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第69話

 リオールの顔が、近い。  さっきまでとは違い、どこか緊張したような、それでも真っすぐな眼差しがアスカを見つめていた。  視線を外そうにも、頬が火照って、うまく動けない。息をするたび、胸の奥が苦しくて仕方がない。 「……アスカ」  囁かれた名前が、耳の奥に優しく響き、腰にズクンと甘い痺れが走った。  アスカは小さく瞬きをする。  リオールの睫毛の長さも、瞳の色も、こんなに近くで見たのは初めてだった。  ずっとそばにいたはずなのに──今、彼は知らない誰かのように、大人びて見える。  自然と身体が強張るのがわかった。  指先に力が入る。どんな風にすればいいのか、何が正解なのか、何もわからない。ただ、リオールの息遣いだけが確かに感じられて、頭が真っ白になりそうだった。 「リオール様……」 「ああ、何だ」 「……口付けは、どう、するのでしょうか」  震える声で尋ねた自分が、情けない。  けれどリオールは驚くこともからかうこともなく、ふわりと微笑んだ。 「私も、初めてだ」  その言葉に、アスカの胸の奥が、きゅうっとなった。  アスカと出会うまでに幾人かのオメガと訓練を行っていたはずなのに、口付けは初めてだなんて。 「……では、二人で、やってみますか」  ぎこちなく口にすれば、リオールは静かに頷いた。  彼の手が、そっとアスカの頬に触れる。  その温もりに、心臓が跳ねるように鼓動を打つ。  指先は優しくて、包み込むようで、自然と目を閉じていた。  ──そっと唇が触れ合う。  それだけのことなのに、全身が痺れるような感覚に包まれる。  こんなにも唇は柔らかくて、あたたかいものだったのか。  呼吸の仕方もわからなくなるほど、歓喜で震える。  ほんの一瞬のようで、けれど、永遠のようでもあった。  離れたあと、アスカはゆっくりと目を開ける。目の前にあるのは、照れくさそうに微笑むリオールの顔。 「うまく……できましたか……?」  そう聞くと、彼は少しだけ顔を赤らめて、困ったように笑った。 「さあ、どうだろう。けれど……この上なく、気持ちよかった」  その言葉に、アスカの頬がますます熱くなる。唇に残った余韻が、まだ消えそうになくて、ふと指でそこをそっとなぞった。  こんなにも、胸がいっぱいになるなんて思わなかった。  それ以上は何もせず、ただふたりは見つめ合っていた。  寄り添うには、まだ心の準備ができていなくて。  ──それでも、リオールがそこにいて、アスカを安心させる。  部屋には柔らかな灯りだけが揺れていた。  夜も深いのに、どこか目が冴えてしまうのは、初めて知ったこの気持ちのせいだろう。  ただ見つめ合うだけで、胸があたたかくなる。  言葉では表せない想いが、そっとふたりの間に灯っていた。

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