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「パパはファミリーで過ごすって、今年孫できたからさ」
頬を膨らめたレオは、つまらなそうにスマホを覗いた。
「去年はーーー」
「スペインで一緒にバカンスした、一昨年はマンダリン・オリエンタルのスイートにステイ、その前はスイスでスキーして…ボクはスノボだけど、その前はバークシャーのカントリー・ハウスで過ごした…クリーヴデンて行ったことある?」
「俺があると思うか?」
「ない」
「それで、ついに今年は捨てられたわけだ」
「捨てられてない!」
スマホを覗いたまま、レオは俺の脇を肘でど突いた。
「何見てんだ?」
「え?ゲイ専用マッチングアプリ☆」
「こんな日に釣れるか?」
「だから今やってる!」
「お前らしくない」
「何が?」
「オメカシして、これみよがしにゲイバーの前で立ちんぼなんかしてーーー」
「このコートよくない?クリスマス仕様」
「その香水は好きじゃない、いつものほうがいい」
「どーも、そういうことは普段から言ってほしーーー」
「ウチくるか?」
なんとなくそう言っていたのは、寒々しい盛り場でひとり、カラ元気を装うヤツを見過ごせるほど他人というわけでもなかっただけで、特に深い考えはなかった。しいて言えば、少しずつ冷え込んできていて、突っ立ってるだけじゃ寒くてそろそろ帰りたかった。
空を見れば、今にも雪が落ちてきそうな雲が垂れ込めている。
「なんで?」
ぽかんとしたレオは、大きな目をかっ開いて俺を見つめた。
「別に、こんな日だから」
「…いいね!」
会心の営業スマイルを作ったレオは、あっさりスマホをしまった。そして俺の左手の袋(ビール缶じゃないほう)をひったくると腕を組んで歩き出したから、俺もつられて歩いた。
「刑事のくせに男娼お持ち帰りとか、ノーマンはやっぱ変わってる」
「警部って言え、警察だって女も男も買うだろ」
「こんな堂々買わない」
「言っとくが俺は買う気はないし、これは持ち帰りじゃない」
「とりあえず飲み行こーよ」
「だからどこもやってないだろ」
「カムデン・タウンのクラブはやってるって」
「男漁りなら一人で行け」
エドワード劇場の角を左に曲がると、あからさまに体をすり寄せてきたレオを好きにさせた。誰かに見られたところで都合が悪いのは圧倒的に俺ではあるが、今更感もある。
「じゃあ、スケートしに行かない?」
ウキウキしながら、左肩にごつごつ頭をぶつけるレオは、ますます犬か猫みたいだった。
「どこに?」
「サマセットハウスのか自然史博物館のか…ハイド・パークのクリスマス・マーケットにもあるよね?」
「だから、今日はどこもやってない」
「よく知ってんね!?」
「俺は生活安全課だぞ?ロンドンのイベントは一通り知ってる」
「ざんねん」と言うわりに、その声は明るく、足取りは弾んでいる。
「…で、ノーマンちってどこ?」
「BTタワーの近く、すぐそこだ」
長い付き合いはあっても、立場的に個人的なことは積極的には明かしてこなかった。界隈の多くからは、恐らくソーホーに住んでると思われているだろうが、ウチには寝に帰るだけで間違ってはいない。
「すぐそこでもない」
「10分ちょっとも歩けばつく…お前こそここらへんだっけ?」
「そお、すぐそこ…スクエア・ガーデンズの裏のフラット」と行く先を指したレオは、「うちの大家さん、あの古本屋の店主さんだよ」と少し振り返った。
「ああ、あれか…」
つい今しがた通り過ぎたばかりの古書店は、入れ替わりの激しい街並みに点在する、いつまでも変わらない景色の一つだった。店主の家系は古くからここらの地主らしく、古書店は道楽か趣味だろうということくらいしか知らないのは、店主は夜の街の顔ぶれじゃないからだ。
「何年借りてる?」
「えーと…もう15年くらい?」
「長いな!」
顔が広いレオだが、付き合う相手と客はちゃんと選ぶ。俺より付き合いが長いとくれば、相手はこの街じゃ珍しく真っ当な部類だろう。ごくたまに見かける店主を思い出そうとしても、見るからに人がよさそうな紳士というふんわりしたイメージしか浮かばなかった。
「何?取り調べみたい」
「そうじゃない」
「パクられたみたいで楽しい」
クスクスと俺にしなだれるレオは、すっかり営業モードのスイッチが入っているようだった。
「知りたがりの癖だ…あの店主ってどんな人?」
「アンドルーさん?かわいい人だよ」
「かわいい????」
「それと、親切でいい人、部屋を勝手に改装しても文句ひとつ言わないし」
「へぇ、断りは入れろよ」
スクエア・ガーデンズを突っ切ってソーホーを抜け、オックスフォード・ストリートの赤信号で立ち止まると、レオが「タバコは?」と俺を覗いた。
レオは普段、タバコを吸わないが、喫煙者といる時は適度に吸う。
彼がいつまでもソーホー屈指の人気ボーイとして君臨しているのは、天性によるところが大きい。
相手の望みを的確に読み取ることができるレオは、客に合わせて表情(かお)や性格まで変わる。それも無自覚に、難なく相手好みの理想(キャラ)で振る舞うことができる彼は、まるでカメレオンのようだと思う。
以前、「役者でもやったらいい」と彼に言ったことがあるが、レオは「興味ないもん」と笑い飛ばした。ボーイをしてるのは「セックスが好きだから」だそうで、それ以上のことは知らない。互いに個人的なことに踏み込み過ぎないのが、夜の街の、特に風俗界隈のルールだ。
「手が塞がってる」
持っていた袋を戻して俺の両手を塞いだレオは、俺のコートのポケットを探った。
「違う、ジャケットの左」
タバコとライターを取り出したレオは、1本取り出して火をつけた。そしてそれを俺に吸わせると、もう一度うまそうにふかした。
「介護されてるみたいだ」
「うん」
横断歩道を渡ってフィッツロビア(地区)に入ると、街は一層ひっそりとしていた。表通りは賑やかなこの辺りも、路地に入ればテラス・ハウスやミューズ・ハウスが立ち並び、都市の真ん中にこぢんまりとした住宅街が隠れている。
人気(ひとけ)のない路地で、また腕を組んだレオがぴったり体を寄せた。
交互にタバコを吸いながら、しばらく、俺にぶら下がる勢いでもたれる男のことを考えていた。
深く考えずに連れて来たものの、ウチは贅沢慣れした高級男娼が喜ぶような部屋じゃなく、十分な酒も、それ以前に本当に何もない。第一、来客のための準備がなかった。
そして、俺の借りてるテラス・ハウスまで来たところで、足を止めて言った。
「なぁ」
「何?」
「ホテルでも行くか?」
「は?どこ??」
わけわからんという顔で俺を見上げたレオは、タバコの燃えさしを放り捨てた。
「どこって…なんか近場の高級なとこだ、サヴォイとかクラリッジズとかリッツとか…さっき言ってたマンダリンとか、お前が知ってるようなーーー」
「いきなり何?どういうこと!?」と訝しむレオに思わず苦笑する。
今日だって、いつものスーツに5年は着てるくたびれたコートの俺は、そういう場所とは無縁に見えても仕方がない。
「別に、ウチよりそういう所のほうがお前はいいだろーと思っただけーーー」
「そんな金、あんの?」
「これでも金はある」
嘘でも、見栄を張ってるわけでもない。独り身なうえ、飲むかギャンブルくらいしか金の使い道はなく、お高いホテルの1泊や2泊くらい払える余裕はあった。
「………」
「ホテルならルームサービスがあるし、綺麗な寝床も寝間着もあるだろーーー」
「スパも」
「俺んちじゃ史上最低のがっかりクリスマスだーーー」
「別にいーよ、ノーマンちで」
フフンと鼻を鳴らしたレオに腕を引っ張られて、「ここだ」と踏ん張った。
「そーなの?」と顔を上げたレオの髪に、白い粒が落ちた。
「…雪だ」
「あっ、雪ー」
空を仰いで「ますますノーマンちでいいよ、寒いし」とニッコリしたレオは、よくわからないがとても楽しそうに見えた。
「…文句言うなよ?」
「百も承知で来てる」
「そーかよ」
なんて言ってる間に雪がみるみる落ちてきて、レオと俺はウチの玄関に駆け込んだ。
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