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第七章 愛という名の赦し 7

「どうして鍵を閉めなかったの?」  ユリセスの低く湿った声が現実を引き裂いた。    心が、悲鳴のように叫ぶ。    ――逃げなきゃ……逃げなきゃ……!    一歩また一歩、ユリセスが近づいてくると、アドニスも後ろに下がった。  ――が、机に当たり、もう下がることはできなかった。   「ねぇ、どうして鍵を閉めなかったの?」 「……そ、それは……」  心臓がドクンと音を立てた。  自分で理解していた。  本当は――。 「僕があなたの言うことを聞かないと、村人に危害を加えるのでしょう! だから……!」 「ふふふっ……ははははははっ!」    ユリセスは肩を振るわせながら笑った。  すべてを見透かしたような、悪魔の嘲笑(ちょうしょう)だった。 「はははっ……アドニスは嘘をつくのが下手だね」  額から汗が流れる。  ユリセスは勝ち誇ったような眼差しを向けた。   「違うよね。鍵を――『閉めたくなかった』んだよね?」  瞳孔が開き、喉の奥からひゅっと息が漏れた。     ――違う……そんなわけない。  足が震え始めた。  それは逃げたいのに、どこかで待ち望んでいたかのような――ねじれた期待かもしれなかった。  ――僕が……ユリセス様を待っていたなんて……。 「違う! 僕は村人を守ろうとして……!」  ユリセスは無視するように、アドニスの前を通ると懺悔室の奥に腰掛けた。 「そう、なら出ていっていいよ。裏口は鍵かけてないし、俺がこんなに距離をとれば、追いかけても捕まえられない。裏口を出て、すぐに警備隊に逃げ込めばいい」  ――何を……何を言っているの……? 「ほら、早く出ていけばいい。俺は潔く捕まってやるから、警備隊を呼ぶんだ」  ユリセスの言葉一つ一つが、胸に突き刺さる。  愛してるなら、今すぐに犯せばいいのに。    あんなふうに激しく、乱暴に、抵抗できないほどに――。  欲棒をねじ込んでくれればいいのに。  ――どうしてしないの……? 「アドニス、行け。村人を助けたいなら、そこから出るんだ」  身体がビクッと震えた。  熱い――。    中心が燃えるように疼いて、もうユリセスを受け入れる準備はできていた。  彼と別れてから、アドニスの蕾にはずっと張型が埋め込まれている。  ……ユリセスの形と、熱を、決して忘れないように。 「アドニス、どうした? お前は神官だろ? 村人を助けたいんだろ?」  ユリセスが急かす。    でも身体が――心が動かない。  目の前の扉は開いている。  勢いよく走れば、すぐに裏口に着くし、外に出て助けを呼べばいい――なのに、できない。  ――いや、ダメだ。僕が……村人を、みんなを助けないと……。  導かれるように、足がゆっくりと進む。  あと一歩踏み出せば、みんなが助かる。  ――進め。アドニス!  足を踏み出そうとしたその時。  ユリセスの声が、耳の奥で響いた。   『愛してるよ……』    頭の中が、真っ白に染まった。  バタン。  大きな音を立てて、扉が閉まった。  いや、ドアノブを握っていたのは――  アドニスだった。  ひときわ大きく跳ねた鼓動と共に、思考が止まる。  自分の意思で、閉じた――その現実に、しばらく身体が凍りついた。  逃げることも、逃げたいと思うことさえ、もう意味を失っていた。  自分の手で囚われに行ってしまったから――。  気配が近づく。  音もなく、匂いもなく、それでも確かに――背後に、彼の気配が満ちていく。  ぎゅっと後ろからユリセスが抱きしめた。 「それが答えだね。アドニス」    耳元で囁かれたその言葉に、膝が震えた。  すべてを認めてしまったようで、涙が溢れそうになる。  堕ちた――自らの意志で、甘い地獄に。    ただ――。  ――ユリセスと結ばれたかった。

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