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◉1◉とんでもない呼び出し(てっしょー、ミナカイ)_2
「ああ、そうか。神経の興奮状態から騙されてるってことですよね。体温の上がり方とか匂いとか、もちろん声音とかも。俺の察知能力を超えられることって翠さん以外ではあまり無いので、そのことを忘れてました。自分は誰でも見抜けるレベルの人間なんだと思ってました。思い上がってたんだな、俺。恥ずかしいー!」
俺は思わず両手で顔を覆った。少し思い上がっていたのかも知れない。そう思うと顔から火が吹きそうだった。
澪斗さんは、いつもこうやって俺に気づきを与えてくれる。なかなかその機会がなかった俺には、とてもありがたい存在だ。
生まれながらに能力が高かった俺は、母親がガイドだったために自然といつも守られていた。母が抱いてくれるだけでケアになるし、ガイディングも自然にしてもらえていた。
そうして、大した苦労もせずに大きくなったことで、一般的に中学生くらいには気がつくであろう生きづらさにも気がつくことがなかった。
だから俺は高校生の時に初めて自分が高レベルのセンチネルであることに気がついた。義務教育の期間を何不自由なく過ごしたツケが、たまにこうして現れる。
まるで自分は誰よりもすごい人であるかのように勘違いをして、物事の評価を自分の物差しで測りがちになっている。これは本当に恥ずかしいことだ。
「でも、そうやって指摘を受けても素直に聞き入れるところは、君のいいところだよね。そんな感じだから、翠くんに可愛がられるんだろうね。彼はいつも、翔平が翔平がって名前を出して褒めちぎってるよ。たまに隣にいる蒼くんがむくれるくらいね。……はい、じゃあこの部屋に入ってもらっていいかな」
「あ、はい。……って、え? ここ? ええ? あの、何をするんですか?」
驚いてしまった。ドアが開け放たれた部屋の前で、思わず呆然と立ち尽くしてしまうくらいには、驚いた。俺の勘違いでなければ、今ちょっといい話をしてもらったところだったと思う。
でも、最初からここへ案内するつもりだったのなら、澪斗さんは一体どんな精神状態で俺にあんなことを言えたのだろう。
そんなことを考えてしまうくらい、意外な光景が目の前に広がっていた。
「おい翔平、早く中に入れよ。澪斗さんたちも入ったんだろう?」
鉄平が後ろから俺に抱きついてきて、そのまま部屋の中へと押し込もうとする。俺はなんとなーくだけれど嫌な予感がして、どうしても中へ入るのを拒みたかった。
「いやいやいや、ちょっと待て。なあ、鉄平。俺たち何させられるんだろう……」
鉄平が部屋を見渡せるようにと体を反らす。空いたスペースからヒョイと首を伸ばして中を見た鉄平も、予想通りに大きな声を上げて驚いた。
「な、なんすか、ここ!」
そう叫んだが最後。待ち構えていた池内さんから無情にもドアを閉められてしまった。
「あっ、池内さんいたんだな。くそっ、閉められた。澪斗さん、何なんですかここ。俺怖いんですけど……」
鉄平から抱きしめられた状態のまま、不安に駆られてその腕を抱きしめる。その様子を見て、澪斗さんはクスリと笑った。
「まあまあ、そう怖がらなくていいから。とりあえず座ってよ」
その雅な顔に穏やかな笑みを浮かべたまま、美しい所作で俺たちに座るように促す。
「えっと、座るって、その……そこに、ですか?」
でも、問題はその「座る場所」だ。そこにあるのは、キングサイズのダブルベッドが二つ。それだけだ。
幼児なら運動会が出来そうなほどの大きさのベッドだ。それが隙間なくくっつけて置いてある。
「うん。ここで君たちにお願いしたいことがあるからね」
そう言って、澪斗さんはまた涼やかに笑った。
「……ベッドしかない部屋で?」
何度確認しても、彼は楽しそうに笑っている。
俺は躊躇した。でも、この界隈で最も権力を持つ人からそう言われて、断ることなんて出来るわけがない。そうは思っても、その光景の異様さには、緊張して言葉が詰まるばかりだった。
そう、何よりも俺を驚かせたのは、そのベッドを取り囲んでいる壁だ。これを永心家の当主に見せられて、どんな反応をすればいいのか全くわからない。
しかし、俺が戸惑うことは鉄平もそうであるわけで、遠慮なく物を言ってしまう彼が黙っているわけもなかった。
「あの、なんで全部鏡張りなんですか。澪斗さん、そういう趣味があるんですか? どう考えてもヤってるのを見るための鏡ですよね、これ。ラブホとかによくあるやつ。羞恥プレイ好き?」
「ててててて、鉄平っ!」
さすが気を遣えない男だ。鉄平は悪びれもせずにサラッとそう口に出した。背中が、冷や汗でびしょ濡れになりそうなほどに焦ってしまう。
俺はどうしても立場を考えるから、こういう時は必ず考えてからしか意見は言わない。うまく気を遣えずに自爆することはあるかも知れないが、鉄平のように考えなしには物を言う勇気はない。
それを苦も無くやってしまう夫に、一瞬で胃が引き攣れるような思いをさせられた。全く、手がかかるやつだ。
「お前、なんてこと言うんだよ。澪斗さん、申し訳ありませ……」
不躾なパートナーと共に過ごすという事は、時折こうして骨が折れることもある。誰かを怒らせる天才である鉄平の言葉を、俺はいつも通訳するか詫びるという役目を負っていた。
一方、澪斗さんは俺の想像の上を行く不思議な人で、たまに考えを見抜けないまま翻弄されることがある。今回も俺の気遣いなどまるで不要だったようで、その疲れた顔を何かの希望でキラキラと輝かせながら、手を合わせてはしゃぎ始めた。
「そうなんだよー。って言っても恥ずかしがるのは僕じゃないんだけどね。海斗さんの可愛いところを全部見るために鏡張りにしたくて。で、折角だしって思ってベッドルームを大きくしたんだ。だって今この屋敷には僕らしかいないからさ。部屋はたくさん余ってるから使い放題なんだよね。そのうち縮小する予定だけれど、今しか出来ないことを楽しんでおこうと思って」
キラキラと目を輝かせて楽しそうに話す澪斗さんに、鉄平は「あーなるほどね」と軽い返事を返すだけだった。変に肝が座って来た鉄平は、それ以上のことに疑問を抱かないらしく、そのまま黙り込んでしまった。
そして、俺たちは澪斗さんの説明を聞くことになる。
「実はね……」
彼は、数十年ぶりに恋人と触れ合えるようになったからか、今はかなりお盛んな毎日を過ごされているそうだ。嬉々として性生活を語る夫の隣で、海斗さんは腰を拳でひっきりなしに叩いていた。
「海斗さん、大丈夫ですか? お疲れなんですね……」
センチネルはケアではないセックスでしか、相手に尽くすことが出来ない。だから、誘われればその全てに応えたいと思って頑張ってしまう。彼の腰の痛みは、まさしくそれだろう。
でも、この夫夫は澪斗さんが四十四歳、海斗さんが五十一歳。海斗さんは七歳年上だ。ネコである海斗さんの腰が痛くなるほどのことを毎日しているのかと思うと、申し訳ないが少し呆れてしまった。
「あれ? でも、海斗さんが腰が痛いんですか? 澪斗さんが入れる方でしょう? そんなネコ側が疲れるほど毎日やりまくってるんですか?」
またしても直接的な表現でそう問いかけた鉄平に驚き、俺はたまらずにその口を塞ごうとした。しかし、その前に澪斗さんがぽつりと悲しそうな声で呟いた。
「いや、何度もするのは無理なんだ。僕、うまく動けなくなってしまったからね」
そう言って、眉根を寄せて笑った。一生懸命に笑う顔を作ってくれていた。
「あ……」
その声も表情も、深い悲しみに染まっていた。そして、体中の神経がちぎれそうな痛みを感じているのが見えた。
聞くだけで、胸がギュッと潰れそうになるほどに悲しい。体から香り立つ匂いも、体温も、鼓動も、その全てが深い悲しみを表している。
どうしても許せなかった男を自分の血の力で倒した澪斗さんは、体力的には六十代相当だと言われているそうだ。
でも、思考や感情は四十代のまま。その精神と体の乖離が、彼にもどかしい思いをさせている。
「普通に出来てたことが出来なくなった。だから、それ以外に出来ることを探してるっていうことですか?」
俺は澪斗さんの悲しみを感じ取り過ぎてしまった。悲しくて、涙が流れてくる。
鉄平は俺がこのまま調子を崩さないように、指を絡めて握ってくれた。そうすれば、俺の悲しみは半分鉄平に流れていく。そのまま、澪斗さんに問いかけてくれていた。
「うん、そうだね。僕が動けない分、海斗さんに頑張ってもらってるから今のところは困ってはいないんだ。でも、また田坂との一件のような大きなことが起こったら、僕らだって動かざるを得なくなるだろう? その時、僕はどうやって海斗さんをケアしてあげられるだろうと思って悩んでるんだ。彼ね、クラヴィーアに耐性がついてしまって、効果が出にくいんだ。僕が生きている限りは、なんとか役に立ってあげたいんだよ」
「そういうことですか……」
酷い話だと思った。
思い合っていたのに三十年近く会えなくて、やっと会えたと思ったらすぐに抱き合うことが不可能になった。
そうまでしても倒したい人物がいたのだから、仕方がないと言えば仕方がない。
でも、本来彼らは傷つく必要がなかった人たちだ。先祖の欲に振り回された人たちが、今苦しまなければいけないなんて、神様は本当に酷い人だなと俺は思ってしまう。
「澪斗さんは悪くないのに……」
俺には、そう呟いて泣くことしか出来なかった。鉄平は俺の背中を摩りながら、握りしめた手に力を込めていく。俺の気持ちが悲しみに支配されて、そちら側に集中し切ってしまわないように、適切なガイディングをしてくれていた。
「じゃあ、前向きに考えていきましょうよ。まだ出来ることはあるでしょうから。羞恥プレイはやってるものとして、澪斗さんはこの場所で俺たちに何をお願いしたいんですか? まさか目の前でヤって見せろと?」
鉄平はそう言うと、俺をベッドに押し倒した。そのまま俺の上に体を預け、唇を触れる。
「……何か試してみたいことがあるから、実演してほしいということですか?」
そう言いながら、俺のネクタイに手をかけた。衣擦れの音と共にそれは引き抜かれ、シャツのボタンに手をかけられる。
「あ、ちょ、ちょっと。鉄平、何してんの?」
鉄平はマットレスに両手をついた状態で俺に覆い被さり、慌てる俺に何度もキスを降らせた。それが胸元に辿り着いた時、俺は思わず「あっ」と声を上げてしまった。
「ねえ、ちょっと。何してるんだよ」
鉄平の口を手で塞ごうとすると、その意図を読み取られてしまった。手首を掴まれ、そのまま指の間を熱くなった舌で舐め回す。
「あっ! ちょっと、や、やめ……」
二人が見ている前でするなんて、恥ずかしくて無理だ。そう思って鉄平を止めようとするけれど、力では全く歯が立たない。
『翔平、澪斗さんと海斗さんの顔を見てみろよ』
突然鉄平からテレパスされて驚いた俺は、反射的に二人の方へと顔を向けた。
「あ、そんな目で見ないでください」
口ではそう言ってみたものの、心はそうではなかった。二人は、傷ついた子犬のような顔をして俺たちを見ていたのだ。
俺は次第に心変わりした。二人のお役に立てるなら、この場で鉄平との営みを見てもらおう。
「……いや、見ててください。僕らがお役に立てるのなら」
気がつくと、そんな言葉が自然に口から溢れてしまっていた。
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