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第60話

□  扉が、音もなく開かれる。  中に入ると、ほのかに甘く香る静かな空間に、アスカは寝台で上体を起こし座っていた。  薄氷がそっと退出し、室内にはふたりきりになった。  リオールは寝台の傍らに静かに歩み寄った。 「アスカ……」  呼びかけると、アスカの瞼がわずかに震え、こちらを向く。  熱に浮かされたような潤んだ双眸が、まっすぐにリオールを見つめている。 「来て、くださったのですね」  その囁きが、どれほどの強さを持っているのかを、リオールは知っていた。  この発情期という最中に、この状態で、誰かを求めることがどれほど勇気のいることか。  リオールはためらわず、そっとその手に指を伸ばす。  アスカの手が、柔らかく重なった。  熱を帯びた手のひらが、静かにリオールの指を握り返してくる。  それだけで、胸の奥が焼けるように、幸せで、痛いほどだった。 「……ずっと、怖かったのです。……でも、本当はあなたに……あなたに触れてほしかった」  震える声。  リオールは手を握ったまま、そっと頷いた。 「触れていいか?」 「……はい」  そのまま、アスカの声が、ごくごく小さく続く。 「……どうか、抱きしめて、ください……リオール様」  言葉を聞いた瞬間、視界が滲んだ。  感情が押し寄せて、喉の奥が熱くなる。  この身を求めてくれることが、こんなにも嬉しいだなんて。 「ああ……ありがとう、アスカ……」  心から絞り出したその声は、少し震えていた。  けれど、その手はしっかりと彼を抱きしめる。  しなやかで細い体を、胸元へと引き寄せる。  重なる鼓動、すがるようにすり寄ってくる熱。  それでも、リオールはただ静かに、その背を撫でるだけ。 「アスカ。何もしないと約束する。そなたのそばにいれるだけでいい。……このまま、ここにいても、いいか?」  問いかける声に、アスカは小さく、けれど確かに頷いた。  その温もりだけで、もう、何もいらないと思えた。  ただ、アスカの居場所になれることが、今のリオールにとってのすべてだった。

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