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第201話 声なき忠誠

「明日より、後宮の離れにお住いになるアスカ殿の侍女に任命する。お心置きなくお過ごしいただけるよう、誠心誠意をかけて務めるように」 「──承知しました」  宣言が下された瞬間、周囲の空気がわずかに揺れる。それは重みのある任命だった。  ある晴れた日のことだった。  王宮女官──清夏は、急遽明日から王宮にあがるアスカの侍女となったのだ。    ──アスカ様は、何を好まれるだろうか  清夏は幼い頃から王宮で働いていた。  齢一桁の時より下働きを始め、今では女官達を指導する側でもある。  そんな彼女が侍女として任命されたので、清夏自身、  ──皇太子殿下は、本気なのだわ  と、変わらぬ表情で思っていた。  聞くところによると、アスカは平民の出だった。  王族の仕来りにより、召喚されたオメガに、皇太子殿下は恋に落ちたようだ。  アスカが王宮に住まうにあたり、国王陛下と一悶着あったようだが、あまり首を突っ込むのは得策ではない。  長い王宮暮らしで、清夏は様々な模様を見てきた。  知ってはいけないことも、世の中にはあるのだと、よくよく理解をしている。  清夏にとって、アスカの身分は些細なことだった。  ただ、主となる方には不自由のない生活を送って貰いたい。  そんな思いでアスカに仕え、働いてはいるのだが、如何せん表情が固く、口数も少ない清夏は、どうやら彼の緊張する原因にもなっているようだった。  毎日、必ず挨拶はするし、困っていたのなら手を差し伸べる。  だがしかし、心が素直に届いてはくれない。    アスカは毎日のようにある礼儀作法の指導で、ひどく疲弊していた。  教育担当のヴェルデは、アスカが平民であることをあまりよく思っていなかったようで、厳しい言葉を投げられることもしばしば。  皇太子殿下にご相談をなさればいいのに……と思っていたのだが、アスカはそんなことはせず、ただ一人で必死に学ぼうとしていた。  指導の時間でなくても自主的に練習をし、時折涙ぐんでいることもあったが、決して涙をこぼすことはなかった。  ──お力に、なりたい  次第にそう思うようになった清夏は、リオールがヴェルデに『アスカに対する言動は、指導ではなく、侮辱だ』と注意をしたその日のこと。  薄氷にアスカを託し、足音を忍ばせて書庫へと向かった。  ──この本は、読みやすいはず。少しつまらない部分もあるけれど、そこは私が補足すればいい  ──王宮の歴史についても、学ばれる方が良いかしら。……けれど、あまり知りすぎるのも、危なくなるかもしれない  清夏は悩みながら、数冊の本を本棚から引き抜き、腕に抱えた。  こんなことで、アスカの孤独な日々が明るくなるかはわからない。  しかし、少しでもアスカのために動きたいと思った。  届かなくてもいい。ただ、少しでも笑える日が来るようにと──その願いだけを胸に、静かにアスカの住む仮住まいの宮まで歩みを進めた。   □  どうやら主は皇太子殿下と散策に出かけたまま、皇太宮でお休みになられたようだった。  アスカが戻ってくる間にお部屋の掃除をしようとした清夏の元に、ひとつの報せが届く。  それは昨日皇太子殿下により注意を受けたヴェルデの任が解かれ、次の指導者が決まるまでは時間がかかるとのこと。  その報せを後程アスカに伝えることにし、室内に入ろうとして、主が戻ってくる姿を視界の隅に捉えた。 「おはようございます」 「ぁ……おはようございます」  控え目に挨拶を返してくれる。  中に入っていくアスカの背を見送り、すぐに朝食を用意するよう、厨房まで連絡に走らせる。  そうして届いた朝餉を、アスカはいつもより明るい表情で食べていた。  これには清夏もほっとした。 「アスカ様」 「はい」  そして、朝餉の間に届いていた報せを伝える。 「昨日、ヴェルデ様の任が解かれました。つきましては、次の指導者が決まるまで、少々お時間をいただくことになります」 「あ……はい」 「何かご希望はございますか?」  アスカは困ったように、苦笑を浮かべている。  清夏は、それもそうね、と思いつつも、例えば『優しい人がいい』だとか、そんな抽象的な希望があれば、それに沿う人を探す予定だった。 「お任せします。私には、どなたが適任か……まだわかりません」 「かしこまりました。それでは、そのように」  だが、アスカは何も言わない。  ただ清夏に任せるとだけ。  しかし、清夏は『任されたこと』が嬉しかった。  どんな人物がいいだろうか。  早速、清夏の頭の中にさまざまな人物の顔が浮び上がる。 「清夏さん」  唐突に名前を呼ばれ、清夏はすぐに返事をした。 「……私に、王宮のことを教えていただけませんか」  するとどうだ。  まさか、自分に教えを乞うているではないか。  清夏は僅かに眉を動かし、アスカをまっすぐに見つめた。  ──私のようなただの女官が、『教える』だなんてこと、してもいいのだろうか。  じっと見てしまったことで気分を悪くさせてしまったのか、アスカは肩をすくませる。  それでも、視線を逸らされることはなかった。  清夏はそこで強く決意をする。 「──承知しました」 「ぁ、ありがとうございます」  必ずや、この方の力になって見せようと。  そして、これまで、静かに闇の中で処理をされてしまった、身分の低い者たちのようにはさせない、と。   【声なき忠誠】 完

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