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「続きはボクの部屋でしよ」 昂奮がさめた後で、けろりとして体を起こしたネロは、無邪気に目を輝かせて俺の腕を引っ張った。そして、自室に入る前に彼は「シャワーを浴びる」と姿を消し、俺は常からそうしているように、部屋の内部を確認した。 初めて足を踏み入れたネロの部屋は、意外なほど殺風景だった。20㎡ほどの部屋にはクローゼットとキャビネット、小さなドレッサーにベッドしかなく、TVはおろか余計な装飾や調度品は一切ない。ねだればいくらでも買い与えられたであろうに(もちろん自分で買うことだってできたのに)、これでは牢獄と大差なく、彼にとってここは寝床と“作戦本部”だと思えば納得がいく。監視カメラがない部屋を与えられた時点で、彼の企みは成功がほぼ確約されていた。愛人も監視を怠るな、身なり以外に金をかけない愛人は疑えという教訓を得たところで、今後役に立つ時が訪れるかはわからない。 クローゼットとキャビネットには衣服やバッグなど、ドレッサーには多少の小物があるだけで、いくつかのドラッグを除けば特に怪しい物はない。ベッドのサイドチェストには性具の類だけで、べッドの下には何もなく、マットレスをめくるとノートPCがあった。何もない部屋は、物を隠すことが難しい。 寝台に掛けてPCを開いても、ログイン画面が出た時点でお手上げだった。それを脇に放り、タバコに火をつけながら「時代についてけないと、文字通り生き残れない」と言い放った声を思い出していると、ネロが戻った。 「…顧客の部屋を漁るなんて失礼じゃない?」 「安全確認だ」 振り向くと、白いバスローブを着た雇い主が呆れ顔で俺を見下ろしていた。汚れを落とし、さっぱりとした面持ちの彼は、酒のセットを乗せたトレイを持っている。 「それで、何かわかった?」 枕元に掛けた彼は、サイドチェストをテーブル代わりにウイスキーのロックを2つ作った。 雇い主を殺しておきながら呑気なガキだと眺める横顔は、淡いフロアライトを受けてぼんやりと白く発光しているように見える。 「お前は賢い」 「そお…お前って言うのやめてよ」 嬉しそうにマドラーを置いた男は、「はい、アンタの」とグラスをくれた。 「アンタって言うな」 酒に口をつけようとすると、ネロは「バカ、待ってよ」とわざとらしくむくれた。 「乾杯してから」 「何に」 「ボクの帝国に」とグラスを上げた彼に、「くだらない」とグラスを掲げた。 ネロは美味そうに酒を煽ったが、のんびり味わっている場合ではない。高級なスコッチを舐めても味はよくわからず、有り難みが薄かった。 「…それで、どうする?」 「どうって?」 不思議そうに俺を仰いだ男は、白目も黒目も大きな目を瞬いた。 改めて間近で見る顔は確かな美形で、妖しく光る緑の瞳や、紅を引いたように鮮やかな唇は白い肌によく映えて、ただ、綺麗だと思えた。 「このまま朝になって発覚すれば、あっという間に修羅場だ」 「考えてある」 「教えろーーー」 「そんなことよりファックしよーよ、朝が来る前に」 ネロはグラスを置くと、ウキウキと俺の脚の間に潜り込んだ。 ニヤつく唇を舐めずりながら上目で俺を焚きつける男が、今更に不自然なほど芝居がかって見えた俺は、思わず彼を止めた。 「お前はゲイ?」 「違う」 「もともと娼夫だった?」 「違う、演じてただけ」 「…さっきも?」 「何が気になる?ファックはファックだ」 「とにかく、どうしてまだしたがる?もう必要はないはずだ」 「………」 しばらくネロは、ぽかんとして俺を見つめていた。 「今はお前が主人で、俺に奉仕させるほうだろう」 「…そーだね」 初めてまともに俺の言葉を真に受けたらしいネロは、股から這い出るとどすんと俺の側に座り直した。 情夫の仮面が落ちた横顔は、どんな感情も読めない。 「長いことアイジンしてたからさ、板についちゃってた」 「それなら、ファックの必要はないーーー」 「ある」 サイドチェストの引き出しからスプリフ(タバコ状の大麻)を取り、「ん」とこちらに差し出す男の手を払った。 「クスリはやらない、仕事に支障が出る」 「つまんな、ほんとクソ真面目なんだから」 ネロは呆れた一瞥をくれると、お構いなしに咥えて火をつけた。 「それで明日は?」 「しつこい」 「仕事をざっくりでも把握しておきたい」 「朝イチでここにいる他の連中を皆殺し、その後、幹部達にシーザーの写真を送って招集する、昼前には新しいボスであるボクの御前会議を開いて承認させる」 すぱすぱとスプリフを吸いながら、雇い主はまるでピクニックの計画くらいにさらりと言ってのけたが、場合によっては、幹部すら皆殺しだ。 どこまでも無謀なガキだとうんざりした俺は、酒を多めに舐めた。 「わざわざ写真を送る必要はない」 「どうして?ビビらせた方がいい」 「アレを知らせるのはここに集めてからでも遅くない、そんなデータをばら撒くなんて悪手だ、そんなことしたら下手すれば組織の全員が牙を剥く可能性もあるし、誰がどこでタレ込むかわからない、お前の帝国とかいうのを作る前にパクられたいのか?賢いお前なら少し考えればわかるだろ…」 冷めたような目で俺を眺めていたネロは、「それもそーだね」と思いのほか素直に理解を示した。 「それで、どうやってお前を承認させる?」 「アンタと同じ」 とろりと笑ったネロは、俺の首に腕を回してこちらにしなだれた。 「…やっと、つかまえた」 「俺を巻き込むのも計画のうちだった?」 「たまたまアンタがいた、欲しいものは手に入れて、したいことをする、それだけ」 あの蕩けるような光を帯びた目は、芝居ではなく本性なのだとわかる。 「ボクを欲しいと思ったことは?」 「ない」 それでも、下品なほど露骨な誘惑に抗いきれない俺は、甘んじて仕事を請ける。 「早くハメて」 囁いて、幸せそうに微笑んだネロは、目の前でスプリフを深く吸った。 そして、ネロが吐く甘い煙を吸い込んだ俺は、そのまま赤い唇に食いついた。

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