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第36話

□  暫く談笑が続いたが、アスカが「クシュン」と小さなくしゃみをすると、ふたりの時間もお開きの空気に包まれる。  名残惜しさを胸に、アスカはそっと立ち上がった。  リオールも同じように腰を上げると、穏やかに言う。 「送ろう」 「ぁ……い、いいです。一人で帰れます」 「そう言うな。……少しでも長く、そなたと一緒にいたいのだ」  苦笑を浮かべたリオールの声音はどこかくすぐったく、アスカは不意に頬を染めてうつむいた。  しばし逡巡のあと、小さく頷く。 「リオール様は……時々、私よりもずっと年上のように思えます」 「そうか?」 「はい。弟と同じ歳のはずなのに……」  言葉を重ねながら、アスカは胸の内を探るように目を伏せた。  年下のはずなのに、彼の言葉ひとつでこんなにも心が揺れる。  春の陽だまりのように優しく包まれたかと思えば、次の瞬間には寒い底に落ちるような気持ちになることもある。  それほどまでに、彼の存在は大きかった。 「そうであることを望まれてきたからな」 「ぁ……」 「悪いことではあるまい。……こんな私であったからこそ、そなたは心を打ち明けてくれたのではないか?」  確かに。  彼は決して感情に流されず、言葉を選ぶ。こちらの思いを受け止めるために、常に冷静であろうとする。  その懐の深さに、何度も助けられた。 「……そうですね」  アスカが柔らかく返すと、リオールはふっと目を細めた。 「こればかりは、王に感謝せねばならぬな」 「……でも、私は殿下が時折見せてくださる、年相応のお姿も……好きですよ」 「なっ……!」  赤く染まったリオールの顔が一瞬でそらされた。  それがあまりに可愛らしくて、アスカの胸がきゅうっと鳴る。  次の瞬間、リオールが不意にアスカの手を取り、そっと握った。 「ならば──少しだけ、駄々を捏ねてもいいだろうか」 「ふふ……もちろんです」  ほんの少し震えるその指先に、アスカもそっと力を込めて応えた。  その温もりに、まだ触れていたいと思う。 「もう少しだけ……少しでいいから、一緒に居たい」 「……実は、私も……そう思っていました」  リオールの微笑みに、アスカは胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。 「──陽春」 「はい。ここに」  どこかから静かに現れた陽春が、即座に頭を下げる。 「アスカと共に戻るぞ」 「かしこまりました」  促されるまま、リオールに手を引かれる。  その背を見つめながら、アスカはただ静かに、けれど確かに思った。  今夜、たとえ少しでもいい。  この手を、離さないでいてほしい、と。

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