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* * *
目を覚ますと、10時を過ぎていた。左を見ると、レオの姿がなかった。
あれは夢だったのかもしれないと探った寝具は、生ぬるい体温が残っていた。
そのままうとうとしながら10分もすると、レオが忍び足で戻った。
「おはよ」と布団にそっと潜り込んだ彼は、当たり前みたいに俺を抱き枕にした。石鹸が香るほかほかした体は、シャワーを浴びたらしかった。
「…きれーだね」
「…ん?…ああ」
雪に埋もれた白い天窓が、仄暗い部屋を青白く照らしている。
「まだ起きないの?」
ひそひそと囁く声は、無理に起こす気はないらしい。
客の都合を邪魔しないのも、プロの流儀なんだろうと思う。
「…もー少しーーー」
「仕事行かないの?」
「今日は非番だ」と答えた途端、レオはがばっと俺の上に乗っかった。
「ウッソなんで黙ってたの!??」
さっきまでのひそひそから一転、うるさいくらい声を張るレオは元気いっぱいだった。
「なんでって、言う機会も必要も特にーーー」
「ねぇ、一発やろ?」
つやつやした顔を赤らめる彼は昨夜と何ら調子が変わらず、なんだか不思議な感覚になる。所詮はワンナイトで、身支度を済ませたらさっさといなくなるもんだとばかり思っていた。
「ばか、ゴム切れたってーーー」
「しっかり朝勃ちしてるじゃん♡抜いたげる」
「ばか、やめろ」
「むしろシックスナインする?」
「ばか、しない、腰を押し付けるな」
「じゃあオナニーするから見て?」
「じゃあってなんだばか、お前は性欲モンスターか」
「そーだけどばかばか言わないでよ!」
「すまん」
「やだ」
「そろそろ起きるからどいてくれるか?」
「どくから言うこと聞いて?」
「何」
「買い物、付き合って」
「わかった」と答えると、あっさりベッドを降りたレオは、「早く起きてよ」と布団をひっぺがした。
勢いで了承していたが、まいったなと思った。久しぶりの休日、ウチで寝てるつもりで特に予定も入れておらず、怠惰な目論見はまんまと外れた。
とは言ったものの、実際、まともな食糧や飲料は昨日のうちに底をついていて、買い物の提案は正しかった。かろうじて水道はあっても、都会の真ん中で遭難寸前に近い。
身支度をしながら、久々に励んだせいであちこち軋む体を確認した。
レオは、すっぴんで出るのを渋ってるくせに、「早く」と俺を急かした。
外に出ると晴れていたが、思った以上の雪景色だった。5センチ位は積もってそうな、この冬で一番の積雪だ。ウチの前の路地は、幾人かの足跡のほかはまっさらな雪が広がっている。
誰かの足跡を踏みながら、ソーホーとは逆のグージ駅方面へと向かった。
大通りを目指す間、左腕にぴったり腕を組んだレオは、ウキウキと跳ねて新しい足跡をざくざく作った。
「うっかりこけるからやめろ」と言っても聞きやしない男を支えてやりながら、ふと、何をしてるんだろうと我に返る。昨夜、軽い気持ちで声をかけた時はこんな展開は想像もしていなかった。それでも、白い息を弾ませる無邪気な横顔を盗み見れば、こういうのもまぁ悪くはないと思う。最後に誰かとこうして出かけた休日がいつだったのか、もう思い出せない。
グッジ・ストリートに出ると、雪にも関わらず、もしくは雪のせいか、街は心なしか高揚して見えた。
それもそのはず、今日はボクシング・デー。年に一度の大バーゲンの日で、レオが買い物なんて言い出したのも無理はない。
カフェや飲食店が立ち並ぶストリートを左に曲がり、ファスト・フードのスシ屋とスペイン料理店に挟まれたサンドイッチ店に入った。テイクアウトだけじゃなく奥のテーブルで食事やカフェ利用もできる店で、閉店は早めだが、終日朝食(ブレックファスト)を提供していたりと何かと便利で、普段からよく利用していた。
「ここ、よく来るの?」
メニューを覗いたレオは、キラキラと目を輝かせた。
改めて見ると、化粧のない素顔は妙に幼く見えて、愛らしいとさえ思えてしまう。
「…あぁ、よく来る」
「意外、ソーホー以外にも行きつけ、あるんだ」
「当たり前だ、ソーホーだけって不健康すぎるだろ」
「間違いない」
「ここは朝食もある、イタリア人がやってる店でパスタなんかもうまい、好きなの食べろ」
「うん!えー、迷う〜」
レオは、スモークサーモンとアボカドのブレックファストにトースト3枚、山盛りのチップスとソーセージ、それとミネストローネを追加した。俺は、いつものフル(・ブレックファスト)にトーストを1枚追加した。
ガツガツと空腹を満たしている間、特に会話はなかった。レオは俺よりよく食べたが、あれだけエネルギーを使っていればさもありなんで、豪快な食べっぷりは健康的で好ましい。
全てきれいに平らげた彼は、ジンジャー・ティーのカップを抱えてため息をついた。
ピンクに染まったその満足気な顔を見れば、こっちも十分過ぎるほど満たされた気がした。
「…ねぇ、ノーマン?」
「ん」
「お休みの日もそのカッコなの?」
カップの向こうから俺を眺めたレオは、ただ楽しそうだった。
俺は普段と同じスーツを着ているが、平日も休日も関係なくいつものことだった。
「あぁ、楽だからな」
「ちょっとそこのニュースエージェント(コンビニ)に買いに行くような時も!?」
「さすがにそれは部屋着だ」
「そお」
「まずいか?」
「ううん、そのカッコは見慣れすぎててノーマン!て感じするけど…そのスーツ、永遠に着てるの?」
「まさか、同じの7着持ってる」
「ウソでしょ!??」
「嘘だ、正確には似たようなのが3つ」
「…ていうか、それじゃリラックスできなくない?」
「慣れてるほうが楽だ」
「そーじゃなくて…休日モードにならなくない?」
「…まー、そーだな」
「まぁ、ノーマンがそれでいいなら別にいいけど…」
「どーも」
「ただー、デートにそれじゃちょっと色気がないな~って」
「最後にデートしたのは紀元前だーーー」
「もしかして、まともな私服ない!?」
「次に誰かとデートするなら礼服でも着てくよ」
「うける、ねぇ、そろそろ行こ」
レジに行くと、俺の腕を抱えたレオがサンドイッチの具材のショーケースを覗き込んだ。
「テイクアウトしてこーよ」
「ああ」
「どうしよっかな…おすすめ何?」
「…ブロッコリーとエビタルタルがうまい、俺は生ハムとマスカルポーネチーズにバジルソースかけたやつが好きだ」
「じゃあそれにする…すいませーん!テイクアウトで、ブロッコリーとエビタルタルを1つと、生ハムとマスカルポーネのバジルソースかけたのを2つください!」
「2つ?」
勘定をしようとすると、割って入ったレオがカードで払った。
「おいなんでーーー」
「いーから」
「よかないーーー」
「パパのカードだから、いーのいーの」
「そんなもんかよ…」
「キニシナイの☆」
けろりとして俺を外に引っ張り出したレオは、「ハイド・パーク行こ」とニヤリとした。
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