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第一章 この愛は、罪 9-1
教会に戻り、夕食を囲み、たわいのない話を交わす。
時刻が寝る時間に近づいても、ユリセスは立ち上がらなかった。
「ユリセス様……明日は朝が早いので、どうかお身体を……」
「今日は一日私に時間をくれると約束しましたよね?」
呆気にとられていると、ユリセスは葡萄酒 の瓶を取り出した。
「最後に私のお酒に付き合っていただけませんか?」
酒は弱かったが、断れるはずもなくアドニスは渋々頷いた。
グラスに注がれた甘い香りとともに、二人だけの最後の夜が始まった。
ユリセスはぐいっとグラスを一気に飲み干した。
それを見て、そろそろと口を付けてみる。
ユリセスが選んだだけあって、葡萄の芳香 とほのかな甘みが、喉の奥まで静かに広がっていく。
「……おいしい……」
「これはリーヴェ村のワインです。グレシアのワインもおいしいですが、こちらも負けずにとても甘くておいしいです」
ユリセスの微笑んだ顔が一瞬、慈愛の女神セレア様のように見えた。
優美でどこか蠱惑的 で――儚くて。
「アドニス様は、どうして神に仕える道へ?」
穏やかな声だった。
小さく揺れるグラスの影と、テーブルの上に落ちる月光。
静かな空気が、ふたりのあいだにゆっくりと流れていた。
「……それは……」
アドニスは視線を落とし、ワインの揺れを見つめた。
まるで、その赤が誰かの血のように見えて――ほんの少し、まぶたを閉じる。
「捨て子だったんです、私。……名前も、居場所もなくて」
ポツリとこぼれる声。
それは過去を語るというより、今なおそこにいるような、淡い痛みを滲ませていた。
「この教会に拾われて……それでも、ずっと泣いてばかりで。誰も信じられなかったんです。毎晩、怖くて……」
アドニスは、ふと遠くを見るように視線を逸らした。
「でも、ある日。セレア様の像の前で泣きつかれて、眠ってしまって……起きたら、不思議と怖くなかった」
ユリセスは、静かに相槌 を打った。
「神官様が……セレア様に抱きしめられたのかもしれないって言ってくれて」
ほんのわずかに、アドニスの唇に笑みが浮かぶ。
「……その方は、もう亡くなられてしまったけれど……私は、その神官様の後を継ぐようにして、今の道に進んだのです」
胸元にそっと手を添え、フェルメンの感触を確かめるように、アドニスは続けた。
「このフェルメンは、その方が残してくれたものなんです。私にとっては……セレア様からの祝福であり、大切な人の形見でもあって……だから、守りたかった。神を信じる人も、神に見放された人も、救える神官になりたいって――ずっと、思ってたんです」
アドニスが一つ息を吐くと、ユリセスの優しい瞳と目があった。
「アドニス様はとても素敵なお方です。私はこの村の人々がうらやましい……。私もアドニス様に愛されてみたい……」
セレア様のような慈愛に満ちた視線に、アドニスの頬が自然と赤くなった。
「あ、ありがとうございます。でも僕なんかより、ユリセス様の方が……」
「僕?」
「あっ……いえ、私はっ……」
慌てて取り繕うも遅く、ユリセスはクスクスと笑った。
「構いませんよ」
「いえ、騎士様の前で不躾 な振る舞いは……」
顔を赤らめていると、ユリセスがアドニスの手をぎゅっと手を握りしめた。
「ふふっ……酒が出た時から、ここは無礼講 ですよ」
「え……」
「私はもっとアドニス様と親密になりたいのです……」
「あ、あの……」
更に力強く手を握られて、心臓が跳ね上がる。
鼓動が止まず、むしろ激しさを増す。
ユリセスの目がいつもより血の気が多く見える。
これは酒のせいなのだろうか。それとも――
「ゆっ……ユリセス様はなぜ騎士に?」
話題を変えようとしたのに、ユリセスはくすっと笑うと「どうしてでしょうね」と交わすだけで、それ以上は語らなかった。
いつの間にか、握られていた手はユリセスが指を絡ませている。
「アドニス様……もし私が騎士でなくなったらどうしますか?」
質問の意図がわからず、目を白黒させた。
ユリセスが騎士以外の職業に就いたらと想像して、最初に出てきたのは……やはり騎士だった。
見目麗 しい姿のユリセスが馬に乗って、高原を走り抜ける様は敵から見ても美しく見えるだろう。
「……やっぱり騎士が似合うと思います」
ユリセスはふふっと笑った。
「そうですか……では――」
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