5 / 66

第一章 この愛は、罪 3

 鶏の鳴き声が聞こえ始めた薄明(はくめい)のころ。  アドニスは静かに起き出し、朝食の準備をしていた。    にんじんとじゃがいもをぐつぐつと煮込んだ質素なスープ。  添えるのは、昨日のうちに焼いておいたパン。    今日は、自分の分だけでなく、もう一人の客人の分も作らなければならない。  鍋をかき混ぜていると――  背後で、カタン、と扉の開く音がした。 「アドニス様、私もお手伝いします」 「いえ、ユリセス様はお構いなく。どうぞお座りください」  ユリセスは辺りを見回し、何か手伝えることはないかと探す素振りを見せたが、やがておとなしく椅子に腰を下ろした。    アドニスは少し欠けた皿にスープをよそい、ユリセスの前へとそっと差し出した。 「申し訳ありません。こんな粗末な朝食で……」 「いえ、そんな……むしろ、私などのためにお気遣いくださり恐縮です」  そう言ってユリセスは、真っ直ぐな瞳でアドニスを見つめながら、深く頭を下げた。  ――なんて、礼儀正しい方なんだろう。  アドニスは心のどこかがくすぐられるような気がして、少しだけ頬を染めた。    二人で神に祈りを捧げたのち、静かに朝食が始まった。  ユリセスがスープを口に運んだ――その瞬間。  アドニスの胸が、ドクンと脈打った。  騎士団長に、自分の料理が受け入れられるか。  それが、たまらなく怖かった。 「……とても、おいしいです」  穏やかな微笑を浮かべたユリセスだったが、どこか気を遣っているようにも見えて、アドニスの心配は消えなかった。 「あの……ご無理なさらず。宮廷でのお食事に比べれば、本当にささやかなものですから……」  ユリセスは少しの間、言葉を飲み込んだのち、くすりと笑った。 「……実は、こうして食卓を囲むこと自体、久しぶりでして」 「え……?」 「これまでさまざまな方の護衛をしてきましたが、こうして気持ちのこもった食事をいただけることは、滅多(めった)にありませんでした。アドニス様の警護をお任せいただいて、本当にうれしく思っています」  目を細め、まっすぐに見つめてくるその視線に、アドニスは息を呑んだ。 「宮廷の食事は……どれも濃くて、飾りばかりで。私はこうした素朴で、心のこもった食事が一番好きです」 「……そう、ですか」 「それに……」  言葉を切ったユリセスの瞳が、ふとアドニスを優しく射抜(いぬ)いた。 「この村では『アドニス様の料理が一番おいしい』と皆が口をそろえておっしゃっていました。……今、私も心からそう思っています。これは、きっと神のお導きですね」  あまりにも自然に、心の奥に染み込んでくるその言葉に、アドニスの頬がふわりと熱を帯びた。    そのとき、ユリセスはふいに視線を落とし、少し気まずそうに皿を手に取った。 「あの……差し出がましいお願いかもしれませんが……」  少しだけ照れたように笑いながら、彼は皿を差し出した。 「その……もう少し、いただけますか?」  その仕草が、まるで少年のようで。  アドニスは、思わずくすっと笑ってしまった。  ――ユリセス様って、こんな顔もされるんだ……。  騎士としての毅然(きぜん)とした姿ではない、もう一つの顔を見た気がして、アドニスの胸の奥に、ふわりとやさしい満足感が広がった。

ともだちにシェアしよう!