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第183話

「俺じゃねえ。……俺はわかってるさ。王妃様が……お優しい方だということはな。しかし、どうしても許せないと思う人間はいる」 「……それは、誰だ」 「……こんなとこで話すようなことじゃなかったな。──ほら見ろ、犯人を捕まえようと兵士がうじゃうじゃといやがる」  キクリが少し正気に戻ったようで、周りを見て声を潜めた。  ルカは心の中で舌打ちをすると、次はシオサの方に顔を向ける。 「あんたは? 王妃様のこと、キクリと同じように思うのかい?」 「俺は……いいや、あの御方はきっと、ご自身が辛い思いをしたこともあるから、今持っている力を使って、国民を救おうとしてくださってるのだと、思うよ」 「……そうか」  ルカはわかっている国民もいるのだと安心して、キクリに再び視線を戻した。 「この国は決して貧しいわけではない。それどころか、貧富の差はそこまで大きくもないだろう。……時折見るボロを着た子どもたちは、親を亡くしたのだろうなと思うし、大人は……働く場所が見つからないのか、ただ体が弱くて働けないのか……色んな事情があるはずだ」    ルカの言葉を静かに聞くキクリは、視線を下げたまま、盃に手を伸ばすことさえできなくなっていた。 「……王妃様は、身重だったらしい。お前もさっき、貼り紙を見ただろう」 「っ、」   ルカは言葉を切り、しばし盃を傾けた。 「……お前、知ってるな。犯人のことを」  ルカはジワジワとキクリを詰めていく。  犯人を知っているのなら、教えろ、と。  キクリは何も言わず、ただ黙っていた。  黙って、黙って、視線を落としたまま、盃を握りしめる手が小刻みに震えていた。  やがて、その震えが止まり、ぽつりと、こぼすように言った。 「……ああ、知っている」  シオサが息を呑む。  ルカは何も言わず、ただ彼の言葉を聞き逃さぬように耳を澄ませる。 「……俺じゃねえ。ただ、昔からの知り合いに──平民の王妃が気に食わねえって言っていた。……あの時、あいつが炊き出しに行ったのは、腹が減ってたからじゃねえ……。王妃を傷つけようと、していたんだ」 「名前は、なんという」 「……イサク、だ。貧しくて妻と子供を亡くした、哀れな男よ」  ルカは静かに目を伏せた。  そこにあったのは怒りでも憐れみでもない、ただ、揺れそうになる心に蓋をするための動きだった。

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