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第32話
アスカの表情はどこか悲しげで、まるでリオールの痛みを、自らのもののように感じているかのようだった。
「母が去ってから、もう十年が経つ。いまだこの王宮に帰って来られないし、……きっとこの先も、お戻りになることはないのだろうな」
「そ、そんな……っ」
否定しようとするアスカに、リオールはほんのわずか、寂しげに微笑んだ。
「いいや、きっと無い。それに、無くていいのだ」
「……どうして、ですか」
戻ってきてしまえば、母上の心の傷がまた開いてしまうかもしれない。
せっかく瘡蓋で覆われたものを、わざわざ剥がす必要など、どこにもない。
「過去にされたことは、嫌なことほど忘れない。それは──私が王になっても、変わらないだろう」
「……リオール様」
「まあ、それはもう良いのだ。──母上が去って十年、その間に例の訓練が始まった」
アスカが視線を地面に落とす。
少しひんやりとした風が吹き、リオールは持ってきていた羽織りを陽春から預かると、アスカの体が冷えないようにそっと肩にかけた。
アスカは羽織りの端と端を胸元で合わせるように掴む。
「これまで私は、数多くの人間と会ってきた。重鎮から、貴族まで──ただ、民とはほとんど関わることがなかった。そういう意味では、アスカが初めてだな」
「……」
「そしてアスカに出会うまで、八人のオメガと訓練をした」
「……八人、ですか」
リオールは一度頷き、視線を落とす。
「誰にも、何の感情も抱けなかった。ただの訓練相手に過ぎなかった。だから、二度会った者はいない」
「そ、そうなのですか……?」
「ああ。──だからこそ、初めてだったのだ」
あんなにも甘美な香りに包まれ、理性が崩れてしまいそうになるほど心を揺さぶられたのは──。
「誤解を生んで牢に入れてしまったりして、アスカにとっては最悪な日だったかもしれない。けれど、私にとっては特別な日だった。──あの日、まるで心に雨が降ったように、潤いを感じたんだ」
胸の奥が、あたたかくなる感覚を──今でもはっきりと覚えている。
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