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第三章 抗えない淫愛 3

 そして、夜がきた。    あの大男が来るのではないかという不安が胸を占め、懺悔に訪れる人々の声が、なかなか耳に入らなかった。  人が来るたびに身構え、免罪符の力を使うたびに、精神が削られていく。  ――あの大男……消えてしまえばいいのに……。  思わず浮かんだ言葉に、アドニスははっとして首を振った。  神に仕える身でありながら、なんという思考だ。  自分を戒めるように、太ももを平手で打った。  そうしているうちに、深夜を迎えた。  人の気配がなくなり、懺悔室にはアドニス一人だけ。  ――もし、あの男が来たら……。  背筋がひやりと冷える。    いや、大丈夫。  この懺悔室から出なければいい。  それだけだ。    ……あるいは、もう扉を閉めてしまおうか。    本来、教会は夜明けまで開けておく決まりだが、何か言い訳は考えられるはず――。  そのとき、扉の開く音がした。  瞬間、アドニスの体から血の気が引いた。    呼吸が止まった気がした。    コツ、コツ、と一定の足音がまっすぐ近づいてくる。  心臓の鼓動が、耳の奥まで響く。  教会の静寂の中、足音が不気味に鳴り響き、そのたびに額から汗が伝う。  ――来た。あの大男が……!  足音は懺悔室の前で止まり、小さな隙間から白い手が覗いた。    月明かりがそれを照らす。  ――タトゥーが、ない……?  昼間見た前科者の印が、手の甲にはなかった。  ほんの少し、安堵が胸を撫でた……その瞬間。 「会いに来たよ」  声を聞いた途端、全身が灼けるように熱くなった。  抑揚のない、あの声――。  ――間違いない。あの男だ!  思わず椅子を倒してしまい、ガタンという音が教会に響く。  その音にかぶせるように、くくっと笑う声が、懺悔室の外から聞こえてきた。

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