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エントランスを開けると、今日のアルバイトはリンだった。 リンは出迎えた僕に目を丸めたが、すぐに察した顔で「おはようございます、ノーマン」と店内に入った。 「…うん、おはよう、リン」 たまたまだったが、彼女は嵐の日の僕のお泊りを知っているし、ついでにウィルへの好意も仄めかしてあったから、多くを説明せずに済んだ。 「…それで、そういうことですか?」 ウィルの姿がなかったからだろう。厨房を覗いた彼女は、僕にちらりと好奇の目をくれて、テーブルの準備を始めた。 「まぁ、そうーーー」 「嬉しそう」 「嬉しいよ、すごく」 「余計なお世話ですけど…」 「何?」 「付き合ってる?それとも、ただの遊びですか?」 「…君が心配すること?」 「違いますけど…ウィルにとっては大事なことかもーーー」 「つまり?」 「ペラペラ喋るようなことじゃないけど…彼はあんまり、恋愛とかそういうコトに積極的じゃなかったから…」 鼻筋にシワを寄せた彼女の口ぶりが、気になった。 先ほどの彼の辛そうな顔の理由(わけ)は結局わかっておらず、抱き合ってしまえば大丈夫だと思えたが、彼女から察するに、何かそれなりのことがありそうだった。 「…なんか、あったの?」 「あんま詳しいことは言えないから、辛い恋があった、とだけ…」 「…客と?」 「まぁ、うん…詳しいことは、彼に聞いてください」 「彼のこと、よく知ってるねーーー」 「やだー、何もないですよ!ただの雇い主とバイトです、一番古株のバイトってだけ」 「そっか…」 「それで、オーダーは何にします?」 「あぁ、もう帰るから」 スマホを見ると、11時を5分過ぎていた。 そしてまだ、ウィルは店に降りてきていない。 「帰る!?」 「うん、ロンドンに」 「えぇ!?こっちに越してきたのかと思ってた」 「だったらいいんだけど…」 「で、次はいつ来るんですか?」 「今んとこ、未定」 「そーですか」 眉をひそめた彼女に「また来るよ」と背を向けて店を出ると、空は、昨日みたいに清々しく晴れ渡っていた。 昨日からの甘い記憶を思い返しながら歩く道のりは、駅に近づくにつれ、足が重くなった。 電車に乗り込めば、夢のような多幸感がみるみる萎(しぼ)んでいった。そして、これまで知らなかった寂しさが胸に満ちて、あっという間に体中に広がった。 ロンドンに着く手前で、 「遊びなんかじゃない」 「寂しい」 「愛してる」 と送ってみたSMSに、すぐに返信はなかった。 結局、ウィルからメッセがあったのは、その夕方、『HILLOCK』閉店後のことだった。 《ごめん、遅くなった》 《今日は忙しかった》 《きみの言葉が嬉しい》 《僕も寂しい》 《僕も、愛してる》 それでも、打ち合わせ中の僕はすぐに返信できず、まともな返信の時間がとれたのは、飲みに出た20時過ぎだった。 そして、彼が眠りにつくまで、思い思いのペースでそれぞれの今を報告して、「おやすみ」をして、この日が終わった。

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