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8 1日目ー新しい寝室と凜
凛が俺をベッドへと下ろす。
ふわりと、柔らかなシーツの感触が背中に広がった。
ほんの一瞬だけ、安心しそうになった自分に気づいて、奥歯を噛み締める。
「……っ……」
確かに、温かい。
寝心地はいい。包み込むような柔らかさで、まるで全身を優しく抱き留めるようだった。
それはベッドというより、“手”に近い感触だった。
(……ここ、さっきの部屋じゃない……?)
明らかに違っていた。
無機質で冷たい、あの監禁部屋じゃない。
天井には優しい色合いの間接照明が灯り、木目調の家具が静かに置かれている。
シーツも枕も、俺の好みをよく分かっているように整えられていた。
「……なんだよ、ここ……」
声が思わず掠れる。
凛はいつものように、何の違和感もなく微笑んだ。
「れーちゃんの新しい寝室だよ」
「……っ……」
意味が、まったく分からなかった。
「ここで僕と一緒に寝るんだよ。広いでしょ?この寝具もれーちゃん好みに揃えたんだ」
(……は……?)
言葉が思考を追い越す。
何を言っているのか、分かりたくなかった。
「ほら、足枷つけるね」
カチャリ、と足首に金属の冷たい感触が走った。
「……っ……!!」
体がビクリと跳ねる。
片足にだけ繋がれた細い鎖。その先は、ベッドの脚へと固定されている。
(……動ける……でも、逃げられない……)
長さはある。部屋の中をある程度歩くことはできるだろう。
でも、ドアの前には届かない。それが分かる長さだった。
「これで安心だね」
「っ……どこが安心だ……!!」
叫ぶ声に、凛はやっぱり穏やかに笑っただけだった。
ベッドに腰掛け、俺の髪をゆっくり撫でてくる。
「ほら、れーちゃん。さっきより、リラックスできるでしょ?」
「……っ……!!!」
反論したいのに、できなかった。
なぜなら――
(……確かに、ここ……落ち着く……)
静かで、暖かくて、ベッドは心地いい。
寝具は好みの手触りで、鼻をくすぐるルームフレグランスも俺好みだ。
でもそれはつまり、甘やかされた檻。
「飼い慣らす」ための環境として、完璧すぎる。
「うん、いい子」
凛はまるで猫を撫でるように、俺の髪を撫でる。
「れーちゃんは、そこでちょっと待っててね」
「……は?」
「僕もシャワー浴びてくるから。汗かいちゃったしね」
(……っ!!)
その言葉の意味に気づいた瞬間、背筋が粟立つ。
「ちょっ……まっ……!!!」
抵抗の声も空しく、凛はもう立ち上がっていた。
浴室の扉を開け、すでにその中へ。
「すぐ戻るから、大人しくしててね」
そんな言葉だけを残して、姿を消した。
(……ふざけんな……っ!!!)
瞬間的に、体が勝手に動いた。
ベッドから転がるように抜け出し、立ち上がる。
「っ……!!」
でも、すぐに足を引っ張られる。
鎖だ。
行ける範囲は、ベッドのまわりと、端のソファまで。
ドアには、届かない。
(……クソッ……!)
鎖を引っ張る。手を添えて、足をねじって、ありとあらゆる方向から力をかける。
だが、まるで鉄の意志のように、動かない。
(……無理だ……っ……)
呼吸が荒くなる。
シャワーの音だけが、妙にクリアに耳へ届く。
凛は、何の心配もしていないんだろう。
ここから出られないことを分かっているから。
俺がどうやっても逃げられないって、信じているから――
(……凛の望みは……俺をΩにすること……)
凛と“番”になるために。
……おかしすぎる思考。
ベッドに崩れ落ち、手で顔を覆う。
(……凜……)
俺は、もう思い通りにされている。
自分の中の、反抗の芯のようなものが、少しずつ溶けていくのを感じる。
しばらく、天井を見つめていた。
間接照明の灯りが揺れている。
(……すぐ戻るって言ってたけど……)
シャワーの音は、止まらない。
あれが「すぐ」なわけない。むしろ、ゆっくりと準備してる音だ。
(……どんだけ、ゆっくり浴びてんだよ……)
苛立ち。けれどそれ以上に、胸を刺すのは――
「待たされている」という事実。
(……俺は今、ここで……凜を待ってるのか……?)
それが、何よりも耐えがたかった。
「……っ……」
立ち上がって、もう一度足枷を確かめる。
無意識に、さっきとまったく同じ動作を繰り返していた。
(……逃げられない……)
分かってるのに。
何か行動していないと、この現実を受け止めきれなかった。
「……はぁ……っ……」
息を吐いて、ベッドに身体を沈める。
(……このまま、どれくらい待たされるんだ……?)
シャワーの音は、なおも続いている。
髪を洗って、体を洗って、念入りに流して――
丁寧にケアして、服を選んで、整えて――
(……まるで、恋人と会う前の準備みたいだ……)
思った瞬間、背筋がゾクッとした。
(……違う……そんなわけ、ない……っ……!!)
考えるな。止めろ。けど、止まらない。
(……まさか……俺と……寝るつもりで……?)
“寝る”――どっちの意味の“寝る”だ。
αの凛と、Ωになりかけている俺。
身体の相性、番、発情、発情抑制剤。
思考が連鎖していく。
(……凜、まさか……)
その時。
――シャワーの音が、止まった。
(……っ……)
静寂が、部屋に満ちる。
そして――凛が、戻ってくる。
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20250831:改稿
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