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第54話

 リオールがアスカのもとに着いた時、そこはあまりにも静まり返っていた。  誰もいないかのような、そこだけ切り取られたかのような空間は異質で。  静かに宮の中に入れば、小さく啜り泣く声が聞こえた。    アスカが発情期に入ってからというもの、リオールは毎日抑制剤を飲んではいるが、それでも完全に防げるわけではないフェロモンの香りが動悸を速くさせる。 「──アスカ様……」  薄氷の声が悲痛に満ちている。  リオールはこの先にいるアスカの姿を想像して、怒る心を鎮めること無く扉を開いた。 「アスカ……っ」 「っ!」  中にいたアスカも薄氷も、リオールの声を聞いて肩を大きくふるわせた。  薄氷は慌てて平伏す。  アスカは怯えたような顔でリオールを見てすぐ、何を言うことも無く俯いた。 「──さがれ」  静かに命令され、薄氷はそのまま部屋を後にする。  寝台で上体を起こし、手元に視線を落としているアスカの衣服や髪は、少し乱れてはいるが、誰かに触れられたような形跡は見当たらない。 「アスカ……アスカ、こちらをむいては、くれないか」 「っ、」  アスカの肩が震えている。  その細い背に、リオールは思わず手を伸ばしかけて──しかし、止めた。  もし今、触れてしまえば、自分の中の怒りが堰を切ってあふれてしまいそうだった。  声を荒げてはならない。眉をひそめてもいけない。  今はただ、静かに、穏やかに、彼の隣にいるべきなのだとわかっていた。 「……大丈夫だ。誰も、そなたに触れない。私が、絶対にそうさせない」  言葉とは裏腹に、拳は震えていた。  爪が食い込むほどに手を握りしめ、掌からは血が溢れる。  嗅ぎ取った甘く熱を帯びた香り。  その香りに、別の男の存在が混じっていなかったこと。  それだけが、唯一の救いだった。  ──どうして、アスカがこんな目に遭わなければならなかったのだ。  怒りが胸を刺す。だが、それを顔には出さない。 「無事で、良かった」 「っ、リオール様……っ」  リオールはゆっくりと微笑んだ。  無理矢理貼り付けたその顔は、まるで仮面のよう。  アスカの手が伸びてきて、リオールの手に重なる。  熱い体温。きっと今は起きていることすら辛いに違いないはず。  それでも──自分の手を取ってくれた。  守りきれなかったという悔しさと、それでもなお求められたことへの救いが、胸を締めつける。 「眠れそうか……?」 「……はぁ、リオール様……」  リオールの顔を見て、声を聞いて、匂いを嗅いで、アスカは少し安心したのか、甘く熱を帯びた声で名前を呼ばれると、リオールの腰がズクンと疼いた。

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