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Ch.15

朝から何度か雨に濡れて、床に寝たりしたせいで、僕の服はしわくちゃで、全身埃っぽく薄汚れていた。 バスタブに湯を張って、キッチンに立つウィルの手を引くと、彼は、素直にバスルームについてきてくれた。 裸になった僕らは、ウィルは僕の、僕はウィルの、頭から顔、体と、時間をかけて、愛撫のひとつも交わさずに、丁寧に洗った。 湯船に浸かった僕は、ウィルを後ろから抱いた。 バスタブからはみ出た足を向こうの縁にかけて、ゆりかごになった僕の胸で、ウィルはふわふわ浮かんでいる。 「…ティムはいいやつだね、君を心配したって」 僕の右肩を枕にした恋人は、軽く頷いた。 「…君、アルバイトの人達から慕われてるみたいで安心した」 ふっと笑ったウィルは、僕の手を取って、壁に当てた僕の指で字を書いた。 《何様なの?》 「僕?…彼氏様」 抱えた体が、クスクス揺れている。 「…恋人様のほうがいい?」 ふふんと鼻で笑った彼は、僕の頬に頬をぶつけた。 「何か歌う?」 ううんと首を振って、『スマホがない』とジェスチャーをした彼は、また、僕の頬に頬ずりをする。 「…君は酷いよ、一方的に僕を拒絶して」 耳を噛んで、首を噛んで詰(なじ)っても、彼は気持ちよさそうに首を伸ばすだけで、何も言わない。 「お仕置きしたい…」 ぷすっと吹き出した彼は、僕の指で壁に書いた。 《きもい》 「…そう、きもい僕は、君を簡単に諦めたりしない」 楽しそうな口元がほころんで、歯がゆいような微笑みが浮かぶ。 「それで、泣き虫の君をめいっぱい泣かせてーーー」 『泣き虫じゃない!』 「寂しがりで甘えたがりの君をたっぷり甘やかす」 『そんなんじゃない』とぶんぶん頭を振った彼は、肩を揺らして笑っている。 「…ねぇ、明日、ピクニックに行かない?」 『いかない』と鼻を突き上げて、彼はまた、僕の指で《買い出し》と書いた。 「じゃ、僕も行く」 《しごとは?》と書いて、僕の手を離した彼は、小さく俯いた。 「平気だよ」 そのうなじに口付けて、僕を探る手の指に口付けて。肩から首へ辿った唇で、僕を待つ唇に囁いてみる。 「…こっちに、引っ越そうと思ってる」 『そう』 ちらりと目をくれたウィルは、僕の首に猫みたいに額を押し付けた。 「どこか、街のほうに家を探すよ…」 腕ごと抱き締めた体が、静かに僕に沈み込む。 「…それとも、ここに住まわせてくれる?」 『…』 クスクスして僕の腕を解(ほど)いた彼は、僕の手を引いて、繋いだ指の背に口付けた。 「…さすがに腹減った」 そしてまた、僕を枕にした彼は、僕の首に頬を擦(なす)って遊んでいるだけで、答えない。 「ねぇ、そろそろ出ない…?」 いやだと言うように足をばたつかせて飛沫を立てた彼は、バスタブにかけた僕の足に、その足を乗っけた。 「…君って、結構自己中でわがままだね」 頭を起こして振り向いたウィルは、むっとして僕を睨んだ。 そんなふうに。どんな躊躇(ためら)いも遠慮もなく甘えてくれる、ありのままの彼が、ただ、嬉しい。 『もう少し、このままがいい』 その頬に触れて、唇に触れて。ゆっくり、はっきりと訴える声を聞いた。 そうしようと答える代わりに微笑むと、ウィルは、白い歯を見せて笑った。 唇を重ねる間際、とろりと細めた目に、うっすらと涙が滲むのが見えた。 そして、そのまま。強く抱き合った僕らは、柔らかく、温かな静寂にふやけていく幸せに、いつまでもたゆたっていた。

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