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第203話 あなたをもっと知りたくて
春の陽差しが差し込む、皇太宮の寝殿。
窓の外では柔らかな風が木々を揺らし、寝殿の中にも静かな時間が流れていた。
アスカは朝、目を覚まし、またここで眠ってしまった……と体を起こした。
すぐ近くでは既に起きていたリオールが、なにやら書類を読んでいる。
ふと彼が顔を上げ、視線が交わった。
「アスカ、おはよう」
「はい……おはようございます。すみません、昨日も、寝てしまったようで……」
「構わない。疲れていたんだろう」
夜の散策を終えたあと、皇太宮でふたりきりで言葉を交わすのが、いつの間にか習慣のようになっていた。
そして時々、アスカは眠気に襲われてそこで眠ってしまうことがあるのだ。
「殿下……私は今後ここで眠ってしまわないように、ここに来るのを控えようと思います……」
「!」
それをアスカは申し訳なく思っていた。
自分が寝台で眠っているということは、彼はここで眠れていないということだ。
きっと以前そうしたように、椅子に座ったまま目を閉じていたに違いない。
「な、どうしてだ……? ここでは、寝心地が悪いのか……?」
「違います。申し訳がなくて……」
「どうしてそのように思うんだ。私はそなたがここで穏やかに眠っている姿を見て、安心するというのに……」
「……」
そう言われても、中々うなずけない。
なぜなら、彼は自分よりも年下で、弟と同い年なのだ。
そんな彼を椅子に、そして自分は寝台に……だなんて、やはり罪悪感の方が強い。
「殿下は、私よりも年齢が若くあります」
「……? それが、何だ?」
「私の弟と、同じお年です」
「……」
「それなのに、私が寝台で寝て、殿下は椅子でお休みになられるなんて……申し訳が立ちません……」
シュンとするアスカに、リオールは目を瞬かせた。
彼はそのように感じてしまうのか、と思って。
リオールは幼い頃から時期国王として育てられているので、他の子供と同じような扱いを受けたことは無い。
それを無礼だというものが多いので、まるで大人と同じように接されることばかりだ。
「──アスカは私を、弟と同じように思っているのだな」
「ぁ……す、すみません……」
「いいや、構わない。だが、そなたの弟とは、どんな子なのだ? ……私は、そなたの家族について、まだ何も知らない」
アスカの家族とは、手紙を送りあっているが、しかし文字ばかりで性格を知らない。
そして、どのような暮らしをしていて、アスカがどうやって過ごしていたのかを、知らないのだ。
「弟、ですか……?」
「ああ。それに、そなたの村のことも知りたい。私は、アスカについて、まだあまり知らない」
リオールはそう言って、寝台に座るアスカの隣に腰を下ろした。
「そうですね……言われてみれば、ちゃんと話したことは、なかったかもしれません」
「どんな場所だったんだ?」
アスカは、故郷を思い出して、愛おしそうに目を細めた。
「……あまり特別なところでは無いですが、小さくて、山の近くにあって。冬は寒くて、でも春になると、花がいっぱい咲く、いい所です」
どこか遠くを見つめるような顔には、笑みが浮かんでいる。
「隣の家に友人がいまして、名前はルカと言います。彼は……いつも朝になると勝手にうちに入ってきたりして、母に怒られながら朝食を食べていました。しかも、自分の家より美味しいって言うんです」
「ふふ、可愛らしいな」
「はい。同い年ですが、弟の──アレンと仲が良くて、ルカもまるで弟のようでした。アレンとルカと、よく一緒に木に登って、落ちて、怒られたりもして……」
アスカの声には、懐かしさと、少しの寂しさが混ざっていた。
リオールは黙ってその横顔を見つめる。
「アレンは、殿下とは違って……すごく騒がしい子でしたよ。こう……動作が大きいと言いますか……」
「動作が?」
「はい。話が大好きな子で、私は大抵聞き役になってました」
「そうなのか?」
「はい。アレンの下にはアキラという弟がいますが、アレンが話しすぎるので、飽きて無視することもあって……そこからは、よく喧嘩が始まってました」
くくっと小さく笑うアスカに、リオールは穏やかな笑みを浮かべる。
「アスカが、そんな日々を過ごしてきたと知れて、嬉しい」
「……え?」
「今、アスカがここにいてくれることが、とても尊く思える」
不意に、胸があたたかくなる。
アスカは何も言わず、そっと口角を上げた。
「こうして、思い出話を聞くのは、嫌ではありませんか?」
「全くそうは思わない。もっと話してくれてもいいぞ。私はアスカを知りたいんだ」
「っ……」
思わぬ言葉に、胸がじわりと熱くなって、思わず彼を見つめ返してしまう。
ふいに彼の手が伸びてくる。
しかし、その時──
「──殿下、そろそろ政務に向かいませんと……」
陽春に声をかけられ、二人はビクッと大きく肩を揺らした。
リオールですら頬を赤くし、手は伸ばされたまま固まっている。
「で、殿下、政務……私が、話しすぎて……すみません……っ!」
「いや、いいんだ。うん。ありがとう、話を聞かせてくれて」
リオールは『陽春め……』と思いながらも、腰を上げる。
「私はもう行くが、アスカは好きにしていて構わないからな」
「は、い……ありがとうございます」
「ああ。では──」
「いってらっしゃいませ」
深く頭を下げたアスカに、リオールは柔く微笑む。
そうして、あらたな一日が始まった。
【あなたをもっと知りたくて】 完
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