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第168話

 厨房に着いた途端、アスカは再び胃の不快感に襲われた。  けれど、顔には出さない。  料理長と話していた陛下の会話が終わると、陛下のすぐ側に幼い女官がやって来て、その女官に、まるで妹に接するような柔らかい笑みを向けていた。 「王妃、この娘は鈴蘭という」 「……」  口を開けてはいけない。そう思ったアスカは、にっこりと無理に作った顔で頷いた。 「この娘のことは、また今度、ゆっくり話したい。しかし、幼いながらとてもしっかりしているんだ」  リオールが楽しそうに話しているのを聴きながら、アスカは一人耐えていた。  ──しかし  ある時、調理中の香りがふわりと鼻先をかすめたその瞬間──  ──ぐっ。  突然、胸の奥から込み上げるものがあった。 「っ……」  反射的に口元を押さえ、その場にしゃがみ込む。 「王妃!? どうした、王妃!」 「王妃様!?」  慌てて駆け寄ってくるリオールと、清夏。  しかしアスカは何も言えず、そのまま吐き気に襲われ、近くの桶に手を伸ばした。  吐き終えたアスカは、ぐったりとした様子で桶に凭れかかっていた。  顔色は真っ青で、額にはうっすら汗がにじんでいる。 「……すぐに、医務官を呼べ!」  リオールが厳しい声をあげると、薄氷がすぐに駆け出していく。 「王妃、大丈夫か……?」  リオールはそっとその背を撫でながら、桶を支えるアスカの手に触れた。 「も、申し訳、ございません……こんなところで……っ、汚して……」  アスカの声はかすれて、震えていた。  人前で嘔吐してしまった。しかも、こんな場所で。  情けなさに体が震え、目に涙が溜まる。 「謝るな。気にしなくて良い。楽な体勢に……私に寄りかかりなさい。ああ、こんなになるまで無理をして……」  その言葉に、アスカは体から力を抜くと、リオールにもたれ掛かり目を伏せた。  しばらくして、息を切らした医務官が厨房に駆け込んでくる。 「王妃様、お身体を診させていただきます。恐れ入りますが、少し横になれる部屋へ──」 「王妃、少し触るぞ」  リオールはそう言って、ぐったりしているアスカを抱き立ち上がった。  振動が響く。再びもどしそうになったのを堪え、アスカは口元を手で覆い、キュッと目を強く閉じた。

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