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「テキトーに寛(くつろ)いでくれ」 リビングにレオを促した途端、レオは俺の足元に跪いた。 微塵の躊躇(ためら)いもなくベルトに手をかける彼に、男娼ってこういうもんかと驚き呆れつつも感心しながら、股間に顔を埋めようとした男の頭を慌てて押し返した。 「おい、なんのつもりだよ」 「フェラだけど?」 「ばかやめろ」 「なんで!?」 「俺はお前を買ってない」 「あそう」 「俺んちじゃ売春禁止だ」 「残念、クリスマス大サービスするのに…」 やれやれみたいな空気で腰を上げたレオは、部屋を見回して吹き出した。 「まーじでゼロクリスマス」 「独り身で飾り付けなんてするか?」 「まーボクもしない、っていうかだいたいパパの別宅にいてろくに家に帰らないけど」 「言ったろ、がっかりって」 「別に」と小首を傾(かし)げたレオは、シェルフやらキャビネットやらをうろうろと確認した。 散らかった部屋には、テレビとソファとローテーブルくらいしかない。 「見ての通り、なんもない」 「懐かしいニオイがする」 「…懐かしい??」 「うん、女っ気のないドクダンの部屋のニオイ、売れる前によく行った」 「ドクダン?」 「独身男」 「…着替えてくるからテキトーにお茶でも飲んでてくれ、キッチンはそっち」 「あーい」とそわそわキッチンに向かうレオの様子が、少し引っかかった。 着替えて戻ると、リビングのテーブルにはご丁寧に俺の分までお茶が用意してあった。 ソファで賑やかなトーク番組を見ていたレオは、カットソーとスウェット姿の俺を見てけらけら笑った。 「ノーマンの私服、初めて見た」 「私服ってより部屋着だ」 「すごい、スーツじゃないと普通におぢだね」 「スーツでもおじだろ」 「おぢ好き」とニヤニヤしてるが、レオは俺の10くらい歳下だったか。出会った頃はピチピチしてた彼も今はさすがに若くはないが、変わらず美人で、歳を重ねるにつれて色っぽさに磨きをかけていた。 「飯食うか?」 「食べる!」 中華と冷凍庫から発掘したピザやパスタをレンチンして、テーブルに広げた。ビールだけじゃ味気なく、いつ買ったか定かじゃない赤ワインを並べれば、まずまずのディナーにはなったと思う。 でかくはないソファのレオの隣に掛けて、揃ってビールを開けた。特に何を祝うわけでもないが、缶を掲げると、レオも掲げた缶をぶつけた。 「かんぱい」とはにかんでビールに口をつけたレオに、やっぱり違和感を覚える。 「…お前、なんか様子おかしくないか?」 「え、そう?」 「落ち着きない」 「だってさぁ…」 エビチリを「おいち」とビールで流し込んだレオは、わざとらしいため息をついた。 「男の部屋行ったら即ファックが当たり前だからさ、調子狂う」 「それを当たり前にすんなよーーー」 「ボクはそうなの!」 「ダチんち行ったらしないだろ?」 「トモダチみたのいないし」 「…とにかく、俺はお前の客じゃない」 「…」 「フツーにしてろよ」 「ウン」 結局、しばらくレオはそわそわしてたが、気にするのをやめた。俺が変に意識してやらないほうがいい。 寄せ集めの飯を大方食べ終わる頃には大人しくなったレオは、ビールを4本空けてすっかりご機嫌になった。2本の俺は飲み足りないが、満足してくれたならいいと思う。 それから、「風呂入れよ」と言うと、「ナンデ?」と眉をひそめたレオは、相変わらずいつもの男娼セオリーしか頭にないらしい。どんなもんかは知らないが。 「外にいて冷えたろ、あったまってこい、バスタブあるぞ」 「いいの??」 「好きにしろ」 「…する!」 「後で着替え置いとく」 脱衣所に連れてくと、あっちこっち覗いたレオは「結構まともな家に住んでんね」と感嘆した。 ウチはテラス・ハウスタイプのメゾネットで、2階と3階を借りている。2階はダイニング・キッチンとリビングと浴室・洗面所(脱衣所)とトイレ、半屋根裏の3階は物置きと自室兼寝室で、独り身には十分広い。物を溜め込む趣味はなく、最低限の家具があるだけの空っぽな眺めは、かえって整って見えるかもしれない。 レオが1時間も風呂に入ってる間、俺はテーブルを片付け、新聞に目を通し、ネットで競馬の情報をチェックした後で、TVを眺めながらぼーっとしていた。普段、飲んで真夜中に帰宅する生活をしていれば、ウチで過ごす時間を持て余してしまう。 レオが風呂から出た音がして、お茶を淹れるとティーバッグが底をついた。 「おふろサンキュー、でもシャンプーはイマイチだしスキンケアがない、お顔が乾燥しちゃう」 ブーブー言いながら出てきたレオは、俺の着古したスウェットの上下を素直に着ている。普段の俺の寝間着だが、これしかないからやむを得ない。 俺を覗いたレオが「ミルクもほしい」と冷蔵庫を開けたが、ミルクの消費期限は昨日で切れていた。考えもなく人を呼んだりするもんじゃない。 それでも、お茶のマグになみなみミルクを注いでソファに収まったレオは、めんどくさくないヤツだった。 「長風呂すぎんか?」 「床の汚れが気になっちゃって、ちょっと洗ってた」 「おま、いつもそんなことしてんのか!?」 「まさか、するわけない」 「汚くて悪かったな」 「べつに、したくてしたし」 「…そーか、さんきゅ」 頭からタオルをすっぽり被ったレオを覗き込むと、バツが悪そうに目をそらした顔に思わずぎょっとしていた。知っているようで知らないその顔は、化粧を落としたんだとわかるのに時間がかかったのは、あまりにもレオの素顔を知らな過ぎたからだと思う。 「…ちょっと、じろじろ見ないでくれる!??」 猫みたいに俺を威嚇したレオは、顔を隠すようにマグに口をつけた。 「お前…」 「なに!??」 「キレーな顔してんな」 化粧で造り上げた顔より、よっぽどそう見える。素直な感想だった。 「ちょっとヤダー、男にスッピン晒すのなんていつぶり?はずかしー!むりー!!!」 「パパには見せてんだろーーー」 「それとこれは別〜〜〜」 「別にいーだろ、減るもんじゃない…」 このままガタガタ言われるのはごめんなので、さっさとテレビに顔を向けると、レオが何かもごもご言った。 「ん?」 「なんかこれ…」 「何?」 「オトマリみたいで楽しい♡」 「…そーか?」 「うん」 「なら、よかった」 「ねぇ、映画観よ?」 「DVDとか持ってない」 「ちょっと貸して」 リモコンを取り上げたレオは、テレビに向かって操作を始めた。 慣れた様子を見れば、こういうことをよくしているのがわかる。 しばらくして、何やら動画配信サービスの設定を済ませた彼は、「これ観よ」と『プリティー・ウーマン』の再生を始めた。 「このネトフリ、パパのアカウントなんだけど」 けろりと言ったレオは、俺の右肩にタオルを被った頭をもたれた。 右の腕に刺さる誰かに甘え足りない肩が、温かい。 「懐かしい」 「観たことある?」 「子供の頃に何度か…久しぶりだ」 「たまにはいーでしょ」 「まぁ…どうしてこれ?」 「大好き」 「なんで?」 「ジュリア・ロバーツかわいすぎるし」 「ああ」 「白馬の王子様がヤバいーーー」 「白馬の王子様がどうこうってより、たまたま太客に気に入られて玉の輿ゲットのシンデレラ・ストーリー的なやつじゃないか?」 「そうだけど、そういういらんこと言う!??」 「いらんって…」 「ノーマンそれじゃモテない」 「…けっこーだよ」 突然、「ねぇ、遊ぼーよ」とソファから飛び上がったレオが、意味不明で呆れた。 映画が始まってまだ10分、肝心のふたりはまだ出会ってもいない。 「映画観るんだろ??」 壁際に積んである段ボールや処分してないだけのゴミから何かを取って戻ったレオは、テーブルにジェンガの箱を置いた。 それは、5年ほど前、同僚の結婚式の引き出物としてもらったもので、捨てるにも捨てられず放置していた。 「これやろ!」 「これ??」 「もしかして、一度も開けてない??」 さっそくレオは木のブロックをじゃらじゃら広げて、仕方なく床に腰を下ろして手伝った。 目の前で真剣に積み木に挑むすっぴん顔が、とっとと開き直ってくれてよかったと思う。 「あぁーーー」 「なんで?」 「コレ、同僚の結婚式の引き出物だ」 「へぇ」と木を積みながら、結婚した両人の名前が刻印されたパーツを見つけたレオは、名前を読み上げて「この人達、今も円満?」と聞いた。 同僚といっても今は部署が違うし、別に親しいわけじゃない。つまり、そんな俺も、ダチと呼べるような人間はいなかった。 「…さァ、別れたとは聞いてない」 「フーン」 組み立てをレオに任せて、まだ手をつけてなかったワインを開けた。 洒落たグラスなんてなく適当なコップで渡したが、レオは喜んで飲んだ。 玩具のタワーが完成して、交互にブロックを抜いては積んでいった。 黙々と玩具にかじりつく側で、誰も観ていない映画が賑やかに進んでいる。 タワーがぐらついてくると、レオが小さく口を開いた。 「…タバコ、吸わないの?」 「…室内禁煙、吸うなら窓開けてそこで吸う」 窓の向こうでは、雪の粒が大きくなっていた。 「…リチギに守ってんだ」 「…立つ鳥跡を濁したくない」 「…まじめー…引っ越す予定とかあんの?」 「…ないけど」 「…ふーん」 「…あ、あぶね」 「…ノーマンは、男が好き…?」 ちょうど引っ張ったブロックを抜いた時、タワーが倒れて派手に散らばった。 集めたブロックをもう一度組み立てていると、ワインを煽ったレオが「図星だ」とニヤニヤした。 「図星じゃないし、買ったこともない」 「…でも、男を知ってるって顔、してる…」 早速積んだブロックを抜いたレオは、俺を見透かす目を細めた。 「……成り行きだよ」 「…そう」 「…別に好きとかじゃない、ケツなら男も女も変わらない」 「フフッ」 ヘラヘラしながら、レオは器用にブロックを抜いた。 「…ノーマンは、結婚したことないの?」 「…ない」 「…願望も?」 「…縁はまぁ、あった」 「…ふーん」 「…が、タイミングを逃してそれきり」 「…へぇ…」 「…で、お前は?」 「…?」 「…結婚願望とかないの?」 ぶはっと派手に吹き出したレオは、タワーが崩れないよう慌てて声をひそめた。 「…そんなんあったらボーイしてない」 「…別にボーイだって結婚したっていいだろ」 「…」 「…」 「…あのね」 「?」 「…白馬の王子様は、ボクんとこには来ないの」 「…」 「こんなの、ファンタジーって…」 テレビを親指で示したレオは、肩をすくめてタワーに手を伸ばした。 映画のシーンは、金持ちがコールガールを高級ブティックに連れて行くところだった。 その先の憧れの結末は、夢物語だ。 「…それくらい、わかってんの」 大雑把にブロックを抜いて派手にタワーを崩したレオは、いたずらっぽく笑った。 その顔がどうしようもなくやるせなく、寂しく見えた俺は、タバコに誘うことくらいしかできない。 いつの間にか。風が出てきたのか、窓の外は雪が舞い散っていた。 少しだけ上げた窓の下に、レオと並んで腰を下ろした。 タバコをそれぞれ一口ふかした後、レオが口を開いた。 「…ね」 「あ?」 「なんで、ボクをお持ち帰りしたの?」 「持ち帰りじゃないし言っただろ、こんな日だから」 「こんな日って何ーーー」 「クリスマスは誰かと過ごすもんだって、相場は決まってんだろ?」 「いつも誰か誘ってるの?」 「ひとりだ」 「何それ、今年は気まぐれ?」 「お前がたまたまいただけ」 「ってか寒、無理」 窓から滑り込む冷気が容赦なく背筋を冷やして、レオは俺にぴったりくっついていた。 ひとしきり寒さにボヤきながらニコチンを吸った後で、レオと俺は、懲りずにジェンガを再開した。 それから、『プリティー・ウーマン』が終わるまで、勝敗を競いもせず、罰ゲームを設けるわけでもなく、ただただブロックを積んでは崩し続けていたのは、単にそれが楽しかったからだと思う。 一人でワインのボトルの3分の2を空けたレオは、、映画が終わる頃にはウトウトしてテーブルに突っ伏していた。 本当ならまともなベッドを提供したいところだが、ゲストルーム以前に簡易ベッドすらない。万年床状態の俺のベッドをさぁどうぞと差し出すわけにはいかず、ソファで寝てもらうしかなかった。 ソファに引っ張り上げたレオにブランケットを掛けてやって、俺は上階の寝室に行った。 ベッドに潜り込んで目を閉じると、なんとなく、去年までの12月25日を思い出していた。 去年は、詐欺のケースを追っていてオフィス泊り。一昨年は、珍しく非番で一日ウチで寝ていた。その前は、夕方に劇場街で起きた殺人未遂のおかげでオフィス泊り。その前は、今日みたいな感じでウチで飲んですぐに寝た。その前の前は何かしらで遅い帰宅になって、寝るだけだった。 その前の5年も似たようなものだったはずで、過去10年、今年が一番いい夜だったと思う。 …アイツにとっては、最悪かもしれないが。明日、一言謝っとこう。 とまで考えた時、「ノーマン!」と呼ぶ声が階段を上ってきて、別に謝らなくていいかと思い直した。俺なんかよりアイツのほうがよっぽど気ままだ。 ドアからまっすぐこちらに来たレオは、頭からすっぽり被ったブランケットの奥から「寒い」と文句を言った。 この家のヒーティングの効きの良さはよく知っているし、この男のことも知らないわけじゃない。 「ほら」 布団を上げてやり、するりと脇に潜り込んで無言で腕枕をねだるレオに、肩を貸してやった。 「…いい部屋じゃん」 屋根の天窓に気づいたレオが、ぽつりと言った。 屋根裏のここは、天井が少し低い。今にも雪にすっかり埋もれそうな天窓が2つ、ナイトライトを浴びて白く光っている。 「星を眺めながら寝る」 「いいね」 「…嘘だ、だいたい酔っ払っててすぐ寝落ちる」 「なんで嘘つく」 「………」 「…ノーマン?」 「ん」 「ファックしたい」 独り言みたいな呟きが、冗談じゃないことくらいわかっていた。 こんな夜は、何よりも人肌が温かい。ただそれだけのことだ。

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