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7 1日目ー変化と予兆

全身の力が抜けて、凛にもたれかかる。 その感触は、ぬるりと温かく、安心とは違う――けれど、今の俺には逆らう余地もなかった。 わかってる。こんなふうにすがるみたいになったら、凛がますます調子に乗るだけだって。 それでも、もう体力が限界だった。 (……はぁ……っ……) 呼吸が荒い。喉がカラカラに乾いて、唇が張りついていく。 全身が重くて、自分の骨が自分のものじゃないみたいだ。 けど―― (あ、でも…………さっきまでの熱が、ちょっと引いた……?) 確かに体はまだ火照っている。だが、あの異様な高熱とは違う。 体内で燃え上がっていた、あの熱の塊がすこしだけ引いたような感覚があった。 「……落ち着いた?」 凛が、俺の顔を覗き込むように、ふわりと微笑んだ。 「……っ……黙れ……」 舌が重たくて、口の中が砂を噛んだみたいにザラついている。 それでも、拒絶だけは示したくて、どうにかそれだけ言った。 「よかったね」 そう言いながら、凛の手が俺の濡れた髪に触れた。 やわらかく、まるで癒すように、何の悪意もなさそうに――撫でる。 「れーちゃん、頑張ったね」 「……っ……」 言葉が出ない。 気づかれたくなくて目を逸らす。けれど、熱がどこにも逃げ場をくれなかった。 (……くそ……こんなの……) 羞恥と屈辱で胃の奥がぎゅうっと縮まる。 けど、それでも思っていた。 (……もう、これで終わり……だろ……?) 体力も、感情も、全部使い果たした。 これ以上、凛にされることはない。せめて――そう信じたかった。なのに。 「……うん、れーちゃん、やっぱり可愛い」 唐突に、凛がぽつりと呟いた。 「……は?」 なにが、どうして、今それなんだ――と。 言葉の意味を理解しきる前に、続きが落ちてくる。 「でも、これで終わりじゃないよ」 (――!?) 喉の奥が、急に冷たくなる。体中の血が一気に引いた。 「まだ、続きがあるからね」 凛の顔に浮かぶ笑みは、ただただ穏やかで。 だけど、俺にとっては、それ以上に恐ろしいものはなかった。 「……は?」 思わず顔を上げる。 どういう意味だ。まだ何をしようっていうんだ。 (……何言ってんだ、こいつ……) 俺はもう限界まで追い詰められた。 恥も尊厳も、理性も、全部壊された。 なのに、まだ終わらないっていうのか。 「れーちゃん、今は落ち着いてるけど……」 凛の指が、俺の頬をなぞる。 「すぐにまた、熱くなるよ」 「……っ……」 ひゅ、と喉が鳴った。空気がうまく吸えない。 「嘘だろ……」 消え入りそうな声が漏れる。けど凛は、にこりと笑っただけ。 「嘘じゃないよ。……だって、もう身体が変わり始めてるもん」 (――!!) その言葉で、背筋が凍りつく。 薬の影響――いや、それだけじゃない。凛の手で作られた感覚が、今も体に残っている。 「……っ……ふざけんな……」 「ねえ、れーちゃん」 凛の指が、俺の鎖骨をなぞる。 ゆっくりと、確実に、逃げ場を塞ぐみたいに。 「さっき、すごく気持ちよかったでしょ?」 「っ……!!!」 「もう、僕の手で感じられるようになったんだよ?」 ――駄目だ。聞きたくない。思い出したくない。 でも脳が、あの瞬間の快楽を裏切りのように焼き付けている。 「……違う……俺は……っ……」 否定したかった。否定しなきゃいけなかった。 けど、言葉が、喉で震えるだけで出てこない。 「大丈夫だよ、れーちゃん」 凛の手が、今度は腹へと下りてくる。 掌の温もりが、妙に重たくて、逃げたくても逃げられない。 「僕がずっと見てるからね」 (――!!) 全身が、ギシギシと軋むような恐怖で満たされる。 (……終わりじゃ、ない……) まだ始まったばかりなんだ。 薬も、変化も、凛の狂気も――ここから先にある。 「れーちゃん」 凛が、柔らかく呼ぶ。 「もっと素直になっていいんだよ?」 その声が、鼓膜の奥まで侵食してくる。 「……っ……」 言い返せない。怒る気力すら、もう残っていない。 (……ふざけんな……) それでも、頭のどこかで、叫んでいた。 今の俺は、心の中でしか反抗できない。 「ほら、体拭こうね」 ふわりと、大きなバスタオルがかぶさる。 その一瞬、ほんの少しだけ、守られた気がしてしまった。 「っ……!!」 けれどその温もりに、無意識に安堵しかけた自分が怖い。 「……いらねぇ……自分で……」 そう言おうとしたのに。 「れーちゃん、もう力入らないでしょ?」 その瞬間、はっきりと自覚した。 (……体が……動かない……!?) ふわふわと、雲の上にいるような感覚。 腕も足も、自分の意志で動いてくれない。 (……薬のせい……? それとも……) 理由なんて、もうどうでもよかった。 ただ、動かない。それだけが現実だった。 「はい、こっちおいで」 言葉とともに、凛の腕が俺の身体を抱え上げる。 「――っ!?」 宙に浮いた。ふわりと、力なく。 「っ、お、おろせ……!!」 必死に声を振り絞っても、無意味だった。 「ダメだよ。ちゃんと運んであげる」 凛の腕の中、俺は完全に固定されている。 温かくて、柔らかくて、それでいて、どうしようもなく支配的な檻。 「……お前……っ……!!」 「大丈夫、落とさないから。僕、れーちゃんを落としたことないよね?だから安心していいよ?」 優しく頭を撫でられる。 (っ……!!) 怒りと悔しさで顔が熱くなる。 でも、もう暴れる力なんて、どこにも残っていなかった。 俺は、まるで赤ん坊みたいに―― 凛の腕に抱かれて、運ばれていくしかなかった。 -------------------- 20250831:改稿 リアクションやコメントいただけると嬉しいです♪ -------------------

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