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第38話

 アスカは、ふと奥に見える帳の向こうに目をやった。  その奥には、柔らかな光に包まれた寝殿があることを知っている。 「……あの寝殿に、ですか?」  控えめな問いかけに、リオールは頷いた。まるでそれが当たり前のように、自然な仕草で。 「あそこなら、身体も冷えずに休める。今夜のそなたは、少し冷えすぎた。……私が長く話しすぎたせいだな」  静かな言葉だったが、アスカの胸の奥に真っすぐに届いた。  リオールの顔に、いつものような無表情ではない、かすかな思いやりが浮かんでいた。  そのまなざしには、一切の下心も感じられない。ただ、純粋な気遣いがにじんでいた。  アスカは少しの間、目を伏せ、息を整え、それからおずおずと問う。 「……殿下は?」 「私は、そばにいる。そなたが眠るまで、ずっと」  それは、迷いのない声だった。  穏やかだが、その一言一言には、凛とした決意のようなものが滲んでいた。  アスカは思わずリオールを見上げる。そこには、静かに寄り添うような、あたたかな光があった。  ──ああ、きっとこの人は、本当にそのつもりなのだろう。  そう思うと、心の奥にあったこわばりが少しずつほどけてゆく。  アスカはそっと差し出されたリオールの手を取った。  掌に触れるのは、柔らかい温もり。  そのまま静かに、寝殿へと足を運ぶ。  寝具は綿の香りがほのかに漂い、丁寧に整えられていた。  暖かな毛布に包まれると、身体の芯からほぐれていくのが分かる。  まるで守られているかのような安心感に、アスカは思わず目を閉じた。  その傍に、リオールが静かに座る。  言葉はない。  けれど、手がそっと伸びてきて、アスカの手を優しく包み込んだ。  強くもなく、かといって不安にならないよう、ほどよい力加減で。  アスカはその指先の温もりに、胸がじんわりとあたたかくなるのを感じた。 「……今夜だけでも、傍にいてください」  口をついて出た言葉は、まるで囁くかのように小さかった。 「約束しよう」  リオールの声が、夜気のなかに静かに溶けていく。  やがてふたりの時間は、夢へとゆっくり沈んでいく。  穏やかな、春の夜のままに。

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