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第82話
──リオールが出した記録照会の命は、すぐに各部署へと伝わった。
膨大な名簿と日誌が開かれ、人事と出入りの記録が次々に洗い出される。
命を受けた書記たちは無言で動き、ペンの走る音が書庫の隅々に響いていた。
しかし、それとほぼ同時に、まったく別の、予想だにしていなかった場所から報せが舞い込む。
「──皇太子殿下。国王陛下より、伝言でございます」
顔を見せたのは、王直属の近衛兵だった。
身なりは整えられ、所作は凛と研ぎ澄まされていた。
その姿だけで、ただの使者ではないことがわかり、室内に微かな緊張が走る。
「……陛下から、だと?」
リオールの声がわずかに低く落ちた。
「はい。『小春と名乗る女について、既に拘束を済ませている』と──」
その一言に、空気が凍った。
陽春が思わず息を呑み、視線をさまよわせる。
だがリオールは、何も言わず、ただ静かに視線だけで続きを促す。
「女は、二日前の深夜。通用門から外へ出ようとしたところを、王直属の私兵が捕らえました。
──陛下の命により、裏門の監視を強化していたとのことです」
……まさか。
こちらが小春の痕跡を探し始めたよりも早く。
王はすでに、女の逃亡を察知し、手を打っていた。
誰よりも先に、静かに、完璧に。
王の圧倒的な先手が、これほどまでに鮮やかだったとは──。
──陛下は……いつから、この件にお気付きに……?
リオールの脳裏を、冷たい霧のような疑念が這う。
まさか、アスカが倒れたあの日から?
あるいは、それよりもずっと前から──もしかすると、女が仕込まれた段階で、すでに……?
考えれば考えるほど、背筋が冷える。
王は、すべてを見ていたのか。
我々が動き出すことも、記録を洗うことも。
──すべて、承知の上で黙していたのではないか。
それほどまでに、あの方は……。
リオールは、じわりと手に汗をにじませながら、ゆっくりと目を伏せた。
……これが、『王』か
隙のない采配。
目に見えぬところに張り巡らされた情報網。
そして、なによりの力。
小春のようなただの女官すら見逃さず、誰にも気取られずに、正確に、確実に手を打つ。
無駄なく、容赦なく。
己の器の違いを、まざまざと見せつけられた気がした。
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