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第19話

 その日からアスカは王宮に住まうものとして、礼儀作法を身につけるよう指導を受けることとなった。  王宮での作法に加え、言葉遣い、歩き方と姿勢、そして控えめな所作までもが、こと細かに指導される。  これまでは、ただ日々を生きるための常識さえあればよかった。誰に見られるわけでもなく、必要最小限の礼儀だけを守ってきた。  でも、ここは王宮。皇族と貴族がひしめき合い、上に立つ者ほど品位を求められる世界。  それを身に付けるには、呼吸の仕方さえ変えなければならなかった。 「オメガ殿、背筋が甘いです」  苛立ちを隠そうともしない声が、静まり返った部屋に響く。 「……すみません」 「申し訳ございません、です」  即座に訂正が入る。心のどこかで粗探しだ、と思っても反論はできない。 「……申し訳、ございません」 「はい。では、背筋を正して。首の位置はそのまま、肩に力を入れずに」  指導を担当するのは、礼儀作法指南役のヴェルデという女性だった。細身で背が高く、張りつめた空気を纏った彼女は、アスカのことをいつも『オメガ殿』と呼ぶ。まるで名前を知る価値もないとでも言いたげに。 「何度申せばご理解頂けますか」 「……申し訳ございません」  謝ることしかできない。けれど、その度に自分の言葉が空虚に思えて仕方がなかった。 「謝ることばかり上手になられても困ります」 「……」  言葉に詰まり、自然と視線が伏せられる。  胸の奥に重たい何かが沈んでいく。  これが、王宮での現実。  まだ指導は始まったばかりだ。  何も出来ない自分は、伸びしろしかないのだと自分に言い聞かせ、今は耐えるしかない。  けれど、ヴェルデの威圧感と嫌味たらしい言葉は、時に刃のように容赦がない。 「そもそも、平民がどうして皇太子殿下の后になれましょうか」  淡々とした口調でなのに、アスカの心に傷をつけるには十分だった。  そんなこと、わかっている。  わざわざ言われなくても、自分がどれほど場違いな存在か、痛いほど理解している。  平民の生まれで、教養も家柄もない自分が、どうして次の国王と並べるのか。  どう考えても釣り合うはずがない。きっとこの先もずっと、誰かに「分不相応だ」と囁かれ続ける。  それでも、アスカがここにいるのは──家族のためだ。  長い袖の内側、震える手を隠すようにして、アスカはそっと拳を握りしめた。

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