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第七章 愛という名の赦し 2

「ふふ……ふふふっ……あは、あはははっ……」    アドニスは糸が切れたように、扉にもたれてその場に崩れ落ちた。  やっぱり――男は生きていた。    あの青年に罪をなすりつけて、死んだように見せかけて逃げたんだ。    けれど、胸に広がったのは――安堵(あんど)と、業火(ごうか)に焼かれるような嫉妬だった。    ――僕を連れて行くなんて言って、愛してるなんて言って……。    ひとしきり笑うと、アドニスの頬に涙が流れた。    もう二度と男は現れない。  顔も知らない、名前も知らない、そんな男と身体の関係を持っただけで、簡単に心まで奪われるなんて……。    なんて、最低で愚かなアドニス。   「ううっ……ううっ……」    アドニスはそのまま、冷たい床に身体を横たえた。  そこにあるはずのない温もりを、何度も床に手を這わせて探した。    震えが止まらず、思わず膝を抱きしめると、背中に、男の腕が触れたような錯覚がよぎった。  思い出したのは、あの夜の熱――なのに、胸の中は虚しさでいっぱいになった。    その度に何度も床をまさぐっては男の温もりを探した。  けれど、当然そこに彼の気配はなくて、指先はただ冷たさをなぞるだけだった。  ……このままじゃ、いけない。    夕暮れも近づくと、アドニスはそろそろと涙を拭いて立ち上がった。    最後の免罪符の時間だった。    支度を整えて、懺悔室で罪を改める者を待った。    最終日になると、必ず人が多くなる。  次から次へと懺悔を聞いているうちに、気づけば深夜になっていた。  最後の一人が帰り、アドニスが次の者を待っていると、ギィィ……と教会の扉が軋んで開いた。    静寂を裂くようなその音に、アドニスの心臓が跳ね上がる。  ――誰……? まさか、あの人……?  コツ、コツ、と硬質な足音が近づいてくる。  耳に焼き付いていた、あの足取り。  静寂の中、床に伝わる振動が鼓動と重なった。  手が震え出す。  期待と、恐怖と、後悔がない交ぜになって――。   「――アドニス様!」    アドニスは、息を呑んで顔を上げた。  それは、誰よりも崇高で、決して届かない存在――ユリセスの声だった。

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