4 / 10
* * *
「テキトーに寛(くつろ)いでくれ」
リビングにレオを促した途端、レオは俺の足元に跪いた。
微塵の躊躇(ためら)いもなくベルトに手をかける彼に、男娼ってこういうもんかと驚き呆れつつも感心しながら、股間に顔を埋めようとした男の頭を慌てて押し返した。
「おい、なんのつもりだよ」
「フェラだけど?」
「ばかやめろ」
「なんで!?」
「俺はお前を買ってない」
「あそう」
「俺んちじゃ売春禁止だ」
「残念、クリスマス大サービスするのに…」
やれやれみたいな空気で腰を上げたレオは、部屋を見回して吹き出した。
「まーじでゼロクリスマス」
「独り身で飾り付けなんてするか?」
「まーボクもしない、っていうかだいたいパパの別宅にいてろくに家に帰らないけど」
「言ったろ、がっかりって」
「別に」と小首を傾(かし)げたレオは、シェルフやらキャビネットやらをうろうろと確認した。
散らかった部屋には、テレビとソファとローテーブルくらいしかない。
「見ての通り、なんもない」
「懐かしいニオイがする」
「…懐かしい??」
「うん、女っ気のないドクダンの部屋のニオイ、売れる前によく行った」
「ドクダン?」
「独身男」
「…着替えてくるからテキトーにお茶でも飲んでてくれ、キッチンはそっち」
「あーい」とそわそわキッチンに向かうレオの様子が、少し引っかかった。
着替えて戻ると、リビングのテーブルにはご丁寧に俺の分までお茶が用意してあった。
ソファで賑やかなトーク番組を見ていたレオは、カットソーとスウェット姿の俺を見てけらけら笑った。
「ノーマンの私服、初めて見た」
「私服ってより部屋着だ」
「すごい、スーツじゃないと普通におぢだね」
「スーツでもおじだろ」
「おぢ好き」とニヤニヤしてるが、レオは俺の10くらい歳下だったか。出会った頃はピチピチしてた彼も今はさすがに若くはないが、変わらず美人で、歳を重ねるにつれて色っぽさに磨きをかけていた。
「飯食うか?」
「食べる!」
中華と冷凍庫から発掘したピザやパスタをレンチンして、テーブルに広げた。ビールだけじゃ味気なく、いつ買ったか定かじゃない赤ワインを並べれば、まずまずのディナーにはなったと思う。
でかくはないソファのレオの隣に掛けて、揃ってビールを開けた。特に何を祝うわけでもないが、缶を掲げると、レオも掲げた缶をぶつけた。
「かんぱい」とはにかんでビールに口をつけたレオに、やっぱり違和感を覚える。
「…お前、なんか様子おかしくないか?」
「え、そう?」
「落ち着きない」
「だってさぁ…」
エビチリを「おいち」とビールで流し込んだレオは、わざとらしいため息をついた。
「男の部屋行ったら即ファックが当たり前だからさ、調子狂う」
「それを当たり前にすんなよーーー」
「ボクはそうなの!」
「ダチんち行ったらしないだろ?」
「トモダチみたのいないし」
「…とにかく、俺はお前の客じゃない」
「…」
「フツーにしてろよ」
「ウン」
結局、しばらくレオはそわそわしてたが、気にするのをやめた。俺が変に意識してやらないほうがいい。
寄せ集めの飯を大方食べ終わる頃には大人しくなったレオは、ビールを4本空けてすっかりご機嫌になった。2本の俺は飲み足りないが、満足してくれたならいいと思う。
それから、「風呂入れよ」と言うと、「ナンデ?」と眉をひそめたレオは、相変わらずいつもの男娼セオリーしか頭にないらしい。どんなもんかは知らないが。
「外にいて冷えたろ、あったまってこい、バスタブあるぞ」
「いいの??」
「好きにしろ」
「…する!」
「後で着替え置いとく」
脱衣所に連れてくと、あっちこっち覗いたレオは「結構まともな家に住んでんね」と感嘆した。
ウチはテラス・ハウスタイプのメゾネットで、2階と3階を借りている。2階はダイニング・キッチンとリビングと浴室・洗面所(脱衣所)とトイレ、半屋根裏の3階は物置きと自室兼寝室で、独り身には十分広い。物を溜め込む趣味はなく、最低限の家具があるだけの空っぽな眺めは、かえって整って見えるかもしれない。
レオが1時間も風呂に入ってる間、俺はテーブルを片付け、新聞に目を通し、ネットで競馬の情報をチェックした後で、TVを眺めながらぼーっとしていた。普段、飲んで真夜中に帰宅する生活をしていれば、ウチで過ごす時間を持て余してしまう。
レオが風呂から出た音がして、お茶を淹れるとティーバッグが底をついた。
「おふろサンキュー、でもシャンプーはイマイチだしスキンケアがない、お顔が乾燥しちゃう」
ブーブー言いながら出てきたレオは、俺の着古したスウェットの上下を素直に着ている。普段の俺の寝間着だが、これしかないからやむを得ない。
俺を覗いたレオが「ミルクもほしい」と冷蔵庫を開けたが、ミルクの消費期限は昨日で切れていた。考えもなく人を呼んだりするもんじゃない。
それでも、お茶のマグになみなみミルクを注いでソファに収まったレオは、めんどくさくないヤツだった。
「長風呂すぎんか?」
「床の汚れが気になっちゃって、ちょっと洗ってた」
「おま、いつもそんなことしてんのか!?」
「まさか、するわけない」
「汚くて悪かったな」
「べつに、したくてしたし」
「…そーか、さんきゅ」
頭からタオルをすっぽり被ったレオを覗き込むと、バツが悪そうに目をそらした顔に思わずぎょっとしていた。知っているようで知らないその顔は、化粧を落としたんだとわかるのに時間がかかったのは、あまりにもレオの素顔を知らな過ぎたからだと思う。
「…ちょっと、じろじろ見ないでくれる!??」
猫みたいに俺を威嚇したレオは、顔を隠すようにマグに口をつけた。
「お前…」
「なに!??」
「キレーな顔してんな」
化粧で造り上げた顔より、よっぽどそう見える。素直な感想だった。
「ちょっとヤダー、男にスッピン晒すのなんていつぶり?はずかしー!むりー!!!」
「パパには見せてんだろーーー」
「それとこれは別〜〜〜」
「別にいーだろ、減るもんじゃない…」
このままガタガタ言われるのはごめんなので、さっさとテレビに顔を向けると、レオが何かもごもご言った。
「ん?」
「なんかこれ…」
「何?」
「オトマリみたいで楽しい♡」
「…そーか?」
「うん」
「なら、よかった」
「ねぇ、映画観よ?」
「DVDとか持ってない」
「ちょっと貸して」
リモコンを取り上げたレオは、テレビに向かって操作を始めた。
慣れた様子を見れば、こういうことをよくしているのがわかる。
しばらくして、何やら動画配信サービスの設定を済ませた彼は、「これ観よ」と『プリティー・ウーマン』の再生を始めた。
「このネトフリ、パパのアカウントなんだけど」
けろりと言ったレオは、俺の右肩にタオルを被った頭をもたれた。
右の腕に刺さる誰かに甘え足りない肩が、温かい。
「懐かしい」
「観たことある?」
「子供の頃に何度か…久しぶりだ」
「たまにはいーでしょ」
「まぁ…どうしてこれ?」
「大好き」
「なんで?」
「ジュリア・ロバーツかわいすぎるし」
「ああ」
「白馬の王子様がヤバいーーー」
「白馬の王子様がどうこうってより、たまたま太客に気に入られて玉の輿ゲットのシンデレラ・ストーリー的なやつじゃないか?」
「そうだけど、そういういらんこと言う!??」
「いらんって…」
「ノーマンそれじゃモテない」
「…けっこーだよ」
突然、「ねぇ、遊ぼーよ」とソファから飛び上がったレオが、意味不明で呆れた。
映画が始まってまだ10分、肝心のふたりはまだ出会ってもいない。
「映画観るんだろ??」
壁際に積んである段ボールや処分してないだけのゴミから何かを取って戻ったレオは、テーブルにジェンガの箱を置いた。
それは、5年ほど前、同僚の結婚式の引き出物としてもらったもので、捨てるにも捨てられず放置していた。
「これやろ!」
「これ??」
「もしかして、一度も開けてない??」
さっそくレオは木のブロックをじゃらじゃら広げて、仕方なく床に腰を下ろして手伝った。
目の前で真剣に積み木に挑むすっぴん顔が、とっとと開き直ってくれてよかったと思う。
「あぁーーー」
「なんで?」
「コレ、同僚の結婚式の引き出物だ」
「へぇ」と木を積みながら、結婚した両人の名前が刻印されたパーツを見つけたレオは、名前を読み上げて「この人達、今も円満?」と聞いた。
同僚といっても今は部署が違うし、別に親しいわけじゃない。つまり、そんな俺も、ダチと呼べるような人間はいなかった。
「…さァ、別れたとは聞いてない」
「フーン」
組み立てをレオに任せて、まだ手をつけてなかったワインを開けた。
洒落たグラスなんてなく適当なコップで渡したが、レオは喜んで飲んだ。
玩具のタワーが完成して、交互にブロックを抜いては積んでいった。
黙々と玩具にかじりつく側で、誰も観ていない映画が賑やかに進んでいる。
タワーがぐらついてくると、レオが小さく口を開いた。
「…タバコ、吸わないの?」
「…室内禁煙、吸うなら窓開けてそこで吸う」
窓の向こうでは、雪の粒が大きくなっていた。
「…リチギに守ってんだ」
「…立つ鳥跡を濁したくない」
「…まじめー…引っ越す予定とかあんの?」
「…ないけど」
「…ふーん」
「…あ、あぶね」
「…ノーマンは、男が好き…?」
ちょうど引っ張ったブロックを抜いた時、タワーが倒れて派手に散らばった。
集めたブロックをもう一度組み立てていると、ワインを煽ったレオが「図星だ」とニヤニヤした。
「図星じゃないし、買ったこともない」
「…でも、男を知ってるって顔、してる…」
早速積んだブロックを抜いたレオは、俺を見透かす目を細めた。
「……成り行きだよ」
「…そう」
「…別に好きとかじゃない、ケツなら男も女も変わらない」
「フフッ」
ヘラヘラしながら、レオは器用にブロックを抜いた。
「…ノーマンは、結婚したことないの?」
「…ない」
「…願望も?」
「…縁はまぁ、あった」
「…ふーん」
「…が、タイミングを逃してそれきり」
「…へぇ…」
「…で、お前は?」
「…?」
「…結婚願望とかないの?」
ぶはっと派手に吹き出したレオは、タワーが崩れないよう慌てて声をひそめた。
「…そんなんあったらボーイしてない」
「…別にボーイだって結婚したっていいだろ」
「…」
「…」
「…あのね」
「?」
「…白馬の王子様は、ボクんとこには来ないの」
「…」
「こんなの、ファンタジーって…」
テレビを親指で示したレオは、肩をすくめてタワーに手を伸ばした。
映画のシーンは、金持ちがコールガールを高級ブティックに連れて行くところだった。
その先の憧れの結末は、夢物語だ。
「…それくらい、わかってんの」
大雑把にブロックを抜いて派手にタワーを崩したレオは、いたずらっぽく笑った。
その顔がどうしようもなくやるせなく、寂しく見えた俺は、タバコに誘うことくらいしかできない。
いつの間にか。風が出てきたのか、窓の外は雪が舞い散っていた。
少しだけ上げた窓の下に、レオと並んで腰を下ろした。
タバコをそれぞれ一口ふかした後、レオが口を開いた。
「…ね」
「あ?」
「なんで、ボクをお持ち帰りしたの?」
「持ち帰りじゃないし言っただろ、こんな日だから」
「こんな日って何ーーー」
「クリスマスは誰かと過ごすもんだって、相場は決まってんだろ?」
「いつも誰か誘ってるの?」
「ひとりだ」
「何それ、今年は気まぐれ?」
「お前がたまたまいただけ」
「ってか寒、無理」
窓から滑り込む冷気が容赦なく背筋を冷やして、レオは俺にぴったりくっついていた。
ひとしきり寒さにボヤきながらニコチンを吸った後で、レオと俺は、懲りずにジェンガを再開した。
それから、『プリティー・ウーマン』が終わるまで、勝敗を競いもせず、罰ゲームを設けるわけでもなく、ただただブロックを積んでは崩し続けていたのは、単にそれが楽しかったからだと思う。
一人でワインのボトルの3分の2を空けたレオは、、映画が終わる頃にはウトウトしてテーブルに突っ伏していた。
本当ならまともなベッドを提供したいところだが、ゲストルーム以前に簡易ベッドすらない。万年床状態の俺のベッドをさぁどうぞと差し出すわけにはいかず、ソファで寝てもらうしかなかった。
ソファに引っ張り上げたレオにブランケットを掛けてやって、俺は上階の寝室に行った。
ベッドに潜り込んで目を閉じると、なんとなく、去年までの12月25日を思い出していた。
去年は、詐欺のケースを追っていてオフィス泊り。一昨年は、珍しく非番で一日ウチで寝ていた。その前は、夕方に劇場街で起きた殺人未遂のおかげでオフィス泊り。その前は、今日みたいな感じでウチで飲んですぐに寝た。その前の前は何かしらで遅い帰宅になって、寝るだけだった。
その前の5年も似たようなものだったはずで、過去10年、今年が一番いい夜だったと思う。
…アイツにとっては、最悪かもしれないが。明日、一言謝っとこう。
とまで考えた時、「ノーマン!」と呼ぶ声が階段を上ってきて、別に謝らなくていいかと思い直した。俺なんかよりアイツのほうがよっぽど気ままだ。
ドアからまっすぐこちらに来たレオは、頭からすっぽり被ったブランケットの奥から「寒い」と文句を言った。
この家のヒーティングの効きの良さはよく知っているし、この男のことも知らないわけじゃない。
「ほら」
布団を上げてやり、するりと脇に潜り込んで無言で腕枕をねだるレオに、肩を貸してやった。
「…いい部屋じゃん」
屋根の天窓に気づいたレオが、ぽつりと言った。
屋根裏のここは、天井が少し低い。今にも雪にすっかり埋もれそうな天窓が2つ、ナイトライトを浴びて白く光っている。
「星を眺めながら寝る」
「いいね」
「…嘘だ、だいたい酔っ払っててすぐ寝落ちる」
「なんで嘘つく」
「………」
「…ノーマン?」
「ん」
「ファックしたい」
独り言みたいな呟きが、冗談じゃないことくらいわかっていた。
こんな夜は、何よりも人肌が温かい。ただそれだけのことだ。
ともだちにシェアしよう!

