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第44話

□    それは、午後の講義が終わり、書物を流し読みしていた時のこと。  ふとした瞬間、空気が変わった。  読んでいた書物の文字が滲み、指先から汗が滲む。  体内を這い上がってくるような熱に、アスカは唇を噛みしめた。 「──アスカ様」  振り返ると、清夏が立っていた。  いつの間に入ってきたのかも分からないほど、気配を抑えたまま。けれどその目は、鋭く、何かを見透かしている。  続いて、薄氷も部屋に入ってくる。手には小さな布袋が握られていた。 「……気づかれて、いたんですか」  アスカの声はわずかに掠れていた。  おそらくその布袋には抑制剤が入っているのだろう。  清夏はひとつ頷く。 「薄氷殿が今朝、微かに香りを感じ取ったと言っておりました。念のため、私どもは昨日から抑制剤を服用しております」 「……」 「本格的に発情期(ヒート)が始まる前に、離れにご案内いたします」  表情は変わらないが、その言動に一切の無駄がない。  王宮において、オメガの発情期は『管理対象』なのだと思い知らされる。  支度はすぐに整えられた。  道中、すれ違う者もいない。  おそらく、この一帯の使用人にはあらかじめ近づくなとの通達が出ているのだろう。  案内されたのは、王宮の隅にある静かな離れだった。  長く使われていないのか、空気はひんやりと乾いている。  分厚い扉と石造りの壁が、外界から隔絶されているのを物語っていた。 「ここで、数日お過ごしいただきます。水と食事、必要な薬と書物はすべてご用意いたします」  清夏の声に、アスカはうなずくしかできなかった。

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