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第157話

■■■  幼馴染であるルカに、数年ぶりに再会したアスカは王妃という立場も忘れ、昔のように会話を楽しんでいた。  そして、その楽しさと嬉しさを胸に抱えたまま、彼と別れ、そっと振り返る。  そこで待ってくれていたリオール。  彼の表情は、いつもと変わらないように見えた。けれど、どこか少しだけ──淡く、遠い。  どうしたんだろう。再び聞いてみようかと口を開きかけて、アスカはそっと飲み込んだ。  今は視察の途中。道に立ち止まっている時間はそれほどない。 「行きましょう、リオール様」  努めていつも通りの声でそう言って、リオールの手を軽く引く。  彼はほんの一瞬の間を置いて、「ああ」と短く答えた。  それからしばらく、ふたりは街の喧騒の中を歩いた。  屋台の匂い、商人たちの声、子どもたちの笑い声。すべてが日常の一片で、王宮とは違う空気が流れている。  ──だが。  そんな賑やかさが一瞬で途切れる路地があった。 「……あそこ、通れますかね?」  アスカが何気なく指差したその先は、表通りからほんの少し外れた、薄暗い小道。  物陰には積まれた木箱、濡れた地面。人の気配はまばらで、どこかひんやりしている。 「気をつけろ。足元が悪い」  リオールにそう声をかけられた直後だった。  アスカは、道の途中でしゃがみこむ小さな影を見つけて立ち止まり、目を見開く。 「……子供?」  薄汚れた上着を着た小さな背中が、片隅で丸まっている。 「大丈夫……?」  アスカはしゃがみ込み、そっとその背中に手を伸ばした。  びくっ、と子どもの身体が大きく震える。  そして、ゆっくりと顔を上げ、虚ろな目でアスカを見上げてくる。 「……母ちゃん……?」  か細い声に、アスカの胸がぎゅっと音を立てて締め付けられた。   「……ごめんね、君のお母さんではないよ」 「母ちゃん、どこ……?」 「……ごめんね。わからないんだ」  気づけば、子供を優しく抱きしめていた。汚れているのも、冷たいのも気にならなかった。    背中に回された手は細くて、脆い。  きっと、何日も食事にありつけていないのだろうと思わされる。  どうにかして、この子のお腹をいっぱいに満たしてやりたいと思う。  リオールが後ろからゆっくりと近づいてくる。  しかし、何を言うわけでもなく、険しい顔で子供を一瞥しただけであった。  おそらく、今この場で出来ることが、何もないことを理解している。  どうすることもできない現実を、噛み締めているように見えた。  そうしてアスカが困惑していたその時、後方から静かな声が届く。 「アスカ様、そろそろ……」  護衛が警戒の視線を周囲に向けながら、小さく声をかける。  通行人たちが、どこか特別な気配を察したのか、こちらへ視線を送っていた。 「……っ、ごめんね、ごめん……」  アスカは、抱きしめた子供の身体をそっと離し、震える手で肩を撫でる。  その目には、言いようのない衝撃と、どうしようもない悔しさが滲んでいた。  視察という名の逢瀬。その先に待っていたのは、ただ甘いだけではない現実だった。  アスカの胸には、重く、冷たいものが残っていた。

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