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Ch.7
日曜を挟み、週が明けて、月曜。
『HILLOCK』の丘へ登る角の看板が綺麗に描き直されていた。僕が描き直したらと言ってみたのは木曜で、休日の昨日、さっそく対応してくれたのかと思うと、素直に嬉しかった。
それはさておき。昨夜、ついにロンドンから発破をかけられた僕は、のんびりしていられなくなった。締切は金曜日。ここまで、スケジュールを大目に見てもらっていたり、打ち合わせを無理を言ってオンラインで頼んでいたりした手前、遅れるわけにはいかなかった。
そして、月、火、水と『HILLOCK』に開店から閉店まで入り浸って、木曜日。
前日から不安定だった空は今日も朝から崩れがちで、夕方には荒天の予報が出ていた。
いつものように、閉店まで粘って執筆を切り上げた時、客は僕しかいなかった。見れば、窓の外は暗く、視界が霞むほどの雨風が吹き荒れていて、皆、こうなる前にさっさと帰ったらしい。
レジに立つと、呆れ顔の店主が《嵐の前にみんな帰った》とメモを出した。
「もしかして、バイトの人も?」
『もちろん』
「予報がこうも当たると思わなかったよ…」
《外、気がつかなかった?》と書く彼に「教えてくれたらよかったのに」と言ってみると、彼はため息をついた。
《あんなに集中してたら声をかけられなくて》と、メモ。
「…ごめん、むしろありがたかった、実は明日が締切で、必死でやってたから…」
『そうなの!?』
深刻な顔で僕を見つめた彼は、《間に合う?》と書いた。
「わからない、なんとか間に合わせるつもりだけど…」
『…そう』
「明日は死ぬ気で頑張るよ…じゃ、今日も長居させてくれてありがとう」と、帰ろうとした時だ。
腕を掴まれて、驚いて振り返ると、彼が怖い顔をしていた。
『待って!』
「…何、どうかした?」
窓を指して『外、酷い!』と言ったらしい彼は、慌てて《雨が弱まるまで、仕事してていい》と書いた。
「あぁ、ありがとう、すごく嬉しい…」
『…』
「時間外チャージ、必要だね」
《倍額》と書いて鼻を鳴らした彼は、意地悪そうに笑ってみせた。
仕事を再開すると、片付けを終えた店主は2階に行って、小さなBGMと外の嵐だけがひっそりとうるさく店を満たしていた。
それから1時間半ほどして、スマホに《ご飯食べる?》とメッセが届いた。
いつの間にそこにいたのか、僕の足元にうずくまっているピースが「みゃあ」と鳴いた。
「いただくよ、メニューある?」とレスすると、《待ってて》と降りてきた彼は、厨房に入った。
しばらくして、料理の皿をいくつか出してくれた彼は、『酒は?』と聞いた。
「まだいいよ」と答えると、《用があったら呼んで》とメモを出して戻ろうとした彼に、少し驚いた。
「…ねぇ、一緒に食べないの?…ピースもここにいるよ」
『じゃあ』と笑った彼は、自分の皿を持って来て僕の前に座った。
夕食は、チーズペンネ、ローストチキンとマッシュポテトに、かぼちゃのスープ。僕の好きなサラダもあって、気遣いが嬉しい。
「豪華だね」
《ありあわせ》とメッセして、チキンを頬張った彼は、照れ笑いを誤魔化すように窓に顔を向けた。
外は依然、雨風が荒れ狂っている。
「看板、せっかく描き直したのにね」
『また描くよ』
苦笑いを浮かべた不安げな横顔を見れば、考えていることがわかった。
「…心配しないで、やんだら帰るから」
《仕事は大丈夫そう?》とメッセ。
「あぁ、うん…おかげさまで、あとちょっとで目処がつきそう」
『よかった』と微笑んだ彼は、しばらく、黙って食事をしていた。
ごうごうとやかましい嵐に閉じ込められていても、彼がそこにいる静寂が心地よかった。
スープを口に運ぶと、何か、懐かしい感じがした。濃厚でクリーミーなスープは、とても美味(うま)かった。
「…このスープ、すっごい美味いね!」
僕の言葉に、『ありがとう』と頬を赤らめた彼は、スマホを取った。
《最近試行錯誤してたやつ》
「甘くてとろっとしてて、最高」
《ちゃんとピューレしてる》
「店で出したらいいよ」
『そうする』
「…あぁ、これだったのか」
『?』
「初めてここに来た時、コーヒーと何かわからないけどすごくいい匂いがして…いい店だって思ったのを思い出した」
『嬉しい』
ニコニコして、《まだある》と言う彼を見ているだけで、僕も嬉しかった。
「ほしいな」
おかわりのスープを持ってきた彼に、「食事が済んでもそこにいて」と頼んでみると、彼は、いいの?と言いたげな顔で頷いた。
そして、夕食を終えて仕事を再開すると、僕の視界に入らないよう、右側の椅子を選んで静かに掛けた彼は、本を読み始めた。
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