2 / 6

第2話

 生贄が目覚めてしまった。  菜の花に似た髪色に、慣れ親しんだ大和言葉。刀剣の鋒のような鋭い目付きの生贄とパチリ目があった。  完全に油断していたのもあり、ひえっと思わず声を漏らした将国は、そろり後ろへ数歩退がる。そんな将国の情け無い反応よりも、生贄は赤鬼が気になったらしい。 「コスプレってわけじゃねぇよな」  ということは、ここは地獄か。生贄は妙に落ち着き払った様子でゆっくりと将国を見据える。 「テメーは俺を裁く閻魔様ってところか?まだガキじゃねぇか」 「え、私?いえいえ、違います。私はそういった立場のものではありません」 「じゃあ、なんだ」 「えっと、決して怪しいものではないのですが、非常に説明し難い立場でして……」 「なんだよ。はっきりしねぇな」  舌打ち混じりに隠しもしない苛立ちをぶつけながら、生贄はギロリと将国を睨みあげる。 「こっちは死んで、地獄に堕ちたってところまでちゃんとわかってんだ。今更、何言われたって驚かねぇよ」 「な、なんとまぁ、豪胆な」  もっと混乱するかと思いきや、大分肝が太い生贄らしい。聞いている方が、気持ちよくなるほどの威勢の良さに、将国は素直に感心した。 「おいおい、将国。今は褒めてる場合じゃないぞ」  コイツをどうすんだと、赤鬼に将国は小突かれる。 「生贄ならいっそ食っちまうか?指と足分けてくれよ」 「何をバカな、私は人を食べません。見たところ、自分が生贄だと自覚が無いようなので、閻魔殿の方に引き渡します」  赤鬼にはっきりと断言してから、将国は生贄に向き直る。 「えっと、いけに…じゃなくて。あの、なんと呼べばいいのでしょうか?」  えへへっと腑抜けた表情で尋ねる将国に、生贄は一瞬、面を食らったような顔を浮かべる。  暫し、逡巡を巡らせながらも生贄はゆっくり口を開いた。 「丑三時也(うしみつときや)」 「それは何とも——」  私と縁がありそうな名前だと言いかけて、将国は口を閉ざして話を逸らす。 「それでは時也殿。こちらの赤鬼を見れば一目でわかりますでしょうが。ここは地獄でございます。ですが、すぐにどうこうなるわけではありません。きちんと死後の裁判によって受ける罰が決まるのです」  それでは早速、閻魔殿へと行きましょう。将国が時也を促すが、時也は怪訝そうに顔を顰めた。 「時也殿?どうかしましたか」 「本当に死後の裁判とかあるんだなって」 「あははっ、確かに死んでみないとわかりませんものね」  血色の良い顔でけらけら笑う将国に和んだのか、強張っていた表情が少しだけ緩んだ時也はゆっくり立ち上がった。 「で、その閻魔殿っていうのは、どこにあるんだよ」 「針の山の向こう側にあちらになります」  そう言って、多くの人々が突き刺され、呻きをあげる針の山の先を示せば「うをぉ…」っと、引き攣った声を時也は上げた。  はて?将国は首を傾げる。 「どうかしましたか?」 「いや……なんでも、さっさと行こうぜ」  そうだよな。ここ地獄だもんなっと、自分に言い聞かせるように時也は呟いた。  そんな中で、先程から赤鬼が気持ちの悪い笑みをニヤニヤ浮かべて将国達を見ていた。 「あの、すみません。先程から視線が喧しいのですが」  口以上に雄弁に語る視線に耐えかねた将国は、コホンっと空咳を一つ。 「なぁ、将国。気づいてるか?この人間、さっきから平気そうな顔してるぜ」 「は?」  赤鬼の言葉に将国は慌てて後ろを振り返ると、時也は訝しげな顔をする。 「なんだよ」 「あ、いえ……ご気分はいかがかなと」 「あーーまぁ、良いとは言えねぇな」  そうは言っても、すんなりと立ち上がっている時也の姿に、将国は驚きを隠せなかった。  何せ、ここは地獄。  百度は軽く越えている気温と、濃くて強い鉄と血の匂いに混じって、鼻がもげるほどの肉の焼け焦げた匂いが、辺り一面に漂う。   その悪臭に堕ちてすぐの人間は嘔吐はもちろんのこと、呼吸すらままならない。  将国だって、この臭いに慣れるまでに大分時間を有したのだ。  しかし、時也はどうだろうか。  やや顔色が悪いが、それは心から来るものだろう。それ以外は、けろっとした様子である。  ガハハっと赤鬼は上機嫌に笑う。 「案外、お前と地獄は相性がいいのかもな」 「おやめなさい。言葉が過ぎますよ。時也殿、気にしないでくださいね」  地獄に耐性のある人間がいるものかと、将国は赤鬼を嗜め、時也に花のような笑みを向ける。 「あ、そうだ。時也殿、閻魔殿への道すがら、地獄名物の釜茹を見てから行きましょうか。あの閻魔大王も好んで入る地獄の釜。是非、一目だけでも見て行ってください」 「興味ねぇ」  間髪入れずに時也に断られた。 「そうですか。もし、地獄で心惹かれるものがありましたら、遠慮なく言ってくださいね」  少しも悪気のない無邪気さで、将国は言う。  その愛らしく、見た者の心の内を暖かくさせる表情と口調だが、話の内容は可愛らしさの欠けらもない。聞く者の心の臓を凍らせかねない血生臭いものである。  しかし、地獄暮らしの長い将国が気づくことはなかった。  そういえば、将国は時也に名乗るのをすっかり忘れていた。 「大変失礼致しました。私は平将国(たいらのまさくに)と申します」 「たいらのまさくに……」  突如、時也の片眉が不快そうにピクリと動いた。  そこからは、念仏でも唱えるかのように将国の名を繰り返し呟いて、あぁっと悲鳴に近い声を上げる。 「テメーのせいで、あのインチキ洗脳ババアに生贄とかなんとか言われて、俺は殺されたんだぞ。どうしてくれんだコラァっ」  時也の鬼気迫る怒号は、まるで雷が鳴り落ちたかの如く地獄に轟いた。    

ともだちにシェアしよう!