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3 1日目ー2回目の注射と羞恥のトイレ

食事が終わる頃には、俺の中の違和感はさらに増していた。 「……暑い」 自分で呟いた言葉に、ほんの少し、息を呑む。 体が、内側からじんわりと熱を持ち始めている。 皮膚の奥、血管の裏側。 まるで低温の湯に浸かったような、濃密な熱が静かに膨らんでいた。 「兆候が出てきたね」 また、その言葉。 顔を上げるより早く、ムカつきが込み上げてくる。 「兆候とか言うな!!!!」 俺が怒鳴ると、凛はふわりとまぶたを伏せて、優しい声で問い返してきた。 「れーちゃんは、変化することが怖い?」 「……は?」 不意に投げられたその言葉が、思った以上に鋭く刺さる。 「変わらないって思ってるから、余計に怖いんでしょ?」 「……違ぇよ」 反射で即答したはずなのに、喉が妙に乾いている。 声の奥が、どこか不安定だった。 凛は微笑みながら、そっと俺の額に手を当ててきた。 「少し、熱が出てきてるね」 「っ……!」 その仕草が、まるで体調を気遣う恋人みたいで── その柔らかさが、むしろ苛立たしかった。 凛は微笑みを崩さぬまま、再び注射器を手に取る。 両手を覆う手枷の上から、凛の手がひとつ、静かに俺の手首を押さえた。 「2回目、するね」 冷たい針が肌に触れる。 ピン、と緊張が走ったが、痛みはまたチクリとしただけでほとんどなかった。 「うん、これで大丈夫。手枷は……一度外そうか。血行が悪くなっちゃうし」 カチャリ。 拘束が解かれる感触。 だけど、俺の脇下に巻かれたベルトはそのままだった。 「これで少しは楽になった?」 確かに両腕は自由になったが、全身の解放には程遠い。 「暴れなかったら、そのままにしてあげる」 「ふざけんな!!」 叫ぶ俺に、凛は変わらぬ調子で微笑んだ。 「ふふ。でも、れーちゃんはもう逃げられないよ」 ※ 2回目の注射が終わったあと、俺はベッドの上で息を整えていた。 体の芯が、ゆるく熱を抱えている。 背筋に沿ってじわじわと何かが這い上がってくるような、嫌な感覚。 目の裏に熱がこもり、意識の輪郭がぼやける。 けど、それよりも先に、ある“現実”が迫っていた。 「……なあ」 できるだけ冷静を装って、俺は口を開いた。 「トイレ……行きてぇんだけど」 数秒の沈黙のあと、凛は「そっか」とだけ頷く。 何も詮索せず、当たり前のように。 カチッ、とリモコンが押され、電動ベッドが再び動き出す。 同時に、胸を押さえていた拘束ベルトが解かれる。 (……きた……!!) 心臓が跳ね上がる。 今しかない。 「っ!!」 解放と同時に、全身の力を使ってベッドから飛び出そうとした── ──はずだった。 「――っ!? なっ……!」 だが、次の瞬間、足元でガツンと強く引っ張られる。 忘れていた。足首の……足枷。 なんで俺は……! 「れーちゃんらしいね」 凛が、まるで微笑ましい冗談のようにくすくすと笑う。 「……っ、クソが……っ!!」 拳を握り締めても、意味はない。 凛は静かに俺の隣に腰を下ろし、手に何かを持っていた。 「……じゃあ、こっちかな」 差し出されたそれを見て── 思考が白くなる。 尿瓶。 その、あまりにも現実的すぎる存在。 「……は?」 「大丈夫だよ、ちゃんと受け止めるから」 その一言が、耳を焼く。 俺は言葉を失う。 「……いや、ちょっと待て」 喉が乾く。ゴクリと唾を飲み込む音だけがやけに響く。 「もしかして嫌?」 「当たり前だろ!!!!」 怒鳴った俺に、凛はもう片方の手をポンと叩いて、さらに追い打ちをかけた。 「あ、じゃあこっちのほうがいい?」 取り出されたそれを見て、今度は目の奥がぐらりと揺れる。 オムツ。 大人用の、厚みのある白い布の塊。 「……」 「どっちがいい?」 「おむつ? それとも、尿瓶?」 言葉を選ばず、まるで選択肢のようにさらりと投げられる。 反論も、拒絶も、浮かんだ瞬間に消える。 凛はそんな俺の沈黙を見て、また微笑んだ。 「ね、れーちゃん。トイレに行かないなら、こっちしかないよ? それとも大人しくして、トイレに行く?」 逃げることすら考えていた俺が、今は── どちらの屈辱がマシかを考えさせられている。 クソッ……こんなの、どっちも嫌に決まってる……! 選択肢なんて、ない。 「……わかった……」 小さく息を吐き出し、俺はゆっくりと目を伏せた。 「……おとなしく、するから……」 静かに、凛が嬉しそうに息を吐いたのがわかった。 「うん、いい子。じゃあ行こうか。……ほら、立って」 凛が腕を引き、俺を立たせる。 ベッドからは降りられたが、足枷がついているせいで歩幅は限られる。 「足枷は外さないのかよ……」 「うん。逃げるつもりないなら、別に気にしなくていいでしょ? 抱っこする?」 「歩く……」 凛は、どこか当然のように選択肢を提示してくる。 それ自体が既に、誘導だったのかもしれない。 「ほら、こっち」 廊下に出る。 照明は柔らかく、足元の絨毯は高級ホテルのようにふかふかしている。 (……お高そーな内装だな……) 窓はない。外の様子は一切わからない。 だが、この造り──恐らくタワマンの一室。いや、凛の家か。 連れていかれた扉の前、凛が扉を開けると、そこには清潔で、ちゃんとしたトイレがあった。 ……思ったより普通だった。 少しだけ、肩の力が抜ける。 だが、すぐに気づく。 「……おい、ドア」 「うん?」 「閉めろよ」 「ダメだよ」 即答だった。 「ちゃんと見てないと、何するかわからないし」 「はぁ!? ふざけんな!」 「ふふ、大丈夫。僕は気にしないから」 「俺が気にすんだよ!!!!」 思わず叫ぶ。 けれど凛は、どこまでも穏やかだった。 「学校の時は、普通に一緒にトイレ行ってたのにね」 「それとこれは違ぇだろ!!」 確かに、昔は。 何も考えず、無防備に、ただ“当たり前のように”一緒に行ってた。 けど──今は違う。 今は、“監視されながら強要されている”のだ。 「ここでできないなら……さっきの尿瓶、使う?」 「…………っ!」 「それとも、おむつ?」 「っ……」 選ばされる。 トイレが目の前にあるのに。 自由に使うことは許されず、選択肢が“羞恥の形”で提示される。 「……ちくしょう……」 震える手で、俺はベルトを外した。 「いい子だね、れーちゃん」 凛の優しい声が、背中に落ちる。 俺はただ、目を伏せ、静かにため息をついた。 ……最初から、俺に選択肢なんて、なかったんだ。 -------------------- 20250831:更新 リアクションやコメントいただけると嬉しいです♪ -------------------

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