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当初の買い物はどこへやら、レオについて乗ったバスはハイド・パーク方面に向かった。 バスの中でも腕を組みっぱなしのレオは、窓の外を観光客かお上りみたいに眺めていた。 とても楽しそうな横顔を邪魔するのは悪い気がして、「買い物どうすんだ」とは言わないでいた。 ハイド・パークでは、移動遊園地も興行するロンドンいち規模のでかいクリスマス・マーケットが年明けまで開催されている。 昨日ちょろっと言ってたが、本当に来たかったらしいレオは、マーケットのヒュッテ(飲食や雑貨を売る屋台)や観覧車なんかのアトラクションを目にしては、ガキみたいにはしゃいだ。 別にそう珍しくもなく、いつだって来れるだろうとも思うが、普段なら客といたら客の都合が最優先なのか。昨日からの様子を見ていれば、好きなように生きてるように見えても、実際そんなことはないんだろう。そう思えば、今日くらい付き合ってやってもいいかと思えた。俺といえば、こんな機会か事件でもなきゃこんな所に来ることはない。 膨れた腹をさすりながら、残念そうに飲食の屋台を覗くだけ覗いたレオは、ジェットコースターだのお化け屋敷だの氷の城だのをチェックしているうちに、スケートリンクを見つけて声を上げた。 「あれ!行こ、やろ!」 「やだよ」と言ってみても、組んだ腕を問答無用で引っ張られる。 「なんでやだ??」 「得意でもないし、この格好でコケたくない」 「えー運動オンチなの??」 「そういうことにしてくれ」 「わかったー、じゃ、見てて」 するっと俺の手を離れたレオは、一人でさっさと受付を済ませた。そして靴を履き替えると、颯爽とリンクに飛び出していった。 しばらくの間、リンクを囲うサークルにもたれてぼーっとレオを眺めていた。 カップル達やファミリーの間を器用に縫って器用に滑走している彼は、時々俺の目の前に来ては「見ててよ」みたいなジェスチャーをして、また得意気な顔で滑っていく。 一人遊びが上手だなと感心していれば、どこかの子供と滑ったり競争してみたり、その子の親に会釈をしてみたりして、その気ままに遊んでる姿を見ていると、なんだか和んだ。 しかし、20分も突っ立ってればさすがに寒さがこたえて、飲食が集まってる小屋のテーブルに避難した。そして、もう20分もするとスマホが鳴って、レオから「どこ!?」と探された。 しばらくして「待たせてごめん」と駆けてきたレオは、「これ飲も」と両手にホットワインのカップを2つ抱えていた。かわいいところがある。 既にワインを1杯空けていたがカップをもらい、「へーきだ」と腰を上げた。 「冷えたでしょ」とぴったり左腕を組んだレオは、そのまま俺の手を握った。 「……?」 「そろそろ買い物行こ」とニコニコして、当たり前みたいに歩いていく彼に肩を並べた。 繋いだ手は熱いくらい温かく、少ししっとりしている。 「…あぁ、お前、お化け屋敷とか…行かなくていいのか?」 「いい、おばけ怖いもん」 「ジェットコースターは?」 「寒いのに付き合ってくれる?」 「…観覧車とかーーー」 「あれは夜向き」 「…確かに」 「ノーマンは何してたの?」 「あー別に、競馬の情報見てた」 「ほんとにギャンブルしか興味ないんだね」 「そう、つまんない男だよ」 「…なんか得意なこととかある?」 「…実は射撃」 「マジ?」 「ああ、今はそうそう機会ないけど」 「おっかない目するのは知ってた」 「これでもケーサツだ」 「そういうのが好み♡」 「ダメ男好きそうだもんな」 「ひどい」 「水商売してて趣味がいいヤツなんて見たことない」 「偏見~でも間違ってない」 「お前が得意なのは…スケート?」 「セックス♡」 「滑るの上手かったな、子供の相手も」 「でしょ?ありがと、次は一緒に滑ろ?」 「だから苦手って言ったろ」 「ちゃんとリードしてあげるから」 「セックスみたいな言い方するな」 「そんなんじゃないよ、スケベ」 「お前が言うなよ」 こんな他愛もない話をしながらハイド・パークを後にして、そのままぶらぶらとピカデリー(通り)を東へと歩いた。 ハイブランドの旗艦店、老舗百貨店、5つ星ホテル、お高いレストランまで、どこまでも高級店が軒を連ねるこの通り(ピカデリー)も、大小の荷物を抱えた人で溢れていた。クリスマスが明けて、豪奢なデコレーションを片付ける間もなくバーゲンを迎えた街は、今が最も華やかで賑やかかもしれない。 明確にお目当てがあるらしいレオは、リッツを過ぎたあたりで左の路地に入ると、メイフェアの高級ショッピング街を王族みたいに堂々と練り歩いた。こういうエリアに熟(こな)れ感を出せる姿に、日頃の生活が垣間見える。 まずはヴィヴィアン・ウエストウッドですっぴんに化粧してもらい、そのメイク用品を一式買ったレオは、3時間もかけてエルメスやサンローランといった店をいくつも巡り、服やバッグや小物やアクセサリーをごりごり買った後で、ルブタンで仲のよい店員とお喋りに花を咲かせながら、そこの香水をつけて満足したらしかった。(それは普段つけてるやつで、何か買ったりはしなかったが、また来るからいいんだそうだ。) 初めのうち、パパの金なんだからわざわざセール品を買う必要はないだろうと思っていたが、よくよく見ればハイブランドの店はバーゲンをしておらず(そういうものらしい)、普通に買い物をしていた。かろうじてヴィヴィアンだけはセール品があったが、そこでも買ったのはセール対象外の物だ。 つまり、わざわざ今日買う必要もないわけだが、ショッパーを両手いっぱいに提げたレオは大層ご満悦で(その半分は持ってやった)、すっかり俺の買い物はどうでもよさそうだったが、別につきあってもらう必要もないから構わない。 「小腹空いちゃった、あそこでサンドイッチ食べない?」 レオが指した突き当りにはバークレー・スクエアがあったが、冬の夕方、既に日が落ちた街は冷え始めていて、結局、ぶらぶらとソーホーを目指すことにした。馴染みのパブなら、持ち込みくらいじゃとやかく言われないからだ。 パブに腰を据え、さっそく昼にテイクアウトしたブロッコリーとエビタルタルのサンドを齧(かじ)ったレオは、一口目で目を剥いた。 「エ??お、おいしいッ…!!!」 「だろ」 「ウン♡」 目を潤ませてオーバーなくらい感激したレオは、そのまま一息に食べてしまうと、ようやくエールに口をつけた。 「…えっ、ウッソ、ほんとにおいしい」とうっとり口を押さえる顔を見れば、食ってもない俺もなぜか満たされた気になれる。 「ほれ」と勧めると、遠慮なく生ハムとマスカルポーネのサンドにぱくついた彼は、今度は口いっぱい頬張ったままウンウン呻いたが言葉になっていない。大きく見開いた目を白黒させて、喉に詰まらせたのかと思ったが、どうやら更なる感動に打たれたらしかった。 そして、サンドイッチを2つぺろりと平らげたレオは、生ハムのをつまみつつビールを舐めている俺を不思議そうに覗いた。 「…ノーマンはあんまお腹減ってないの?」 「お前を見てるだけで腹一杯になる」 「なるわけない」 「お前、よく食うな」 「今日はよく歩いたし、っても、美味しいものはいっぱい食べたいの」 ニコニコとそう言って、エールを美味そうに飲み干したレオが、ただ、いいなと思う。 俺はもう長いこと、彼みたいにピュアなエネルギーや情熱を注げるいろんな欲求をどこかに置き忘れてしまっていた。 「それしきで喜んでくれてよかった」 「また食べたい、連れてって!」 「一人で行けばいいだろ」 「やだ、寂しいもん」 「またな」 「…じゃ、そろそろ買い物いこ?」 「なんの?」 「ノーマンの」 「あぁ、そのつもりあったのか」 「それが今日の目的でしょ!」 「見事な後回しだったな」 パブを出た後、昨夜、レオを拾ったルートでレオのフラットに足を向けた。 夜になった街(ソーホー)は、普段通りの猥雑な喧騒を取り戻していた。 道行く顔見知りと目で挨拶をしていると、時折誰かが通り過ぎざまに「デートか?」とか「いつから?」なんて茶化していった。 それに対してレオは、「そー見える?」とか「始まってもないよ」などとはぐらかしていたが、わざと俯き気味に俺にしなだれていては、いらん誤解を生むだろう。が、彼はそんな状況を楽しんでいるようだった。 部屋(フラット)に荷物を置いてきたレオは、「どこ行く?」と俺の左手を握った。 スケートの後のように熱くも、冷え切ってもいない手は、今は俺のほうが温かかった。 「…なぁ、なんで手、繋ぐんだ?」 「あったかいし」 「…そーだな」 繋いだ手をコートのポケットに突っ込むと、驚いたのかレオが俺を見上げた。 「何?」 「あれだ、こういうのがいいんだろ?」 「…こどもっぽくない?」 「そーか」 ポケットから手を抜こうとするとレオが抵抗して、結局、近場のでかいスーパーにつくまでずっとそうしていた。 スーパーでは、俺が押すカートにレオが商品をがんがん放り込んでいった。 1週間分のミルクに水、シリアル、お茶、コーヒー、山ほどの冷凍食品、バナナなどの果物にコンドーム4ケース。 こんなにゴムはいらんと言いかけたが、鼻歌を歌いながら商品棚を熱心に見ている姿に水を差す気にはならず、カゴの商品はそのままにして好きにさせた。 ただの買い物で何がそんなに楽しいんだと思っても、「酒は街(ソーホー)で飲むからいらないよね」と振り返る笑顔を見れば、なんだか心が緩んだ。 ふと、こいつといる男は幸せな気持ちになれるんだろうと察したところで、これこそが人気ボーイの真髄なんだとわかったような気になった。 そしてここでも、会計でしゃしゃり出たレオに黙って甘んじた。もちろんパパのカードだ。 でっかい紙袋を2つ、それぞれ抱えたレオと俺は、俺のウチへと向けてぶらぶら歩いた。 一日で雪は大方溶けていたが、路肩や歩道の脇には凍り付いた雪山が残っていた。昨日から一転して晴れた空には、星がいくつか見えている。今夜は雪は降らないだろう。 「こんな重い荷物持ったことない」なんておどけながら、道端の雪を蹴り蹴り歩く声は弾んでいて、レオが白い息を吐くたびに辺りが明るくなるような気がした。 「…お前は、何してても楽しそうでいいな」 「…いきなりナニ!?」 「いや、なんとなくーーー」 「ノーマンは、楽しくない…?」 「…いつ?」 「今日は?」 「…楽しいーーー」 「嘘っぽいーーー」 「嘘じゃない」 「ならよかった」 「…?」 「それが、ボクだもん」 ざくざく雪を蹴っ飛ばしてる横顔は穏やかに微笑(わら)っているが、化粧をした今は、よく知った夜の顔をしていた。 「…あぁ、さすがのプロだよーーー」 「ねぇ、今度、雪合戦(スノーボールファイト)しよ?雪だるまも作ってーーー」 「そんな積もるほど降らない」 「だから積もるとこ行って、暖炉であったまるの」 「それもう旅行だ」 「そうだよ、行こーよ、素敵でしょ?」 「ふたりで?」 「他に誰いんの」 「…別にいーけど、雪合戦なら負けない、俺は対ゲリラ慣れしてるぞ?」 「対ゲリラって、10年以上前の話でしょ!?」 「……今でも接点はあるーーー」 「それはテキトーに誤魔化すとこでしょ!?」 「まぁそう」 「とにかく、そんなガチでやんない」 「本気でやるから楽しいんだろ」 「ハンデつけてよね」 「まずはスキーウェアを買わなきゃだ」 「私服の前に」 クスクスと肩を俺の腕にぶつけたレオは、バランスを崩してよろけた。 「ところどころ凍結してる、滑るから気をつけろ」 「ノーマン、保護者みたい」 「荷物の心配してる」 「ひどい!」 ケラケラ笑いながら、わざとふらふら俺にぶつかって歩くレオに気を配っているうちに、俺のウチに到着した。 「ハイッ」 荷物を玄関の階段に下ろすと、レオはスマホを取り出して何かを確認した。 聞くまでもなく、仕事だろう。 「…ありがとな、助かった」 「何が?お互いサマでしょ」 「そーか」 「じゃ、ボクいい加減行かなきゃ」 「…パパ?」 「そ、昼からアホみたいにメッセしてきてんの」 「元気なオッサンだな」 「暇なんだよ」 「もしかして、スルーしてたのか?」 「もちろん、今日は昨日ほっとかれたクレームを入れる」 「そーか…」 ふと、昨夜のレオが脳裏をよぎった。 強く俺を搾り上げるアヌスは、気持ちよすぎた イくたびに切なく蕩けていく顔は、とてもいやらしかった。 甘く舌足らずに俺を呼ぶ声を聞けば、何度でも欲しくなった。 うっとりとして、恍惚に浸るしどけない姿は、とてもキレイだった。 淡々と過ぎるだけのモノクロの日々の中に、色鮮やかなペンキをぶち撒けたような。 そんな、いい一日だった、と思う。 ひらひらと手を振って、「じゃね」と向けられた背が、思う以上に…自分でも驚くほど、名残惜しかった。 「……レオ」 「ん?」 「風邪、ひくなよ」 くるりと振り向いたレオは、恐らく、彼のとっておきの笑みを浮かべていた。 「ありがと、“パパ”もね!」 「………」 そして、誤魔化しきれない寂しさが膨れてしまわないよう、レオの背中が見えなくなる前にウチに入った。 寂しさと言うよりは、侘しさや虚しさと言ったほうが正しいのかもしれない。 俺の日常は、そんなもんだ。 その夜、ベッドに入ってシラフで見上げた天窓には、ちかちかと瞬く星が見えた。 * * 翌日から、いつもと何も変わらない毎日が戻った。 レオは依然、この街のトップ男娼で、貿易業のパパの情夫で、信頼のおける情報屋というだけだ。 これまで通り、週で何度か見かけるレオとは、タイミングが合えば、パブや飯屋で飲みながら話した。もちろん、話すのはちょっとした近況報告と、何かがあれば街に関する情報だけで、以前と何も変わりはしない。 しばらくの間、街ではレオと俺の親密な仲が噂されたが、特別なことは何もない。 ふたりでイタ飯屋にサンドイッチを食いに行くことも、スケート遊びに行くことも、雪深い田舎に旅行に行くことも、レオが俺を買い物の荷物持ちにすることもなく、もちろん、寂しい夜を俺で埋めるようなことも、そんなつもりで電話をかけてくるようなことも一切なかった。

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