6 / 207
第6話
■■■
リオールと別れたあと、アスカは帰宅途中の橋の上で立ち止まり、川面を見下ろしていた。
水面に映る陽の光がゆらゆらと揺れて、心の奥のざわつきまで映し出すようだった。
──思い返すのは、数日前のこと。
□
「皇太子殿下の訓練相手として、そなたが選ばれた」
突然、国からの使者がそう告げにやってきた。
あまりに唐突な申し出に、アスカはもちろん、両親も弟たちも呆然として言葉を失った。
皇太子殿下に関わる機会など滅多にあるものではない。
それだけでも大変名誉なことなのだが──
「……え、これ、本当に……?」
報酬金の額に、目を疑った。
これまで見た事もない程の金額で、思わず手が震える。
これまでアスカは、発情期のたびに家族に迷惑ばかりかけてきた。それに、オメガであることを、心のどこかで負い目に思っていた。
けれど今、その性が誰かの役に立てるなら。家族に少しでも恩を返せるなら──これは、逃すわけにはいかない。
やり遂げれば、しばらくの間は貧しさに苦しまずに済むだろう。
そう思って、深く考える間もなく了承の返事をした。
だがその直後、訓練の“内容”を知らされ、アスカはその場に固まる。
皇太子殿下の訓練。それは、夜伽のことだった。
両親の顔色が見る間に青ざめる。
弟たちは内容を理解できず、ただきょとんと首を傾げているだけ。
それでもアスカはぐっと震える手を握りしめる。
「……本当に、それをやり遂げれば、この金額が貰えるのですか」
「ああ」
使者は淡々と頷く。
リオールがどんな人物なのかは分からない。
でも、できるなら──少しでも優しい人であってほしい。
胸の内に、小さな願いを灯す。
「アスカ……無理しなくてもいいのよ」
母が背中を撫でながら、不安げな目でそう言った。
アスカは微笑んで、その手を握る。
「母さん、俺……やるよ」
「そんな……あなたが犠牲になることはないの」
“犠牲”という言葉に、使者の眉がぴくりと動いた。
怒りを買う前に、アスカは首を振る。
「犠牲なんかじゃない。……ありがたいことなんだ。だから、やってくるよ。……上手くできるかは分からないけど……」
声は少し震えていたが、瞳はまっすぐだった。
「……やります。俺を、連れて行ってください」
伽なんて、経験もない。
誰かと付き合ったことすらない自分に務まるのか、不安ばかりが押し寄せてくる。
それでも。
「承知した。三日後、迎えに来る」
使者はそう言い残し、帰っていった。
三日先の約束は、すぐそばに迫る刃のようで恐ろしい。
まだ時間があるはずなのに、胸の中ではずっと緊張の波が打ち寄せていた。
怒らせないようにしなきゃ。
ちゃんと役目を果たさなきゃ。
そう言い聞かせるように、何度も深呼吸を繰り返しながら、三日後、「頑張って」と家族に見送られ、アスカは家をあとにした。
ともだちにシェアしよう!

