77 / 207

第77話

 静かな部屋に突然「あっ」と清夏の驚くような声が響いた。  何事か、と俯きがちだった顔を上げる。 「──っ! アスカ!」  薄らと、アスカの目が開いていた。  しかし、意識は朦朧としているようで、名前を呼ぶが反応が薄い。 「──殿下、失礼します」  医務官はすぐさまアスカの顔を覗き込み、何度か声をかける。  リオールは少し距離をとり、決して医務官の邪魔にはならないように徹した。 「アスカ様、私の声が聞こえますか。聞こえておられましたら、一度、瞬きをしてください」  ゆっくりとアスカは目を閉じて、再び開いた。  リオールはぐっと涙しそうになるのを堪え、強く拳を握る。 「何があったか、覚えておりますか。覚えておられましたら、また、もう一度、瞬きをしてください」 「……」  少し時間が開けて、閉じられた目。  医務官は頷くと、リオールに向き直る。 「一先ず、峠は越えました」 「っ、」  ワッ、と従者たちの声が上がる。  陽春に寒露、清夏に薄氷も、涙を流すほど喜んでいる。 「アスカ様、お水です。少しずつお飲みください」  匙にすくった水を、医務官がアスカの口元に持っていく。  途端、アスカは大きく身体を震わせた。  顔を見れば、ひどく怯えているのが分かり、リオールはハッとする。    毒を飲んで苦しんだアスカは、何かを『飲む』という行為が、怖いのではないか。 「──アスカ、飲むのが怖いのか……?」 「……っ、」  泣きそうに歪んだ顔を見て、リオールは思わず唇を噛み締めた。   「これは、ただの水だ。怖いのなら、まずは私が飲もう」 「ゃ……」  小さく拒否する声。  リオールは眉を八の字にすると、そっとアスカの頬を撫でる。 「だが、水分を取らねば」 「……」  アスカの目から、ポロリと零れる涙。  リオールはそれを指先で拭うと、医務官から匙を預かる。 「私の手からであれば、飲んでくれるか……?」  アスカの睫毛が、ふるふると震えた。  一度、ゆっくりとまぶたを閉じる。  その瞬きが、どんな返事よりも雄弁に、リオールの胸を満たした。  

ともだちにシェアしよう!