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第81話
しかし──待てど暮らせど、薄氷は戻ってこなかった。
小春の名が記録されている以上、すぐに姿を現すはず。
しかし、時が経つにつれ、胸の奥にじわじわと嫌な予感が広がっていく。
リオールが椅子を押し、立ち上がろうとしたその時──。
廊下の奥から、足音が駆けてくる。
現れたのは、息を切らした薄氷だった。
その顔にはいつになく影が差し、肩を上下させながら、深く頭を下げた。リオールと目を合わせようとはしない。
「──申し訳ございません……! 小春と名乗っていた者の姿が、どこにも見当たりませんでした……!」
リオールは静かに目を細める。
「姿が……ないだと?」
「はい。二日ほど前から、彼女を見ていないと証言する者がほとんどで……まるで、最初から存在していなかったかのようです」
薄氷の拳が、静かに震える。
その報告に、誰もが答えを悟った。小春──その女こそが、毒を盛った張本人だ。
リオールは短く舌を鳴らす。
「小春とは、私が直接、尋問を行いました。それなのに……私は、完全に騙されていた。口調も立ち居振る舞いも、配膳係として違和感のないもので……私は、すべてを見落としていたのです……!」
絞り出すような声に、悔しさが滲んでいた。
薄氷という男が、ここまで自分を責めるのは珍しい。
「……配膳係として振る舞う術を、徹底して学んだ上で潜り込んだとすれば、よほどの覚悟を持った者だったということだ。そなた一人の責任ではない」
それでも、彼の目は伏せられたままだった。
薄氷のアスカへの忠誠心が、こんな状況でも嬉しく思える。
「責任ではなく、無念なのです……見抜けなかった自分が、ただ……悔しい」
「その悔しさは、必ず今後の糧となるだろう」
リオールの声は低く、だが確かだった。
その言葉に、薄氷は小さく頷く。
「──今より、人事記録と出入り記録を洗い出します。所属先、入宮した日、過去の移動記録……残っている限りすべてを」
「それでいい。記録係にも伝えろ。名簿の写しを取り寄せ、痕跡が残っていないか徹底的に調べる。偽名である可能性も含めてな」
「承知しました」
もう迷いはないとばかりに、薄氷は踵を返す。
リオールはその背を静かに見送った。
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