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第一章 この愛は、罪 4

 アドニスは、寄付でもらったわずかな硬貨を手に、街へと出かけた。    その隣には、私服姿のユリセスがいる。  騎士服を脱いでいても、ユリセスの目立ちぶりは変わらなかった。    村の誰よりも背が高く、すらりとした肢体(したい)。  そして顔立ちは――言うまでもなく、歩くだけで人の視線を集めるほどだった。    道行く男女が二度見するたび、アドニスの心の中は不思議な感情で渦巻いた。  羞恥心(しゅうちしん)、そして、少しだけ胸の奥に灯る、誇らしさのようなもの。  そんな感情を引きずりながら、アドニスは本屋に足を踏み入れた。 「アドニス様は、本がお好きなのですね」 「ええ。でも今日は、自分のためではなく、子どもたちに読む絵本を探しに来ました」  本屋の中は、アドニスよりも背の高い本棚がずらりと並んでいた。    彼はその隙間を縫うように歩き、絵本を手に取ってはパラパラとめくっていく。    ユリセスは少し離れた場所から、物珍しげにその様子を見ていた。 「アドニス様、文字の読み書きができない子にはどうされるのですか?」 「私が、読んであげますよ」  アドニスはさらりと微笑みながら答えた。 「……そうですか」  ユリセスは静かに頷き、微笑を浮かべてアドニスを見つめた。  アドニスは一瞬その視線に戸惑いながらも、すぐに絵本の選定に気を戻した。  いくつかの絵本を見比べながら、アドニスは悩んでいた。  手元の硬貨では一冊しか買えない。  そのため、慎重にならざるを得ないのだ。 「ユリセス様は、子どものころ絵本を読まれていましたか?」 「ええ。確か……『光と闇の冒険』という本でした」  その題名にぴんときたアドニスは、別の棚へと向かい、目を凝らす。  すぐに目的の本を見つけたが、それは棚の最上段に置かれていた。  背伸びして、必死に手を伸ばす。  けれど指先が、かすかに本の(はし)に触れるだけだった。  ――台を持ってこよう。  そう思って振り返ろうとした、その瞬間だった。  ユリセスの体がふわりと背後に近づいた。    彼の胸がアドニスの背中にそっと触れ、そのまま伸ばされた腕が棚の上からすっと本を取り上げる。  秒針が一つ動くか動くまいかの時間。  けれど、アドニスにとっては心臓が飛び跳ねる一瞬だった。    背中をかすめた、ふんわりとしたぬくもり。  そして、本と一緒に――  指先に伝わる、ユリセスの体温。  たったそれだけのことなのに。  アドニスの胸は、今にも破裂しそうだった。 「どうぞ」 「あっ……ありがとうございます」  アドニスは声が裏返りそうになるのを必死に抑えながら、うつむいた。    ただの一瞬の触れ合いなのに、胸の内はざわめき、鼓動が速まっていた。    こんなふうに、誰かを意識するなんて――  ……いったい、いつぶりだろう。  頭がぐるぐると回り、顔は熱を帯びたまま冷めそうになかった。  胸の中に、何か温かくくすぐったいものが残ったまま、本屋を後にした。

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