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第55話

 そんな体の反応に気づかなかったかのように、冷静にアスカを寝台に寝かせる。  リオールの指が、そっとアスカの髪を梳く。  細い肩はまだ小さく震えているけれど、少しずつ呼吸が落ち着いていった。 「大丈夫だ。何も怖くない。そばにいる」  その囁きに、アスカは微かに頷く。  まぶたがゆっくりと閉じられた。  リオールはしばらくの間、その寝顔をじっと見つめていた。  指一本触れぬよう、ただ静かに。  アスカが安らかに眠ってくれることが、今は何よりも救いだった。  小さな寝息を確認してから、リオールはそっと立ち上がり、息を詰めるようにして扉を開け、音を立てぬよう閉じる。  ──そして、次の瞬間だった。  バンッ、と廊下の壁に拳が叩きつけられた。 「……ふざけるな……ッ」  声を殺しながら、リオールは荒く息を吐く。  手の甲はその衝撃でぱっくりと裂け、血が滲む。  顔を上げたその瞳は、いつもの冷静さなど欠片もなかった。  剥き出しの怒りと、どうしようもない無力感。  今にも噛みつきそうな獣のような呼吸。 「殿下ッ」  陽春が顔を青ざめさせ、慌てて駆け寄る。 「……私が、触れられないからと、宦官なんぞを送り込むとは……っ!」  低く呟いたその声には、ただ怒りだけではなく、自分を責めるような痛みも滲んでいた。  触れたいと思った。  けれど、アスカは拒んだ。それは、自分がまだ子供だからだ。  そのことを、理解していたし、受け入れていたはずだった。  ──だが、 「だからって……っ、どうして、他の男が許されるのだ……!」  リオールの声がわずかに震える。  『代わり』を宛てがわれるほど、自分は無力なのか。  そう思うたび、胸の奥に針が突き刺さるようだった。  震える手で、壁を殴る。  何度も、何度も、声を殺しながら。

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