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◉2◉蒼と翠_翠にだけ見えるもの(七夕ポスノベ)
『すみません、遅くなりそうです』
鉄平からそうメッセージが届いたのは、七月七日の終業時刻。俺が翠と二人で暮らす部屋のロックを解除した瞬間だった。その文面を見ながら、足音ひとつ立たないように敷き詰めてある毛足の長い絨毯を踏み締めていく。
「まあ、そうだよなあ」
商業ビルのガス爆発に巻き込まれ、隣接する廃ビルのうちの一棟が倒壊したという連絡があったのは、今日の昼休憩の後だった。現場は建物が密集しており、透視の困難な箇所が多い。
少数精鋭で現場を回してほしいとの要望があり、てっしょーと翠が三人で向かった。俺も一緒に行きたかったのだけれど、今はそれが叶わない。情けないことに、数日前に足をケガしてしまったのだ。
「コンクリートのビルの中に、生体反応があるかどうかをチェックするだけだから、すぐ帰れるだろう。だから大人しく待ってろよ」
そう言われたものの、お人好しのセンチネルが二人と押しに弱いガイド一名では、絶対にそうはいかないだろうと思っていた。現場に子供がいたらしい。どうやら孤児院を抜け出したセンチネルのようで、翠が「あの子を保護するまでは帰らない」と言い張っていると言う連絡があった。
それはそうだろう。どうしても自分と重なるから、そういう子は放って置けないに違いない。それに、孤独な能力者を放置するのは、会社の理念にも反する。
早く会いたい気持ちを自分で宥めながら、
『了解。気をつけろよ』
と返信してソファへと沈み込んだ。深いため息とともに、
「七夕の星空を見せてもらう約束だったんだけどなあ…」
と呟きながら、今日のランチタイムの会話を思い出していた。
◇
今日の昼休み、オムライスを頬張りながら、突然鉄平が面白いことを言い始めた。
「センチネルの視力で見た星空ってどんな感じなんですか?」
鉄平曰く、昨夜翔平と食事をしている際に、鉄扉を通り抜けるほどの視力を持つのなら、山の中で見るような綺麗な星空がどこでも見れるんじゃないかという疑問を持ったらしい。翔平は
「それとこれとは別だろう」
と鉄平を取り合わなかったらしく、でも彼はそれが気になって仕方がないのだと言う。
「都会の夜に綺麗な星を見たいじゃないですか」
そう言ってはしゃぐ鉄平を尻目に、田崎が
「さすがに無理だろう。何光年を無かったことには出来ないだろからなあ」
と切り捨てた。しかし、その後すぐに翠が
「いや、俺は出来ると思うよ」
と、それを肯定したのだ。長い付き合いの田崎も、それは初めて知ったようで
「えっ、本当か? さすがに科学的根拠が無さすぎないか?」
と目を丸くしている。
「星の全貌を見ろって言われたら、さすがにそれは無理だぞ。ただ、星の光だけを見ればいいんだろう? それならやれると思うな。昔一度でかいイベントで永心家の護衛についたことがあるんだ。片田舎だったから夜が暇でさ。視力を全開にして星を見て暇つぶししてたことがあるんだよ。多分あれはセンチネルにしか見れないものだろう。ホテルの屋上に寝っ転がって、夏の大三角形と天の川を明るさ三割り増しくらいで見てたな。星に詳しくないから、ただ綺麗だなあって見てただけだけどな」
「えーすげーっ! 俺も出来るかなあ。見てみたい」
見れないと決めつけていた翔平は、見れるのだと知ると途端に手のひらを返した。
「お前は出来るだろう。レベルが俺とあんまり変わらないから。ただなあ、鉄平。俺たちがそれを出来たとしても、それをお前に証明するのは無理だぞ」
翠の言葉に、鉄平は一瞬何を言われたのかが分からなかった。しかし、すぐに意味を理解すると、弾かれたような反応を見せる。
「……あ! そうだ、センチネルに見えてるものは、俺には感じられませんもんね……」
「そう。感覚器とそのセンサーが違うから、同じものを見ても同じように感じるわけがない。そして、それを伝える術はない。
お前たちは普段、俺たちの感情と感覚と言葉をただ信じてくれてるだけだ。だから、『見えてるよ』って言われたら『そうか、見えてるんだ』で終わりだ。それ、面白いか?」
「……面白くないです」
肩を落とす鉄平を見ていると、思わず笑い声が漏れた。すると、鉄平が俺に助けを求めて来たのだ。
「蒼さん、笑ってないで何か考えてくださいよー。俺も綺麗な星空が見たいです」
子供が駄々をこねるようにして俺に絡み始め、田崎がそれを嗜めようとした。その時、ふとあることを思いついたのだ。
「あ、いや、出来るかもよ」
「え? なんですか? どうやるんですか?」
鉄平の目が途端にキラキラと輝き始めた。
「ガイドにはガイドなりの情報の受け取り方があるだろう? センチネルが見たものを、エンパスさせて貰えばいけるんじゃないかな。素直に感動してくれたら、それはそのまま俺たちに伝わるだろうし。五感フル覚醒タイプの翠と翔平なら、俺たちに感情から視覚刺激に変化するまでの詳しい情報くれるかもしれないぞ。それでも、全く同じものは見れないだろうけどな」
「あーなるほど! それいいかも。やってみたい。なあ、翔平。やってみようぜ」
鉄平からそう言われ、翔平も乗り気になったようだ。ワクワクした様子を見せ、
「うん、やる。面白そう!」
と声を弾ませている。
「じゃあ、今夜お互いにやってみましょうよ。七夕だし。天の川を各家で見て、ペアでエンパスしあって見ませんか? で、明日ここで報告会しましょうよ」
「いいね、なんだかロマンチックだ」
そう言って四人ではしゃいだ直後にガス爆発とビル倒壊のニュースが飛び込み、てっしょーと翠は現場へ向かった。
「まあ、年に一回しか会えないカップルに比べたらマシだけどね」
毎日寄り添いあって過ごせることを有難く思おうとしていると、いつの間にか眠りに落ちていた。
◇
「蒼、ただいま」
耳元で囁くような声が聞こえる。翠が帰って来たようだ。かなり小さな声で話していると言うことは、能力の消費が著しいという事だろう。早くケアをしてあげなければと思い、俺は体を起こした。
手を伸ばし、すぐそばにいた翠の体を引き寄せて抱きしめ、そっとキスをする。すると、翠の体からふわりと甘い香りが立ち上った。
「おかえり。随分遅かったな……」
その姿を見て、俺は驚いた。大きな布のようなものが目元を覆うようにして巻かれていた。視覚の強制遮断をしているのだろう。カラーグラスで追いつかないと言うことは、疲労度はかなりのものだ。
「どうした、そんなに視力を使い果たしたのか?」
「んー、ちょっとな。崩れた上階部分に巻き込まれた子供がいたんだ。その子を助けるために、崩れたコンクリートとその子の体の境目を見極めながら重機で撤去していったんだけど、廃ビルだからさらに倒壊する危険があってさ……。翔平と二人で、建物の亀裂を読みながら子供の体守ってて、その上で作業指示を出していったから、視覚の限界まで使った。翔平も今この状態だ。明日の朝までミュート以下の視力しか使えないんだ。だから……」
翠は項垂れるようにして、「ごめん」と謝った。その姿は、まるで親に叱られる小さな子供のようだった。
「……その子、助かったんだろ?」
「もちろんだ」
「じゃあいいよ。俺たちとの約束なんて、いつでも出来ることだし」
「そうか? あーでも、普通でいいからお前と天の川見たかったなあ。付き合い長いけど、そんなにゆっくり見たことないだろう?」
「……そう言われればそうかもしれない。あ、じゃあさ、逆を試してみない?」
「逆? お前が見て、俺に伝えるってことか?」
「そう。俺は普通に見ることしか出来ないけど、今の翠よりは見えると思うからさ」
「へえ、面白い。やってみようぜ」
俺はソファから立ち上がると、月明かりが煌々と輝く窓辺に翠を連れていった。分厚い目隠しをされていても、翠がものにぶつかるようなことはない。目はうっすらと見えているし、家具や家電との距離は肌が察知する。だから俺は、回復のためだけに触れていてあげればいい。
「……今日は満月で、その光りは青みがかった白だ。ほんの少しだけ天の川が見える。夏の大三角形は意外にはっきりと見えてるよ。俺はそれを見て綺麗だなって思ってる。今からその気持ちを繋ぐから」
「おう。気持ちだけでも伝わったら星空を楽しめそうだな」
翠はそう言って嬉しそうに笑った。
「じゃあ、行くよ」
俺はそう言うと、手をしっかりと繋ぎ直した。指と指を一本ずつ絡め、手のひらを密着させる。そして、俺が空を見て感じた思いをその手に向かって流し込んでいく。
濃い藍色なのか、黒なのか。暗い色の中に、小さくて白い輝きが集まる光景を見ては流し込む。その対比がそれぞれの存在を際立たせて、ふわりと広がる光の広がりを見ていると、まるで溶け合うようにも見えた。
「綺麗だな」
そう思うたびに、胸に起こる感情はこれだよと伝えていく。
——美しいな、綺麗だな、好きだな。
それを翠へと流し込む。胸の奥にじわじわと広がるような感動が生まれていることを、翠の体へと送り込んで行った。
「……あっ、なん、だ、これ……見える……?」
星空の色や形のような目に見える詳細な描写ではなくて、俺の心の中に生まれる感情の波を、その音の深さや鮮やかさを、色を、香りを届けていく。それが翠の五感と繋がり合い、色や形や詳細な描写として再構築されていく。情報はコンバートされ、しかも増幅していく。
「すごい、見えるぞ。シンクロだ。俺とお前の感覚がシンクロしてる。完全な……」
——美しいね、綺麗だね、好きだよ、愛してる。
「……え?」
「……見えた?」
「これ、どういう……」
「綺麗な星空を見て生まれる感動は、翠を思う気持ちと似たところがあるから。愛してるって思ってる時と、感じてるものが近いんだ」
だから、星空を見て生まれたものを伝え続けたら、きっと翠の姿になるだろうと思った。そして、どうやらその通りになったみたいだ。
でも、星の美しさなんて、翠には叶わない。
「じゃあ、この綺麗な景色は、蒼の気持ちと星空が揃った時にしか見れないものなんだな」
うっすらと赤く染まる頬に、胸がギュッと詰まる。翠もそうなのだろう、体が小さく震えている。
「そうだよ。これは翠だけが見ることができる景色なんだ」
その体を抱き竦めながら、溢れる思いを閉じ込めるように唇を合わせた。
(了)
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