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第74話

□   ──暗い  どこまでも、底が見えない闇に沈んでいく感覚。  触れるものはなく、足元も、身体の輪郭さえも曖昧だった。  自分がどこにいるのか、何をしていたのかもわからない。  ただ、重く、深く、冷たい何かに押し潰されていく。  音もない。光もない。  まるで世界に、自分だけが取り残されたような孤独感がそこにはある。  ……何かが、あったはずなのに。  名前を呼ばれた気がする。誰かが傍にいた気がする。  けれど思い出せない。指の先にすら、何も感じられない。  『死』という言葉が、形になって迫ってくる。  その気配が、確かにここにはあった。  寒い。苦しい。怖い──。  どうしてこんなにも、寂しいんだろう。  どうしてこんなにも、泣きたくなるんだろう。  体は動かないのに、心だけが、必死に何かを求めていた。  誰か、誰か、お願い──。  ここから、連れ出して──  ──そのときだった。  『……アスカ』  誰かの声がした。  優しくて、懐かしくて、深く胸に届く声。  『……アスカ、お願いだ。目を覚ましてくれ……っ』  その声は、胸の奥を静かに震わせた。  冷たい海に沈んでいた心が、かすかに浮上する。  この声を、知っている。忘れるはずがない。  ──リオール。  遠く、何かが触れた。  あたたかい。優しい。  手を、包まれている。  『頼む……』  強く、自分を呼んでくれる。  震えていた心が、すこしずつ、温まっていく。  痛みも、苦しさもあるのに、不思議と心地良くて。  ただ、生きたいと思った。  リオールの声が、手が、あまりにも優しくて、温かい。  ──ああ、リオール様……大丈夫です。私はここにいます……  けれど、声は出ない。  まぶたは重たく、何度呼ばれても、目を開けられない。  それでも、  ──お願い、もう少し。  その手を、離さないで。  涙がツーっと、目尻を伝い零れた。

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