば、ちっぽけな我儘ぐらい許してよ。  ――陽。  ……駄目だ。こんな我儘でさえ、僕には許されないみたい。起きたら、また、あの地獄のような熱が襲ってくるのだろう。嫌だなぁ、ひとりで耐えるにはあまりにも寂しい。だけど、これは僕に与えられた罰だから、ひとりで乗り越えるしかないんだ。  素敵な夢から醒めることを名残惜しく思いながら、ゆっくりと目を開く。ぼんやりとした視界に入り込んできたのは、ずっとずっと会いたくて、だけど会ってはいけないひと。  まだ、夢の続きを見ているのだろうか。覚醒しきらない頭では理解が追いつかない。  「……すい?」  「うん」  掠れた声で名前を呼べば、彼が頷く。その目には涙が浮かんでいた。嬉しい、やっと会えた。たとえ夢でもいいから、ずっと会いたかったんだ。本音が溢れて、思わず表情が緩む。  「……夢?」  「ううん、夢になんてさせないよ」  だって、この家はちゃんと鍵をかけていたはずなのに。彼がこの場所にいるはずがない。それなのに確かに翠はここにいて、僕のことを見つめている。  ……夢じゃ、なかった。  これは現実だと、そう理解した瞬間に血の気が引く。  翠には運命がいるのに、こんな状態の僕なんかと会ったら駄目だ。オメガにもなりきれていないやつのフェロモンなんて、アルファの王様である翠からしたらどうってことないのだろうけれど。番がいるひとを誘惑することの罪深さなんて、深く考えなくても分かる。  嗚呼、僕はまたひとつ、罪を重ねるんだ。  何度も謝罪の言葉を口にして取り乱す僕を、翠は腕の中に閉じ込めた。その瞬間、ぶわりと熱が上がる。そのぬくもりに絆されそうになって、身を任せてしまいたくなるけれど、なんとか言葉を紡ぐ。  「……ッ、だめ、はなして」  「やだ」  「おねがい、今ならまだ間に合うから。もう会わないって、約束したんだ」  「…………」  「僕は、翠の傍にいたらだめなんだよ」  翠の眩しい未来を奪うことなんてできない。アイドルにスキャンダルは御法度。世界を敵に回す度胸なんて、僕は持ち合わせてないんだ。  魂が翠の全てを求めていたって、残り数パーセントの理性が翠の将来を案じている。だから、僕は貴方とは一緒にいられないんだ。手を伸ばして届く距離にいたら、貴方をずっと求めてしまうから。僕たちは、離ればなれになる運命なんだよ。  それを理解してほしいのに、翠は腕の力を緩めようとはしない。そればかりか、僕の項をあの頃のようにするりと撫でる。駄目なのに、大事なそこに触れられたら理性が効かなくなるのに。  迷いなくそこに唇を落とされれば、僕は全身を震わせることしかできなかった。  「陽、ちゃんと話をしたいんだ」  「駄目だよ、帰って」  「嫌だ、帰る時は陽も一緒だから」  「…………」  出会ったときから、何も変わらない。強引で、自分一人で全部勝手に決めて……。僕の意思なんて、翠には必要ないんだって悲しくなる。  でも、そりゃそうだよな。都合のいい性欲処理係に意見を聞く意味なんてない。ただ黙って彼に従っていればいいのだろう。  だけど、僕はもうあの頃とは違う。僕一人の問題じゃない。玲のことを一番に考えなくちゃいけないから。  きっと玲がいなかったら、今すぐにでも彼にしがみついて攫ってほしいと懇願してしまっていただろう。ヒート状態の頭の中は卑猥なことで溢れ返っているけれど、一番大切な玲のことを忘れられるはずがなかった。  「お願い、陽」  「……駄目、翠には運命の番がいるから、」  「俺の運命は陽だけだよ」  「っ、うそだ」  そんな僕に都合のいい嘘なんて信じられるはずがない。つい声を荒らげる僕の項に、またひとつキスを落とした翠が僕の瞳を覗き込む。  「嘘じゃない。出会った時から、陽が俺の運命だって分かってた」  「そんなはずないよ。だって、……僕はベータだもん」  「うん、そうだったかもね」  「だから、僕が翠の運命の番になれるはずがない」  まっすぐな瞳に射抜かれると、自分の欲望のままに動いてしまいそうになる。また翠の瞳に映っていることに感動している場合じゃないのに、心が震えている。  「でも、俺には今の陽はオメガにしか見えないよ」  「っ、それは、」  「うん、分かってる。俺がそうしたから」  「……、……」  淡々と告げる翠に何も言葉を返せない。先生から聞かされたことだから今更驚きはない。だけど、翠本人の口から真実を聞くのはやっぱり心持ちが違う。  「陽の第二の性なんて関係ない。俺が変えるから、何だってよかったんだ」  「…………」  「でもね、俺だけの力で上書きできたわけじゃない」  「…………」  「陽が俺の番になりたいって望んでくれたから、俺のことを受け入れてくれたから、陽はオメガになったんだよ」  ただ上位アルファのフェロモンを体内に取り入れるだけでは、バース転換は起こらない。そのアルファと番いたいと強く思わなければ、オメガになることはできないのだ。  もし、たとえそうだったとしても……。  「……だったら、どうして何も言ってくれなかったの」  「っ、」  ずっとずっと、欲しかったんだ。貴方からの愛の言葉が。たった一言だけでいい。二文字で済む言葉を、嘘でもいいから僕だけに囁いてほしかった。  震えながら告げた言葉に翠が息を飲むけれど、一度溢れ出した衝動は止まらなくて、遂に思いの丈を吐き出してしまう。  「好きだって、そう一言言ってくれていたら、僕はそれだけを信じられたのに」  ぼたぼたと大粒の涙が溢れてくる。情けない。こんな風に翠を責めたくなかったのに。悪者にしたいわけじゃなかったのに。ずっと溜め込んでいたものは止めどなく溢れてくる。    でも、しょうがないじゃないか。貴方はアイドルで、とびきり優秀なアルファ。何も持ち合わせていない、こんな僕なんかと同じ未来を描けるようなひとじゃないのだから。貴方と一緒になることを許されるはずがないって、そう思って当然だろう。世界から翠を奪うなんて、そんな覚悟、ただのベータは持ち合わせていないよ。  黙って僕の言葉を聞いていた翠が唇を噛み締めたまま、冷たくなってしまった手を取る。じんわりと翠の体温が伝わってきて、その優しい温もりにまた涙が零れた。  「ごめん」  「…………」  「ごめんね、陽」  つーっと翠の頬を流れていく一筋の涙。その涙の意味は何だろうか。震えた声で放たれる謝罪に胸の奥が軋む。僕は謝ってほしいわけじゃなかったのに。  「陽を好きだなんて、当たり前すぎたんだ」  「…………」  「言わなくても分かる、伝わってるだろうって……。そう、勝手に思い込んでいた俺が悪い」  「…………」  「陽を一人でこんなに苦しませてごめん」  翠だけが悪いわけじゃない。本当は僕だって聞けばよかったんだ。僕のこと、どう思ってるの? って。  だけど、臆病者は気持ちを聞くことが何よりも怖くて、翠が僕を好きじゃないって分かったら心が壊れると思ったから、勇気が出せなかったんだ。  今なら、まだ間に合うだろうか。握り締められた手に力を込める。恐る恐る口を開いて、確かめる。  「……ほんとう?」  「うん?」  「……僕のこと、好きってほんと?」  「っ、うん。愛してるよ。陽しかいらないぐらい、ずっと陽だけを想ってる」  必死な顔で、愛の言葉を紡ぐ翠に心が満たされる。やっと聞けた。それだけで十分。さっきとは意味の違う熱い涙が流れていく。二文字でよかったのに、最上級の愛を告げる言葉が嬉しくて堪らない。  「僕じゃない人と、番になってない?」  「俺の番は陽だけだよ」  ふわふわとした心地の中、めんどくさい彼女みたいに僕が確かめるのを、翠は落ち着いた声で答えていく。  「翠なら選び放題なのに、」  「陽じゃなきゃ駄目なんだ。ずっと傍にいてほしいのは、陽だけだから」  「……本当に、いいの?」  「陽がこんな駄目な俺を許してくれるなら、戻ってきてほしい。また一から始めさせてくれないかな」  「…………僕を、翠の唯一にしてくれる?」  「っ、もちろん。俺の全てをあげるから、俺だけの陽になってほしい」  「……うん、翠のものになりたい」  もう、あのマネージャーさんから何を言われたって平気。僕には翠の言葉というお守りがあるから。ごめんなさい、翠から離れてあげられなくて。そう思うけれど、運命には到底抗えそうになかった。  今はまだ翠を幸せにする自信はないけれど、ふたりで一緒に幸せになりたいと思う。  ぎゅっと抱き締められれば、懐かしく香るフェロモンに頭がくらくらする。潤む瞳で見つめれば、僕に負けないぐらいの熱を孕んだ瞳に射抜かれる。  「キス、していい?」  「……うん」  ちょっぴり照れ臭くなりながら頷けば、何度も降ってくる口付け。次第に深くなるそれに、久しぶりの僕はいっぱいいっぱいで、声が漏れるのをどうにもできなかった。  唇を離せば、お互いに照れ笑い。まるで今から初めてを体験するみたい。ヒート中だというのにこんなにも心穏やかなのは、きっと翠の愛に包まれているから。  「髪、伸びたね」  「っ、」  「でも、髪色は変わんない」  翠によく似合う、大好きなホワイトブロンド。元々肩につくぐらいだった髪は、伸びてロングヘアになっている。手を伸ばしてさらさらの髪を撫でながらそう言うと、翠はぐしゃっと顔を歪めた。僕の手を捕まえた翠が指先に口付ける。  「切ったら、もう会えなくなると思って切れなかった」  「……え、」  「ずっと、この髪色にするって言ったでしょ。陽が一目で俺だって分かるって言ったのに、他の色にできるわけないじゃん」  確かにそんな話もしたけれど。そんな願掛けをするぐらい、僕のことを思ってくれていたんだ。世界中の人から羨望の視線を送られるアルファの王様なのに、ただの平凡なベータの何気ない一言に囚われて、その影をひたすら追い求めてしまうなんて。  心の底からこの男が愛おしいと叫んでいる。発情の熱がぶり返す。愛する目の前の男が欲しくて堪らない。  「陽がいないと駄目なんだよ。アルファとかアイドルとか、そんな立場なんて意味を持たなくなるぐらい、俺はただの無力な男に成り下がるんだ」  「……翠」  眉を下げて弱気にそう言う翠は、以前にも増して人間らしいと思う。あの頃の僕は自分とは釣り合わないって壁を作ってばかりだったけれど、同じだけの愛を抱えていると分かったらそんな壁も木っ端微塵に吹き飛んでしまった。  雲の上の存在は、僕と同じ。  恋に悩むひとりの男だ。  アルファだとかアイドルだとか、僕らの愛の前にはどうでもいい。そういうのを全部抜きにして、ただひたすらに翠のことが愛おしい。  「もっと触れてもいい? 陽を抱きたい」  「ッ、」  ストレートな物言いにドキンと胸が跳ねる。時に男前で、時々選択肢を間違えちゃって。壁を壊したからこそ、知る一面。世界中を虜にする男なのに、実はミスターパーフェクトとは言い難い。そんな翠だから、全部許して愛せるんだ。  アルファだから常に完璧じゃないといけないって、誰が決めたんだ。全てを曝け出して、弱気な姿も見せてくれる方が信頼されている気がして嬉しいに決まってる。  僕はどんな翠も受け止めるって、彼を愛することを諦めないって決めたんだ。  「翠、」  「ん?」  「好きだよ」  「うん、俺も好き」  「……僕が好きって、もっといっぱい言って」  愛してるという証明を、自らの口で。もう不安にならないぐらい、たくさん刻みつけてほしい。まだまだ足りないから。手を伸ばして、返事の代わりに贅沢な我儘を言えば、ガバッと押し倒される。  「好き、好きだよ、陽」  「うん」  「ずっと俺の傍にいて」  「うん」  「愛してる」  身体中の至るところに唇を落としながら、絶え間なく翠が愛を囁く。嬉しくって、幸せで、どろどろに溶けてしまいそう。  次第にお腹の奥が疼いて、何かが足りないって主張し始める。埋めて、擦って、僕に全部ぶつけて。もじもじと足を擦り合わせて、何とかしてほしいって見上げるけれど、翠は僕の身体に痕を残すことに夢中になっている。  触れられる毎に重たい熱が腹の底に溜まっていく。「好きだ」と言われる度に、その言葉が僕の中に蓄積されていって、愛で満たされる。  「っ、翠」  「ん?」  「まって」  「んー?」  可愛らしいリップ音とは裏腹に、僕の脳内はどんどん淫らになっていく。僕の制止する声を無視する翠。一旦止まってもらわないと、すぐに溢れてどうにかなってしまいそう。指を絡め合った手に力を込めて懇願するけれど、美しく微笑む彼に止めようという気は見受けられない。  「だめ、」  「まだまだ俺は愛を伝え足りないんだけど」  「っ、」  「あー、かわいい」  「翠っ、なんかきちゃう」  「いいよ、大丈夫。そのまま身を任せてごらん」  「ッ、」  いい子だねって頭を撫でられたら、一気にぐわんって身体が熱くなる。それが合図になって、歯止めが効かずに弾けてしまった。  寝落ちてしまう前に自分で弄っていたから、下着の中は既に汚れていたとはいえ、どうしても不快感が襲う。まさか言葉だけで達してしまうなんて思ってもいなくて、恥ずかしくて泣きそうになった。  敏感な全身を震わせて、荒い息を吐き出す。まだ触れられてもないのに、こんな状態になっちゃうなんて、これから僕はどうなっちゃうんだろう。  「かわいい」  「まってって言ったのに……」  「今まで言ってこなかった分、たくさん愛を伝えたいから。……だめ? 嫌だった?」  「……ずるい」  嫌なわけないって、何よりも素直な身体が証明してるのに。そんな風に聞いてくるのは意地悪だ。拗ねたように顔を背けてみるけれど、機嫌を取るように両頬を包まれてリップ音を立てながら唇に何度もキスを落とされたら許すしかなかった。  「ん、翠、」  「うん? なあに?」  「……他も触って」  早く、早く欲しい。もう入るから、って伝えたところで、前よりもずっと丁寧にじっくりと事を進めようとしている翠には意味がないだろう。  だから、せめてものお強請りを。  すると、翠は僕の瞳をじっと覗き込んだ後、準備万端の後孔に触れた。その縁に触れられただけで、せっかちなそこは早くくれと言わんばかりにひくついている。  「陽のヒートはこんな風になっちゃうんだね」  「ッ、翠がそうしたのに」  「うん、全身で俺を求めてるのが分かって嬉しいんだよ」  喜んでいるなら、もう何も言えない。だって、僕は翠のためのオメガだから。貴方のためにヒートになって、貴方だけを求めているのだから。  翠だけを求めているところにゆっくりと指が侵入してくる。前立腺を探る動きがもどかしくて、もっと太いものを思いっきり突き立てられたい。待ちきれなくて勝手に腰が動く。  「んん……もっと……」  「ちょっと待ってね」  宥めるみたいに腰を撫でられれば、それすら快感に変わって身体がびくついた。僕の要望を聞き入れて、二本目の指が入ってくる。  「ッ……ああっ……だめッ、」  遂に見つけた前立腺をとんとんとリズム良く、二本の指で代わる代わる押されると快感を逃す暇もなくて、一気に絶頂まで上り詰める。最早僕のそこはとろとろと白濁を吐き出し続けていて、身体が言うことを聞かなかった。  「気持ちいい?」  「……うん」  ようやく責める手を止めた翠が聞いてくる。この痴態を見れば分かるだろうに、改めてそんな当たり前のことを聞かれると恥ずかしい。目を逸らしながら頷けば、指を抜いた翠が僕の雄芯をぱくりと口に含んだ。  「んッ……」  零れ落ちた白濁を全て舐めとるように舌を這わせ、未だに溢れ続けている先端をぐりぐりと舌先でいじめられる。堪らなくなって、大好きな綺麗な翠の髪をぐしゃりと乱した。  もう無理だって、勝手に身体が仰け反るけれど、夢中になって舐め続ける翠は腰を掴んで許さない。びくびくと太腿が震える。これ以上、待ちきれなかった。  「……翠、」  「ん?」  「お願い……翠が欲しい……」  最後にじゅと音を立てて吸い上げた翠は、やっと僕の要望を聞き入れてくれるらしい。いよいよだ、と呼吸を整えながらその時を待つけれど、翠は何かを考え込んでいるようで動かない。  「翠……?」  「ごめん、ゴムがない」  嗚呼、もう、この人は。  なんだか堪らなくなって、涙が溢れてきた。これまでは、生でしかしたことなかったのに。ゴムを着けなかったのは僕をオメガにするためだって、今は分かっているけれど。何の意味も持たない子種の処理がどれだけ惨めだったか。絶望の時間だったか。  そんな記憶も塗り替えられる。ちゃんと翠は僕の身体を気遣ってくれるんだなって言葉ひとつで伝わってくるから、もう止められそうになかった。だって、こんなの、愛だもの。熱いものがつーっと流れ落ちて、シーツを濡らす。眉間に皺を寄せていた翠は、そんな僕の姿を見て慌てたように涙を拭った。  「ごめ、」  「ちがうの、悲しくて泣いてるんじゃない」  「……陽」  「翠が僕を大事にしてくれてるんだなあって思ったら、嬉しくって」  ヒートの熱に当てられて、本当は翠だってすぐにでも挿れたいはずだ。それでも僕のことを気遣って、その欲を優先しようとしないところに途轍もない愛を感じる。  翠にされることなら、僕はもう何だっていいのに。だけど、これからはきっとそうじゃない。独りよがりじゃなくて、全部ふたりで決めていくんだ。  「……陽を何よりも大切にしたいから」  「うん、伝わってるよ」  あたたかい翠の手に擦り寄れば、今度は翠が泣きそうになりながら笑った。  「……でも、翠が欲しい」  「陽……」  僕の我儘を聞いた翠が困ったように眉を下げる。まだ悩んでいるのが分かったから、ぎゅっとその首に腕を回した。  「このまま、翠とひとつになりたい」  「ッ、今回だけだよ」  ヒート中だからとかじゃない。何の隔たりもないまま、翠と繋がりたい。翠の吐き出すもの全てを僕の中に注いでほしい。オメガの本能が何よりもそれを望んでいる。  ごくりと生唾を飲み込む。翠が挿入ってくるのを黙って見ていれば、眉間に皺を寄せた翠が僕に口付けた。  「……見すぎ」  「ッ、」  茶化すみたいに指摘されると、一気に羞恥心が襲ってくる。頬を赤らめて顔を背ける僕に表情を緩めた翠はゆっくりと腰を進める。  「っふ……んん……」  足りなかったものが埋まっていくような、ずっと欲しかったもので満たされる久しぶりの感覚は堪らなくて、溢れる吐息混じりの喘ぎ声を抑えられない。  歓迎するみたいにきゅうきゅうと締め付けているのが、自分でもよく分かる。まるで子種を早く寄越せと強請っているようだ。  「陽、愛してるよ」  そんな言葉と共に、檻に閉じ込められるみたいに翠の腕に捕らわれる。心も身体も満たされて、こんなに幸せなことがあるのだろうかと思ってしまう。  「……あァッ……すい……」  「んッ、」  控えめな雄芯はふるふると震えるだけで、何も吐き出さない。ああ、後ろだけでイッているんだ。ひくつく後孔がぎゅっと彼を締め付けると、翠は思わず声を漏らした。  「っ、まって……」  「大丈夫?」  「とまんない……」  「かわいい」  そんな言葉すら、快感に変わる。  気持ちいいのが続いて戻ってこれない。  こんなの初めてで怖いぐらいなのに、ぎゅって抱き締められたら愛おしさが勝ってしまう。翠の背中に腕を回せば、またキスを落とした彼の表情から余裕が消えた。  「陽、動くよ」  「……んぅっ……ああッ……」  「はぁ……っ、好きだよ……もう一生離さない……」  「翠……僕も……僕も好きっ……」  同じ気持ちを抱いて、想いが通じ合って、途方もない愛に包まれる。僕たちがこうしていられるのは、翠の努力の結晶だ。一度は全てを諦めた僕のことを、翠は決して諦めなかった。  何にも持っていなかった、ただの平凡な大学生を世界で一番幸せな人にしてくれた。翠がいなかったら、僕はきっと誰かを愛する尊さを知らなかっただろう。  空っぽだった僕に愛を与えてくれて、ありがとう。ベータだった僕を見つけて、追いかけて、運命にしてくれてありがとう。  「陽、」  「……ん」  「愛してる」  「僕も、愛してる」  何度も伝えたくて、どうしても伝えられなかった言葉が自然と口から出る。もう、伝えることに怯えなくていい。これからはどれだけ愛の言葉を囁いたって、それを咎める人はいないんだ。そう思ったら、嬉しくって涙が滲む。  「……泣かないで」  「幸せなだけだよ」  「それでも、陽には笑っていてほしい」  「ふふ、翠と一緒ならずっと笑っていられるよ」  心からの言葉なのに、翠の綺麗な瞳に涙が浮かんだ。同じ気持ちでいられること、同じだけの愛を感じること、彼の全てが愛おしくて何よりも尊い。  翠が最奥を穿つ。自分の指では決して届かないその場所を拓かれて、思わずぎゅうっと締め付けてしまう。嬌声を抑える暇もなく、僕はただ翠にしがみつくことに必死になった。  「陽、」  「……んっ……」  「俺と、家族になって……」  「っ、うん……なる……なりたい……」  僕の答えを聞いた翠は幸せそうに微笑んだ。優しく口付けながら、翠が最奥で射精するのを感じてびくびくと全身を震わせる。何度も降ってくるキスを受け止めながら、必死に息を整える。  「ごめん、もっかい」  「ん……もっとして……」  それから何度絶頂を迎えたのか分からないほど、最後には意識を飛ばしてしまうまで僕らはお互いを求め続けた。空白の期間を取り戻すみたいに、夢中だった。  「……陽?」  静かな夜だ。翠の腕の中で目が覚めて身じろぐと、起きていたのか、翠が小さな声で名前を呼んだ。ゆっくりと目を開ければ、こちらをまっすぐに見つめる世界で一番美しい瞳と目が合ってほんの少しだけ照れくさい。  「ごめんね、無茶させた。身体は大丈夫?」  「うん、平気」  あんなに辛かったヒートも落ち着いている。翠が隣にいるだけで心から満たされているのが分かる。確かに腰は少し痛むけれど、これは幸せな痛みだ。僕を気遣って摩ってくれる翠の手が嬉しいから、何にも気にならない。  「陽」  「ん?」  「……お願い、聞いてくれる?」  「うん」  何だろうと首を傾げながらも頷けば、翠の指が僕の項を撫でた。  「改めて、項を噛ませてほしい」  「っ、うん」  既に番になっているなら、そこに証は刻まれているはず。だけど、今日がふたりの新しいスタートだから。翠の提案が嬉しくないはずがなかった。  くるっと後ろを向いて翠の眼前に項を晒すと、何度も優しいキスが落ちてくる。焦らされているような気分になって、熱い息を漏らした。  「……翠、」  名前を呼べば、僕の期待が伝わったのか、歯が当てられる。待ちわびた感覚にぶるりと背筋が震えた。  「んッ」  じんわりと広がる痛み。僕の中のオメガ性が歓喜しているのが分かる。ぶわりと広がるフェロモンに息を荒くした翠の硬いものが当たっている。ああ、これが欲しい。  「翠、挿れて……」  「でも、」  「翠が欲しいの」  「っ、」  羞恥心なんて消え失せて、口から出るのはただの欲望。僕の身体を気遣っている翠には悪いけれど、今はただ翠だけを求めている。  僕の我儘に折れた翠は自身を落ち着かせるように「ふーっ……」と大きく息を吐き出した。とろとろに溶けた後孔を指先で確かめられた後、翠のモノがゆっくりと挿入ってくる。  言わば後側位の体位。横になったまま挿入されるのに慣れていなくて、いつもとは違うところに当たって感じてしまう。  足を絡め合って、密着した身体の熱で溶けてひとつになってしまいそう。何度も項に唇を落とされる度にびくんと身体が跳ねた。激しいピストンじゃなくて、ゆっくりとした動きに少しずつ高められていく。  甘い熱に囚われたまま、戻ってこれない。自分が自分じゃなくなるかんじ。二年分を補うみたいに翠を求めて、求められて……。  「すきっ……翠、もっと……」  「陽、愛してる……」  好きだって気持ちを嘘偽りなく素直に伝えられるのが嬉しくて、腰を掴んでいる翠の手をぎゅっと握った。  窓の月の様子を気にする余裕もないまま、盛りのついた獣みたいに求め合った僕たちは気づけば夜を越えていた。

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